スマートフォン解析 石田三成ってどんな人なの?その1――仙樹さんの歴史の授業 - コミニー[Cominy]

天正院仙樹さん (117)

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2017年10月08日 21:41

石田三成ってどんな人なの?その1――仙樹さんの歴史の授業

こんばんは! 浅井家についてはよ書けと思っている方もたくさんいらっしゃると思いますが…w


今回はブログのコメント欄で「石田三成」について知りたい、というご要望を鷹野一二三氏から頂きましたので、今回調べて参りました。



三成は、ここ10年で一気に知名度が上がり、研究も進んだ戦国武将です。それだけに資料も膨大で、凄く時間がかかりましたが、丁寧に考察していきたいと思います! ファンの方も多いですし、二次創作の参考などにして頂ければと思います。それでは参りましょう!(^o^)


石田三成のイメージ


カード化されている石田三成は7枚もあるんですね! 特にDaisuke Izukaさんの三成は、少しずつ大人になっているので面白いですよね!(^o^)



さて、三成と聞くと、どんなイメージを思い浮かべますか?


「頭がいいけど、戦いは苦手」「秀吉から信頼されている奉行」「友達が少ない」「生意気」「クール」…こんな感じじゃないでしょうか。



これらのイメージというのは、実は「創られた三成像」というところがあります。


三成は、関ヶ原の戦いで徳川家康に敗北します。これは皆さんご存知だと思います。そのため、「江戸幕府の敵」という理由から、様々な逸話やエピソードが追加されてしまいました。



例えば、三成は「豊臣政権で、最高の権力を握っていて、秀吉に会うためには三成を介さなければならない」という点です。


これは完全に誤解です。



秀吉の統治は、分担して行っていました。大名もたくさんいますし、秀吉に会いたい人はたくさんいますから。


例えば、蒲生氏郷・伊達政宗・最上義光・南部信直・相馬義胤などが、秀吉に会いたい時は…


浅野長政を通さなければなりませんでした。


お分かりかと思いますが、浅野長政は、東北地方を任されていたワケですね!


いわゆる「取次」と呼ばれるものですね! 他にも…



黒田官兵衛は、鍋島・大友などの北九州を担当していました。


三成はというと…



上杉家・毛利家・島津家などを担当していました。


なので、権力を独占していたなどというのは、後付けだと考えられます。フロイス『日本史』にも三成のことは、ほとんど話題に出て来ません。



他にも目立つのは「忍城の戦いで敗北した」という話です。


『のぼうの城』などで有名になったので、ご存知の方もいらっしゃると思います。


三成が総大将で、忍城を水攻めにして落とそうとしたが、失敗してしまったという話ですね。


この水攻めの指揮を執ったのは三成だと言われていました。


ところが最近、新しい史料が見つかり、「水攻めをやれ」と命じたのは、実は秀吉だったのです。


なので、三成は失敗しましたが、ほとんど罰を食らうことはありませんでした。



ここまでを簡単に見直しますと…「権力があると思ったら実は普通くらいで、戦も命じられた通りにやっていただけで、下手じゃない」と。



実は最近、「五奉行」という役職が、実は存在しなかったのではないのか、という議論も盛んに交わされています。


(私もこれにかなり賛成派です。ただし「奉行衆」という仕事は、秀吉が天下を獲る早い段階で、存在したのではないかと思っています。でも宣教師の手紙に「五人の奉行が~」みたいなのを見たので、どっちなんだろね?w)



他にも意外に知られていないことが、三成はハイスピード出世をしていきましたが、最初の出世は「戦いでの武功」です。


賤ヶ岳の戦いで、敵の偵察をして、更に加藤清正・福島正則らと一緒に戦いました。


つまり、「戦下手」というのは全くの誤解だと私は思います。



とはいえ…三成が傲慢だったエピソードなども残されています。



毛利家の家臣の児玉元良という武将が、「貞宗」という脇差を持っていました。(画像の女の子・二の丸殿のお父さん


三成はそれが欲しかったのですが…豊臣秀次(刀剣大好き)も、貞宗を欲しがっているという噂を聞きました。


三成は、児玉の主君の毛利輝元に「児玉を説得して、俺に貞宗を寄越せ!!」と命じました。


輝元は、三成と仲が悪くなるのを恐れて、アッサリと貞宗を渡してしまいました。 リアル刀狩り


これは史書に残っています。


輝元としては、「どうせ取られるんなら三成の方がマシ!」という感覚だったと思いますが、三成は半ば横取りをしているワケですからね…


でも…何を目的に三成は脇差を横取りしたんでしょうね…? これ以上のことは分かりません。ここから先は読者の皆様の想像にお任せしましょう!



さて、今回は三成のイメージの払拭を狙って書いてみました! 如何でしたか? 初めて知ったことも多かったと思います。


「豊臣政権」というのは、最近になって盛んに研究が進んでいる分野です。研究者によって考え方なども大きく変わっていたりして、かなり難しかったと思います。



でも三成のイメージもかなり変わったのではないでしょうか?


三成は、傲慢なところはあったけれど、普通の奉行として、普通に仕事をして、しかもちゃんと戦いもやる、エリート社員だったワケです!



…そんな普通の会社員が、どうして関ヶ原の戦いの責任者という、非常に大きな大きなポジションを任されてしまったのでしょうか?


次回は、「石田三成と関ヶ原の戦い」を見ながら、「創られた三成像」を考えてみましょう! ここまでご閲覧ありがとうございました!(^o^)

(すべての人に公開)

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コメント

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2017年
10月09日
07:47

来た!佐吉来た!これで勝つる!←史実では負けてます

そうなのですよ、石田三成の頃の豊臣家って権力は分散してるはずなんですよね。
秀吉の遺言状だって五人(徳川家康・前田利家・毛利輝元・上杉景勝・宇喜多秀家)に当てたものでしたし、ここに石田三成の名前はありませんし。
石田三成は中間管理職なんですよねー、関ケ原も総大将は毛利輝元でしたしこの辺は筋金入りw

石田三成が戦下手、というのもイメージ的には関ケ原の敗北と忍城の敗北が原因でしょうが、そもそも関ケ原の布陣を采配した時点でめちゃくちゃ戦上手なはずです(周辺の意見を聞き入れたとしてもその度量があることになる)
なにせ決戦の為に軍を自由に動かせるスペースがあり交通の要衝である関ケ原を戦場に設定し、さらに有利である高所を先んじて占有し、さらには兵力差を活かした鶴翼の陣による包囲殲滅という勝利の布陣を築き上げていたのですから……!

結果?……ハハハ(汗

2017年
10月10日
23:22

MAYREさんいいねありがとうございます
松永久秀@不義さんいいねありがとうございます
zeroさんいいねありがとうございます
鉄甲竜さんいいねありがとうございます
津焔乃蔭さんいいねありがとうございます

>>1 鷹野一二三さんコメントありがとうございます

おおっと、関ヶ原に関しては次回に回す予定だったので…w ここでの記述は抑えめに致します。
ふと思ったのは、三成は「家康は城攻めが得意で、野戦なら勝ち目がある」と思ったかもしれません。三成が知っている家康の合戦の一つに、山中城の戦いがあります。山中城はかなりの堅城でしたが、家康はこれを力攻めで落とします。
長久手の戦いは、急襲戦で偶然味を孕んでいると見て、三成は大垣城を捨てて関ヶ原での野戦を選んだのかもしれません。まぁ完全なる憶測ですが…ww

豊臣政権が、今までにないやり方で日本を統治する国が、たった1人で専横的にやれるはずがないんですよね…w

御醍醐「それやって失敗しました←」

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