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文化庁メディア芸術祭大賞の『大神(OKAMI)』について神谷氏が語った!

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●「日本に生まれてよかった」と言っていただけたのがいちばんうれしい(神谷)

▲第10回文化庁メディア芸術祭の最終日、エンターテインメント部門で大賞を獲得した『大神(OKAMI)』の神谷氏などの受賞者シンポジウムが行われた。


 都内の東京都写真美術館で開催されていた第10回文化庁メディア芸術祭の最終日となった2007年3月4日、ゲーム関連のふたつのシンポジウムが行われた。


 ひとつ目は、エンターテインメント部門の受賞者シンポジウム。エンターテインメント部門の審査委員主査を務めたポケモンの代表取締役社長、石原恒和氏を司会に、大賞を受賞したプレイステーション2用ソフト『大神(OKAMI)』のディレクター、神谷英樹氏と、優秀賞となった映像作品『Fit Song』の映像ディレクターである辻川幸一郎氏が講演を行った。


▲「この作品は、売れ行きのほうはかんばしくないんですが、遊んでくれた方には評価していただき、作った甲斐があったと感じています」と神谷氏。


 石原氏に寄れば、この両作品は審査の第1段階から抜きん出て高評価を受け、当然の受賞と相成ったのだそうだ。まずは作品が紹介され、神谷氏は『大神(OKAMI)』の開発について以下のように総括した。


 「僕は、まずテーマを決めてゲームを作るんですが、この作品はきれいな自然を描きたいというところからスタートしました。大自然の中で狼の群れを動かすという企画書を、立ち上げスタッフ10人くらいに説明したんですが、いいと思うけれどもどうにも地味だよね、という反応で。それで、荒地に木や花が爆発的に広がるという表現で自然の美しさを表すことができないかと考え直して、それをできるのは神様くらいしかいないだろう、とアマテラスという主人公が生まれました。グラフィックについては、キャラクターデザイナーが狼の姿をしたアマテラスを、筆で描いてきたんですね。それがとてもよかったので、全体的に日本画風のアナログなタッチにしました。技術的には、モデリングなどはそんなに凝ってなくて、上に被せるフィルターを和紙っぽいものや、墨がにじむようなものを何枚も重ねて表現しています」(神谷)


 石原氏は、アマテラスという神様をゲームに登場させたことに相当な衝撃を受けたそうで、「神様をこんなふうに扱うなんて、という反発はなかったんですか?」と質問。神谷氏は、「逆に、某掲示板で本物の神主さんがエンディングを見て感動した、と書かれていたのを読んでうれしかったです」とコメントした。また、「企画当初は、どこの国の自然を描くか決めていなかったんですが、最初に浮かんだ情景が僕の田舎である長野の景色だったんです。もう20年くらい地元から離れているんですけど、帰る度に開発が進んでいっているのがどうもさみしくて。だから、ユーザーの方から、日本に生まれてよかった、という感想をいただくのがいちばんうれしかったですね」(同)とのこと。


▲石原氏(左)は、「個人的な質問ですが」と前置きして、「『大神(OKAMI)』をプレイしたあと、Wiiの『ゼルダの伝説 トワイライトプリンセス』をやったんですが、犬になって穴を掘っている操作感が似ているなあと思ってしまって。神谷さんはいかがでした?」。神谷氏(右)は苦笑交じりに、「ぶっちゃけますと、あの絵を見てがっかりしたというか。僕は『ゼルダ』フリークでして、『ゼルダ』リスペクトで『大神(OKAMI)』を作ったと言っても過言じゃないくらいなんです。『ゼルダ』は究極の目標なんで、王者の風格を持っていてほしいというか。あっと驚くものを見せてほしかったんですが……」と語った。


▲優秀賞『Fit Song』は、アーティストのCORNELIUSのツアーで使用されるミュージッククリップ。「今後、たとえばiTunesなどでネット配信された際に、iPodなどでループさせて聞く人が多いことを考慮して、いちばん最初のシーンと最後のシーンをまったく同じものにしました」(辻川)など、制作秘話が語られた。ちなみに、辻川氏は最近ゲームをやる時間が取れないそうだが、『ゼルダ』をプレイするためにWiiをオークションで購入してまでプレイ。「前作『風のタクト』のほうが個人的に好きでした。リアルじゃない方向性のほうが好きで、『大神(OKAMI)』もそういったデフォルメされた表現なのでやってみたいと思いましたね」(同)とコメントした。


 今後のことに話が及ぶと、神谷氏は「いまは新しいゲーム作りに挑戦しています。すでに触れるところまできていて、僕にしてはかなりペースが速いですね。手応えも感じているので、皆さんがびっくりするようなものを発表できるんじゃないかと思います」とコメント。石原氏の「いつごろ発売されますか?」という質問には、「がんばります、としか……」(神谷)、「どのハードでしょう?」(石原)には、「……神のみぞ知るということで」と苦しい回答で、笑いを誘った。


 シンポジウムの最後に、受講者からの質疑応答が行われたのだが、なんと親子3代で『大神(OKAMI)』をプレイしたという女性が! 「私、この会場で最高齢じゃないかと思うんですが、娘に薦められまして、私と、それに78歳になる私の父と、親子3代で遊ばせていただきました。ゲームをやったこともなかったんですが、神話や日本風の絵に引っ張られて私もクリアーすることができました。私の父は、神谷さんと同じ長野の出身でして、孫娘に望郷の思いから作ったゲームだと聞かされ、絵が好きなこともあってプレイしたようです」と自己紹介し、会場中からどよめきが上がっていた。ちなみにこの女性の質問は、エンディングのスタッフロールにあった"神谷"姓の女性は、神谷氏の母親ですか? というもの。神谷氏は、「僕の母です。じつは、エンディングのスタッフロールを手書きで書いているんですけど、筆書きを母に頼んだもので」と回答し、「僕の母にもプレイを薦めたんですけど、早々に挫折してがっかりしていたんです。こういった声をいただくと、本当にゲームを作っていてよかったと思います」と感動の面持ちで語った。



●『シーマン』の斎藤氏と『パラッパラッパー』の松浦氏がゲーム業界の未来を語る!

 ふたつ目は、"文化庁メディア芸術祭10周年記念シンポジウム"と銘打たれたもので、"進化するデジタル技術 拡大するゲーム市場"という副題の元、ビバリウムの代表取締役社長を務める斎藤由多加氏と、七音社の代表取締役社長、松浦雅也氏が講演を行った。


▲斎藤氏(左)と松浦氏(右)はともに、他業界からゲーム業界へと入ってきた。斎藤氏は元々、企業の中でマルチメディアを研究する部署にいたそう。インタラクティブなものを本腰を入れて作りたいと思い独立し、それがゲームへとつながった。松浦氏はご存知のとおり、音楽ユニット"PSY・S(サイズ)"で音楽活動をしていたが、「もっとオリジナルの表現をしたい」と、プログラマーと組んで作り始めたものがゲームという形になったのだそうだ。


 斎藤氏は自己紹介を兼ねて、セガから2007年発売予定のプレイステーション2用ソフト『シーマン2〜北京原人育成キット〜』を公開した。映像だけでなく、斎藤氏自ら操作して見せ、「このゲームは、映画館から始まるんですが、一時期ゲームが映画化するってよく言われましたよね。映像的な表現を追及するというか。その時期から、ゲームがつまらなくなったと僕は思うんです。それをアイロニー的にゲーム中に盛りこみました」と、裏話を披露した。


 現在、ゲーム業界が置かれている状況について、両名は以下のように分析。


 「ゲームには、"見せる"と"聞く"というふたつの要素があると思うんです。このうち、描画能力やディスク容量など、見せる部分ばかりが進化してきて、ユーザーが入力する聞くの部分があまり進化していないと思うんですよ。どのハードも、Aボタン、Bボタンに十ボタンという同じインターフェイスで変化がなかった。でも、たとえばピアノを弾きたい人はAボタンとBボタンで同じ音が出せるとしても、やっぱりピアノを弾きたいと思うでしょう。入力をマイクにしたり、太鼓にするだけでとたんにおもしろくなるゲームがあるんです。ここにきて任天堂が抜け駆けして、新しいコントローラーをWiiで採用しましたが、プレイステーション4の時代になればまた違ったインターフェイスになっているんじゃないでしょうか。ただ、ニンテンドーDSが出たとき、クリエーターの発想が凝り固まっていて、ダブルスクリーンを活用するアイデアが出ないと任天堂さんがぼやいていたことがありまして、非常に難しい部分がありますね」(斎藤)


▲インターフェイスに多大な興味を持つ斎藤氏は、2006年に発売されたニンテンドーゲームキューブ用ソフト『大玉』を、Wii上で動かせるようにした試作品を公開! ゲームキューブ版では音声入力となっていたものを、Wiiリモコンでジェスチャーを使って入力させたらどうなるかという実験のために作ったのだそうだ。「すべてのコマンドは本来、ボタンひとつで済むものなんです。たとえば、100人の人を集めるのもAボタンひとつ。でも、それだと現実の質感がなくなっちゃうでしょ? それを何度もAボタンを押してひとりずつ集めたり、Wiiリモコンをこう振らせることで現実に近いリアリティを持つんです」と、インターフェイスの持つ重要性を説明した。


 「僕が『パラッパラッパー』を出した当時というのは、日本のゲーム産業を100とすると、アメリカもヨーロッパも35くらいだったんです。それが2006年には、日本が100なら欧米はともに350くらいになっているんですよ。日本は明らかに、ゲーム産業の中心からずれてきていると思います。海外に行く機会も多いんですが、向こうは新しいチャレンジを果敢にやっていこうという機運があって、逆にさみしく思うことが多いですね。音楽でも、2000年にワーナーミュージックが世界でリリースしたCDの中で、日本に輸入されたものは1パーセント以下なんだそうです。そのほかは日本に入ってこないし、日本からも出ていかない。まさに鎖国状態で、僕はよくないことだと思っています」(松浦)


▲松浦氏は、2005年に6人ほどのチームでニンテンドーDS用ソフト『たまごっちのプチプチおみせっち』を作り、これが100万本を超す大ヒットに。現在は、100人近いスタッフで続編を制作中だ。ほかにも、海外からの引き合いが多いのだそう。


 このような状況に至った原因として、斎藤氏は「日本は精神論でゲーム作りをしている。アメリカの場合は、マニュアル化するのが上手なお国柄で、逐一ドキュメント(記録)を作っているからノウハウが溜まっていった部分があると思う。日本が旧態依然としているのに比べて、向こうでは分業もどんどん進んでいます」と指摘。松浦氏も、「以前、エレクトロニック・アーツのニール・ヤングさんに聞いたんですが、6〜10人の立ち上げチームで半年かけて企画を練り、半年かけて試作品を作っているんだそうです。あの会社は映画とのタイアップも多いし、そのペースでは発売のタイミングを逃すのではないかと聞いたら、実際の開発は1ヵ月だそうですよ。それこそプログラマ100人体制でやっているんですね。この部分では、日本のデベロッパーは戦えない気がします」と語った。


 その中で、日本のゲーム業界に光が見えるとすれば、「Xbox 360のLive アーケードのような、ネットワーク配信する小さいゲームにチャンスがあるのでは? 以前は大きなデベロッパーにいてスピンアウトした人をじつは何人も知っているんですが、日本人は大人数より個人でやるほうが得意。そういった人が活躍できる場をきちんと整えてほしいと思います」(松浦)。斎藤氏はクリエーターについて、「最近、"『ポケモン』みたいなゲームを作りたい"というような動機で業界に入ってくる人が増えているんです。新機軸のゲームを作ろうとしているのに、それってありもので言うと何ですか? って聞かれる。けっきょくありものの作品に引っ張られているんですね」と問題提起し、日本のデベロッパーが考えていかなければいけない課題だと語った。それでも、両名とも日本でモノ作りをすることにこだわりを持っていると語り、「新しいチャレンジを、ぜひいっしょにやっていきましょう」(松浦)とまとめた。


 

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