スマートフォン解析 今川家ってどんな家なの?その2――仙樹さんの歴史の授業 - コミニー[Cominy]

天正院仙樹さん (117)

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2017年09月17日 19:46

今川家ってどんな家なの?その2――仙樹さんの歴史の授業

こんばんは、天正院仙樹です! 今川編2回目となります


今回は、今川家がどんな家なのか、ということについて解説していきます!



ところでですが…『戦国大戦』で、その家の当主が何人カード化されているのかを、ちょっと気になったので調べてみました!



織田家は、織田信定、織田信秀、織田信長、織田信忠、織田秀信の5代!


武田家は、武田信虎、武田信玄、武田勝頼で3代!


徳川家は、松平清康、松平広忠、徳川家康、徳川秀忠、徳川家光で5代!


調べると、だいたい3代~5代くらいが多いです。



今川家は何と!



義忠、氏親、氏輝、義元、氏真、直房! 何とまさかの6代!!


戦国大名としては氏真の代で滅びた今川家ですが、そのあとは徳川幕府の下で、いいご身分としてちゃっかりと暮らしましたww


にしても…どいつもこいつも公家っぽいイラストなのが面白いですねwww



では、始めましょう。今川家がどのようにして勢力を広げ、滅び、どのように生き残ったのか…!


今回は、広げていった側を、次回に滅び、生き残った側を紹介します!


義忠から氏親、義元へ

ではいつも通り、今川家の家格を見ますと…ずばり最高値!!w


史上初の、上の上と言っていいでしょう!! 今川家は!!


…何だか回数を追うごとに上ばかりが来て、意味があんまりなくなっているような気も。


でも今回は、前回の上杉家を上回る名門中の名門です!



ちゃんとした理由があります。


今川家は「御一家」と呼ばれて、将軍と親戚関係にあり、鎌倉幕府・足利幕府の間で、常に有力な大名として君臨していました。なのでもちろん「源氏」です。


そんな中、今川義忠は応仁の乱で東軍に属して大活躍します!


東軍に属したのは、本拠地・駿河国のお隣。遠江国(静岡県の浜松らへん)に勢力を持つ西軍の斯波氏と対立していたからです…!


この応仁の乱の途中で、東軍総大将の細川勝元は、義忠に帰国命令を出します。


そして、遠江に攻撃しろ! という命令書を出しました。義忠は喜んで引き受けます!


ちなみに、この間に、北川殿と結婚し、伊勢氏と親しくなります。このことは後ほど詳しく…


さて、猛攻を仕掛け、順調に遠江国を切り取っていく今川義忠でしたが…途中で一揆に襲われて、討死してしまいます…!!



不慮の事態です。まだ足利幕府の影響下にある、超名門の今川家の当主が、死んでしまいました!!


跡継ぎの龍王丸くんは…まだ5歳でした。



そのため、小鹿範満という義忠の親戚にあたる重臣が、「5歳じゃ無理でしょ。ワシが継ぐ」と言い出しました。


いやいや…どう考えても、野心が現れていますよね…龍王丸に跡を継がせたいと思っている北川殿は、実家である幕府の偉い人に調停を頼みます。


それが、伊勢新九郎です!!


…結局、この調停は巧くまとまんなくて、ますますバチバチしたので、太田道灌に頼むことになり、ようやく収まりましたww



いずれにせよ、今川家当主には、龍王丸改め、今川氏親が就任。ですが…無事にはいきませんでしたww


この話の続きは、北条家の時に紹介したいと思います。 そこまで続くかどうか…ww



さて、氏親が当主となって、目指したことは3つあります。それは!!


・父が果たせなかった遠江国の制圧
・甲斐国への侵略
・足利幕府からの独立



このうち2つ目の「甲斐国への侵略」は、結局のところ武田信虎に阻まれてしまい、失敗しましたが…


残りの2つに成功しました!


早雲「まぁ1つ目を成功させたのは、ほぼワシのおかげだけどね」ドヤァ



…興味があったら調べてみてくださいw


それにしても、3つ目はどういうことでしょうか?



これはですね…歴史の授業で学んだことありませんでしょうか? 「分国法」という奴です。



は? 「分国法」制定したからって何で独立になるのよ? ってかそもそも「分国法」って何?



これはですね…「自分の領地で守らなくちゃいけない法律」です。


この「分国法」が制定される以前は、当然ながら足利幕府の法律(建武式目と言います)に従っていました。でも、今度からは「足利幕府に従わず、『分国法』に従いなさい!」というワケです。



そう、事実上の独立宣言です。


独立ってことは、幕府に従わないということです! 足利将軍は、一刻も早く今川氏を討伐させなければいけません!



では足利将軍は何をしていたのかというと…「まぁ、そんくらいならいいんじゃね?」と、まさかの無視!!


※この頃の将軍は、まず京都にいませんでした。追放されていて、それどころではありません。



今川氏の『分国法』がOKなら、ウチもOKだよね!」という形で、他の戦国大名たちも「分国法」をどんどん制定して、独立していきます。ある意味これが戦国時代の始まりを意味しているのかもしれませんね。



この独立スタイルは、義元の代になって更に顕著になり、守護不入の撤廃」という条文が追加されます。


これは、幕府が禁止していた「お寺や神社の領地を支配する」、「守護が入れない」ことを撤廃…


つまり、幕府の禁止を破って、完全に独立することを明らかにしました。



幕府は、もう抑えきれません。今川氏の勢力は日増しに大きくなるばかり!!


では…更に勢力を拡大するために、織田信長を倒そーう!!



…という時に、まさかの桶狭間の戦いで、今川義元は討死してしまいました(:_;)



ともかく!


今川家が重視したのは、「法律による支配」でした。


他にも今川家は、「寄親寄子制」(より おや より こ せい)などを制定して、「ここの足軽の、主君はどの武将なのか」などを正確に組織化していきました。



このやり方は、秀吉や家康に引き継がれていきます。江戸幕府の複雑な組織の裏には、今川家の複雑かつ正確な組織化が背景にありました。


(信長はあんまりこういうのやりませんでしたww)



さて、そんな厳格な支配構造が出来ているんなら、どうして今川家は滅びてしまったのでしょう? ちゃんと法律守っていれば、滅亡することもなかったんじゃない?



武田家とは違う形で滅んだ、今川家の滅亡と、その後の今川家は次回に解説します!



本日はこれまで! ご閲覧ありがとうございましたー!(^o^)

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コメント

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2017年
09月18日
06:38

今川家の当主って大体急逝するんだなぁ……。

信長の頃の織田家はかなり組織変動が大きかったので寄親寄子を取ろうとしても不可能だったのかもしれませんねー。
戦功しだいでガンガン昇格させたり、逆に長期間戦功を上げてない部下をおっぽりだしたり……w

2017年
09月18日
07:14

MAYREさんいいねありがとうございます
うにゅさんいいねありがとうございます
マサさんいいねありがとうございます
津焔乃蔭さんいいねありがとうございます

>>1 鷹野一二三さんコメントありがとうございます

確かにどいつもこいつも急逝していますね…残された家臣たちが困っちゃいますよね。

仰る通りですね、織田家は守護代の家臣でしたし、譜代の家臣も多くないはず。寄親寄子みたいな組織形態は無理だったと思われます。
まぁ単純に、信長みたいな突拍子もないことをやるタイプの人間が、法律に従うとは思えませんもんね…w

1番~2番を表示

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