酒缶さん
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【和田俊輔氏】3.裏ワザの原点

 今回のゲスト:和田俊輔氏 

アスミック・エース エンタテインメント 新機能開発本部GM。「裏ワザ」を通して過去の名作ゲームを紹介するDVD『ザ・裏ワザ』シリーズのプロデューサー。


酒缶 和田さんが生まれて最初に遊んだゲームはなんですか?

 

和田 ビデオゲームで言いますと『ポン』(※1)系の……日本製の『ポントロン』とか『エレポン』(※2)あたりかと思いますけど……、どれだかはわからないですね。4?5才の時に家族旅行で行ったペンションのロビーの端っこに1台だけテーブル筺体があったんです。インストカードもなかったので、タイトルはわかりませんでした。ただ、ゲームオーバーになっても画面内で跳ねている光の点を長いこと眺めていた記憶がありますね。

 

(※1) 『ポン』 1972年にアタリが発表した、商業的に初めて成功したと言われているアーケードゲーム。

(※2) 日本製の『ポントロン』とか『エレポン』とか 『ポン』タイプのゲームが色々なメーカーから発売されている。『ポントロン』はセガ・エンタープライゼス(現セガ)、『エレポン』はタイトー。

 

酒缶 『ブロックくずし』(※3)のテーブル筺体はいっぱい見ているんですけど、『ポン』は見たことがないんですよ。

 

(※3) 『ブロックくずし』 1970年代後半から1980年代にかけて、パドルでボールを打ち返してブロックを壊していくゲームが多数登場している。

 

和田 うーん。確かにそう言われてみれば、その時に見た『ポン』以外にアーケードの『ポン』はほとんど見たことがないですね。アメリカで『ポン』が普及したのは1973年あたりですよね。それからちょっと経って日本に入ってきたと考えると、年代的には1971年生まれなので4?5才ぐらいというのは、間違っていないと思うんですけど。

 

 

 

酒缶 まだ当時ってテレビゲームがないじゃないですか? そのくらいの頃って何をして遊んでました?

 

和田 外で遊ぶ元気な子でしたよ。かくれんぼとか缶けり、こおり鬼とか。インドアでいうとアナログの盤ゲーム的なものはよくやっていましたね。覚えているのは「生き残り頭脳ゲーム」(※4)。あとは、すり鉢状に丸くってバーを動かすと中心に向かってカランコロンと落ちていく「沈没ゲーム」(※5)とか。姉の買ってもらったタカラの「デートゲーム」(※6)や「夢のスターゲーム」(※7)なども暇な時によくつき合わされてましたね。

 

(※4) 「生き残り頭脳ゲーム」 タカトクトイスが発売したアナログゲーム。盤の周りにあるレバーを操作してボールを落としていき、最後までボールが残った方が勝者となる。

(※5) 「沈没ゲーム」 同じくタカトクトイスが発売したアナログゲーム。

(※6) 「デートゲーム」 タカラ(現タカラトミー)が発売したアナログゲーム。女の子用のボードゲームで、男の子とのデートが楽しめる。

(※7) 「夢のスターゲーム」 タカラ(現タカラトミー)が発売したアナログゲーム。女の子用のボードゲームで、アイドル歌手になることができる。

 

酒缶 出身は東京ですか?

 

和田 生まれてからずっとここ(※8)です。

 

(※8) ここ 今回の取材は和田氏の自宅で行われた。『ザ・裏ワザ ファミコン編1』と『ザ・裏ワザ メガドライブ編1』を同時購入するともらえた特典DVDに収録されている「ゲームコレクター鼎談」も同じ場所で行われ、お互いの座り位置もほぼ同じ。

 

酒缶 ということは、その後、ゲーセンが出てくるじゃないですか? 地方だとやったことがないゲームとか出てくるけど、東京だと色々なゲームをできて、ゲームで遊ぶ環境はよかったんじゃないですか?

 

和田 そうですね。『ドンキーコング』(※9)くらいまでは、新しいゲームが出るたびほとんどが近くのゲームセンターやおもちゃ屋の店頭のゲームコーナーなんかには入ってきていましたね。とはいえさすがに近所で全てのゲームを網羅することはできなかったですよ。そういう意味では、小学4年生から都心の塾に行けたのは運が良かったかな。塾の帰りにゲームセンターに寄り道ができたんで。……あ、別に月謝とかに手をつけたりはしてないですよ(笑)。

 

(※9) 『ドンキーコング』 1981年に任天堂がアーケードゲームとして発売したアクションゲーム。ドンキーコングに攫われたレディを助けるため、マリオが活躍する。マリオのデビュー作。ファミコン版は3ステージ構成だったが、アーケード版は25m、50m、75m、100mの4ステージ構成。

 

酒缶 ゲームセンターに行くために塾に通ったわけではないですよね?

 

和田 いやいや、そんなの親が許すわけがないじゃないですか(笑)。自宅の最寄駅周辺にもゲームセンターはあったんですけど、小さくて恐い(笑)と有名で。その点、都心のゲームセンターは広くて安全で雰囲気が違いましたね。照明は同じく暗かったけど。当時はモニターの質の問題で暗くしてたそうですね。その他にも、未知のゲームを求め、ゲーム友達と自転車に乗って寂れたお店や駄菓子屋の店頭、デパートの屋上やあえて不良がいると言われるお店を回ったりしましたよ。

 


 

酒缶 ゲームセンターに入っちゃダメとか学校から言われてなかったですか?

 

和田 言われてましたね。インベーダーハウス(※10)とか呼ばれていた小学校の1、2年の頃は大人が沢山いて怖くなかったんですけど、小学3、4年になった頃にはやんちゃなお兄さん達がたむろしてタバコ吸ってて、カツあげされたりするってことでPTAから「入っちゃダメ」って言われていました。でも、そう言われると子どもは「オレ、ゲーセン行ったことあんだぜ」と粋がりたがる生き物なので、度胸試しみたいな部分もありゲームセンターに通ってましたね。ただお金がないのでずっと人のプレイを見ていました。で、あまりに羨ましそうに見ているもんだからいかにも恐そうな兄ちゃんが「やるか?」と言って1機分けてくれたり(笑)。どちらかというと楽しいイメージで怖い思い出はないですね。小学生だとカツあげしようにもお金を持ってないから、襲われたりすることもないんですよね。

 

(※10) インベーダーハウス 1979年にタイトーの『スペースインベーダー』が流行った頃、『スペースインベーダー』のみが複数台設置された店舗が存在し、インベーダーハウスと呼ばれた。

 

酒缶 じゃあ、お金が使えないということは1プレイができる時には集中して?

 

和田 めちゃくちゃ集中してましたね。今とは比べ物にならないくらい。なので永久パターンのあるゲームってありますよね? そういうゲームを見つけるとホントずっとやってましたね(笑)。ただ、余りに長くプレイしているとお店の人に怪しまれるので、店主が来るころに友達と入れ替わったりして。『ノーティーボーイ』(※11)なんかやったなー。これは永久パターンがあったんですよ。あ、『ノーティーボーイ』ってのはジャレコさんの初期作品で、いたずら坊やが石を投げてモンスターを倒しながら進んで行くゲームです。

 

(※11) 『ノーティーボーイ』 ジャパン・レジャー(現EMCOMホールディング)が1982年に発売したアーケードゲーム。

 

酒缶 当時のゲームって設定をそんなに考えなかったですよね。面白ければよくて。

 

和田 アイディアが勝負みたいな世界でしたもんね。動かしてみて面白ければOKって感じですね。そんな中でも設定が結構しっかりしていたという意味では『ドンキーコング』はよくやってましたね。ちなみに『ドンキーコング』は一番最初に裏ワザを意識したゲームでもあります。

 

酒缶 1面の梯子を登ったところでチョン押しして右に飛ぶとワープするヤツ(※12)ですよね。

 

(※12) 1面の梯子を登ったところでチョン押しして右に飛ぶとワープするヤツ アーケード版の『ドンキーコング』では、最初の梯子を登ったところで、マリオの向きが変わらないようにレバーを右に軽く押してちょっと移動させた後、右側にジャンプして飛び降りると、マリオが画面の下をすり抜けて、25mステージをクリアしたことになる。

 

和田 そうそう、それで1面が素早くクリアできるんですよね。当時裏ワザって言葉はなくて地元ではワープとか首チョンワープとか呼んでたかな? やはり想像を絶する方法で1面をクリアできるのは当時のプレイヤーには衝撃だったようで、「他の面でもそういうことができるのでは?」と一生懸命探してましたね。完全に無駄な努力(笑)。そして「50mでのワープ技を見つけた!」とウソつく友達もいました。「ここでこうやると穴が開いてー」とか黒板に克明なウソを書くという(笑)。

 


 

酒缶 でも、あれも失敗すると1機失うじゃないですか? ということは、1機失うために試しているようなところがありますよね。

 

和田 そう考えると、お金もないのに、リスクを恐れず試していましたよね。

 

酒缶 『ドンキーコング』が裏ワザの原点なんですね?

 

和田 裏ワザを意識したのは『ドンキーコング』なのかな。『スペースインベーダー』(※13)の頃はまだ幼すぎて名古屋撃ちやレインボーはできませんでしたから。でもゲームセンターで遊ぶと、家でもゲームで遊びたくなりますよね。それで親にねだりにねだって当時初めて買ってもらったLSIゲームは、学研の「インベーダー」(※14)でした。買ってもらった時は嬉しくって日がな一日プレイしていましたね。

 

(※13) 『スペースインベーダー』 1979年にタイトーが発売したアーケードゲーム。上から攻めてくるインベーダーを単発の弾で退治していくシューティングゲーム。

(※14) 学研の「インベーダー」 学研が発売した電子ゲーム。1970年代後半から1980年代前半は大らかな時代で、アーケードでヒット作が出ると、似たシチュエーションの電子ゲームやテレビゲームが多数登場した。

 

酒缶 今にしてみると、アーケードのゲームよりも激しいループ(※15)じゃないですか? スピードアップするとか。でも、そんな中で1日中やってたんですね。

 

(※15) 激しいループ ステージ構成は一つで、クリアするたびにスピードを速くすることでゲームの難易度が調整されていた

 

和田 今考えると、よくあんなシンプルなゲームで一日中遊んでたな、って思いますよ(笑)。ゲームに飢えてたんでしょうね。今の子は幸せだなー(笑)。当時やり込み過ぎて、「このタイミングでUFOが出るな」とわかるほどでした。ちゃんと裏ワザまで見つけたんですよ。発射ボタンを押しっぱなしにしていると占領されないという。

 

酒缶 それって裏ワザというよりかインチキじゃないですか。

 

和田 いやいやいや、そうしたら敵が出て来なくなるんですよ。一定期間ごとにUFOだけ出てくるので、やられる心配もなくUFOだけ撃って、カンストできるという。立派な裏ワザでしょう?

 

酒缶 自分が開発者で今そんなのが出てきたら冷や汗ですよ。回収になるかもしれない問題ですよ。

 

和田 でも、こんな簡単な操作でできる裏ワザですから、自分以外も必ず誰かが見つけてるハズですよ。デバッグという概念も今とは違ったであろう、おおらかな時代ゆえの裏ワザですね。

 

次回の更新は、6月10日(金)の予定です。

2011年6月7日 11:56