スマートフォン解析 【【おじゃる丸】の素性を、学術的に迫ってみる(2010年3月16日 mixiの日記転載) - コミニー[Cominy]

李厳命さん (12)

最近遊んでるゲーム

(最終ログインは3日以上)

最近のコメント

2019年01月05日 18:00

【【おじゃる丸】の素性を、学術的に迫ってみる(2010年3月16日 mixiの日記転載)

「この日記は、2010年3月16日にmixiで書いた日記の転載です。Wikiの引用などは当時のままです。予めご了承ください」


どうも、李厳です。



さて、今回はNHKのアニメ【おじゃる丸】において、前から気になっていたおじゃる丸の素性を、日本史の見地から調べてみようと思います。

実は放映初期の頃は仕事が夜勤だった為、夕方にやっていた【おじゃる丸】は、結構見てたりしてました。


しばし、アホな日記にお付き合い願えれば…と思います。








さて、まず最初に…

Wikiを読むと、設定的に彼は、『千年前(平安時代)のヘイアンチョウ妖精界の貴族の子で、自称やんごとなき雅なお子様』だという事。


つまりおじゃる丸は、「人間ではなく妖精」って事なんですが、そこで終わらせてはつまらないので、実際に人間だったら?と想定して、考えてみたいと思います。



…不毛だなんて言わないで下さいね。







まずは、彼のプロフィールなんですが…

【本名】 坂之上 おじゃる丸
【年齢】 5歳

…以上です(苦笑)


これしか情報がないんですが、これだけで十分!

最初に彼の出自ですが、千年前のヘイアンチョウ妖精界の貴族の子=「平安朝の貴族の子」であったと仮定しましょう。


氏は坂之上家との事ですが、Wikiにもあるように、桓武天皇の時代に蝦夷征伐を行なった坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)から取っているらしいので、田村麻呂の家系という事にしましょう。




そして今から千年前というと、確かに平安朝の貴族たちがいた頃で、厳密にはちょうど摂関政治の頂点に君臨した、【御堂関白】藤原道長からその子頼道に世代交代する時期です。(2010年当時)





…しかし、この時期にはすでに、田村麻呂の坂上家は完全に朝廷貴族の中枢にはいませんでした。

すなわち、おじゃる丸の言う【やんごとなき雅なお子様】が事実であるならば、もう少し時代を遡らなければなりません。






ここで、改めて時代を特定する情報を、幾つかあげるとしましょう。



1、「おじゃる丸」という平仮名混じりの名前
2、許婚(オカメ姫)がいる
3、坂上家がやんごとなき立場である




1は、ちょうど西暦830年代から900年頃にかけて、平仮名が文字として完成した時期だったので、おじゃる丸の父親が最新の流行を取り入れた字を息子の名前につけた…と考える事が出来ます。




2は、一見関係ないように思えますが、そもそも平安時代には【許婚】という風習がありませんでした。

…となると、結婚直前で婚約した形でおじゃる丸は現代に逃げてきた…という事になります(実際、アニメでもそのような描写がありますね)






それはどういう事かというと…


結婚寸前という事は、「おじゃる丸はすでに元服していた」という意味です。

一応、数え5歳(実年齢4歳)での元服というのも例があるので、無理難題ではありません。




…以前にも日記で書きましたが、「~丸」という名前は、『辟邪名(へきじゃめい)』といい、「丸」には【おまる=便器】という意味があります。



すなわち、わざと汚い名前をつける事で、病などを司る悪魔を敬遠させる意味があるんですが、これは普通、元服前の幼名につけられるモノなんです。




ところが、平安時代のある時期までは、大人にも『丸=おまる』の意味での辟邪名が使われていました。



…それは、坂上田村麻呂などの「麻呂(麿)」です。




日本では永らく、「丸」は『まろ』とも呼ばれていたので、その法則からいけば、実はおじゃる丸の正しい呼び方は「おじゃるまろ」という事になります。


実際の名前も、『坂上おじゃる麻呂』だったのかも知れません。





…そういえば、おじゃる丸は自分の事を『まろ』と呼んでますよね。

これは現代で言えば、5歳の雄大君が自分を『ゆう君』と呼んでいるようなもので、まったく不自然ではないです。






さて、なぜこれで時代が判るかというと、実は弘仁九年(818)に菅原清公(道真の祖父)の建議によって、朝廷の命名風俗が変えられるという出来事があったんです。


そしてこれ以降、貴族に『~麻呂(麿)』という名前はなくなりました。




すなわち、おじゃる丸が元服していて正式名がおじゃる麻呂だったとしたら、それ以前に元服していた可能性が高い訳です。





…ま、もっともおじゃる丸の言い分通り、許婚自体がオカメ姫の一方的な思い込みの狂言であったとしたら、この考察は台無しですがね。







3に関しては、「やんごとなき」をどのレベルまで指すのかにもよります。

坂上家では、田村麻呂の曾孫の代ではすでに四位が精一杯の位で、それ以降は五位の家に落ちてしまいました。




藤原道長の時代に至っては、坂上家の名前すら出て来ません。

やはりそれ以前、それも東北経営に行かず、京に留まった坂上家の中で、平仮名がナウかった西暦800年代後半におじゃる丸は元服したと見るのが、一番整合性がつきます。










…実は、そんな人物が一人だけ、歴史上にいるんです(以下はWikiの転載)




【坂上是則】(さかのうえのこれのり)
生年?~延長八年(930)

平安時代前期から中期にかけての歌人。
父は坂上田村麻呂の三男の坂上浄野(次男の坂上広野ともいう)の孫の坂上好蔭。子に「梨壺の五人」の一人で「後撰和歌集」の撰者坂上望城(さかのうえのもちき)がいる。三十六歌仙の一人。


大和権少掾・少内記・大内記をへて、延長二年(924)、従五位下加賀介に至る。「寛平后宮歌合」や「大井川行幸和歌」など、宇多天皇朝から醍醐天皇朝にかけての和歌に関する行事に度々進詠し、「古今和歌集」の撰者らにつぐ歌人であった。また、歌道だけでなく、蹴鞠(けまり)にも秀でていたとも言う。

「古今和歌集」以下の勅撰和歌集に入集。家集に「是則集」がある。

小倉百人一首
31番 朝ぼらけ 有明の月と 見るまでに 吉野の里に 降れる白雪(「古今和歌集」冬332)








…歌道だけでなく、蹴鞠にも秀でているとありますね。
まさに「おじゃる丸が大人になったらそのもの」ではありませんか。


菅原道真と同時代人って事になるんですね。


まさか、『小倉百人一首』の歌人の一人が、おじゃる丸だとは思いませんでした。



もし、今後『小倉百人一首』をやるような機会があったら、「朝ぼらけ~」ときたら、「おじゃ!」っと言って取ってあげましょう。

気分が出ると思います。



今回は、こんな感じで…

(すべての人に公開)

いいね・共有

いいね このブログにいいね!したユーザはまだいません。 このブログについて、 0人がいいね!と言っています
「いいね」をクリックして応援の気持ちを伝えてみませんか? Twitterアカウントで簡単に登録・ログインできます!

コメントするにはログインしてね(Twitter連携で簡単登録できます)

あなたもコミニーへ参加して、ブログを書いてみませんか?
ゲームの思い出を管理できるゲーム棚サービスもあります。

1位

トットテルリさん

FCのドクターマリオにハマっ...

2位

贋物(真改国貞贋作)さん

あれがゾンビですか

4位

黒影さん

五等分の花嫁

※全公開記事が対象です

1位

MAYRE_Kara_ageさん

使ったデッキのメモ(2.5.0B)

※全公開記事が対象です

1位

『艦これ』盛り上げ隊さん

【艦これ プレイ漫画/水本正...

※全公開記事が対象です