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[隠れ家・天正院] トピック

2017年10月12日
18:52

仙樹の呟き4

仙樹の呟き、4つ目。

いたづらに 生き抜く勿れ ほととぎす

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2020年
07月02日
00:59

ぼくの日記の一文を紹介しよう(キリッ (唐突
()は筆者注じゃよ

「ラーーーーメン、昔ながらの醤油でいいんっすよ、とんこつは(所詮)ブームじゃよ、でもとんこつも美味しい、正統派とんこつが良い、しょうゆ豚骨はアレだな、カッコつけてジーパン履く(ママ)オタクって感じだな。一週廻ってダサいのよ、オタク臭いのよ、スラックスを履きゃええのよ、正統派なのよ。そりゃもう醤油ラーメンと同義じゃ、スラックスは醤油ラーメンなのよ。寝ますよ」

ここで筆者の「ぼく」さん。書き終えた感想をどうぞ。

「ぼくは天才か…?」

現場には酔っている者はおりません、極めて正常です。疲れてもおりません。
…以上、朝起きたら後悔する確率100%ニュースでした。

2020年
06月28日
11:57

またオードリー若林の本の話。

若林には、困ったときに相談する、70代くらいの男性がいるらしい。職業は「伏せておこう」と書いてあって、具体的にどんな立場かは書かれていない。(芸能関係の人物なのだろうか? いやそれなら逆に名前を出すか)

番組で、海に潜って海産物を取る、っていう企画に参加した時のこと。
岩にくっついた牡蠣を簡単に鷲掴みして引き剥がした若林。その時、若林は「何やってんだ牡蠣! 逃げろよ!」と思ったらしい。

この話を、その男性にした。

「若林くんらしい疑問だね」と笑いつつ、「なぜ、疑問に思うの?」と訊いて来た。
「ただ岩にしがみついている牡蠣、どうして生きているのかなぁと思った」と答えた。

「この世に存在する理由は2つある。1つは、“何かをしているから存在していい”ということ。もう1つは、“何の理由もなくこの世界に存在してもいい”ということ」

リストラされて自殺してしまう人は、1つ目が全てだと思っているからなんだと。居場所を喪って、家族や世間から冷たい眼で見られて、自分は居ない方がいいんだと思ってしまう、と。
それから、例えばホームレスが少年を襲ったら、ホームレスは捕まる。それは、2つ目の理由を脅かしているからなんだと。同時に、少年は1つ目の理由が全てだと思っているから、犯罪をされているという意識が薄い、という。


深いなぁ。
このエッセイは、ここから先がもっと深い醍醐味なんだけれど、それを書いてしまうと面白味がなくなるから、敢えて書かない。

2020年
06月26日
22:03

桜井誠は大変立派だけれど、『三国志』で喩えるなら張角であって、決して曹操とか劉備みたいなタイプじゃないだろう。でも、国を動かせる立場になれば、大衆の心を必ず突き動かす人物なんだろう。動かせる立場になれば。

2020年
06月22日
17:22

感受性を高める、っちゅー訓練をしましょうねってことで、毎日アレコレ考えている。

まず。自分が感動した時って何だったかなってことを思い返してみた。
人には2種の感動があって。まず1つは人間のドラマに感動するタイプ。もう1つは自然や建造物を見た時に感動するタイプ。似ているようで少し異なる。自分はどっちなんだろうなって思った時、どちらかと言えば後者なのかなとは思った。

この前に感涙したのは何だったかなって思った時、ミルクボーイの「M-1 アナザーストーリー」だった。
ミルクボーイ。結成12年。
ツッコミの内海さん、優勝時34歳。
ボケの駒場さん、優勝時33歳。駒場さんには新婚の奥さんも。
M-1は準々決勝止まり。2010年以後のTHE MANZAIでは1回戦落ちも経験。その頃のファンは2人しかおらず、単独ライブをやっても親戚の方がたくさん来場しているという。12年漫才やっていて、か。
内海さんは母親がくも膜下出血で倒れたことをキッカケに。駒場さんは海原やすよ・ともこに諭されたのをキッカケに。漫才に真剣に向き合うことを始めた。

優勝した後、内海は角刈りを刈ってもらう床屋のマスターのもとへ散髪しに。もう70近くのお爺ちゃんだった。
「見てた見てた。やったな」「今日からはお金取るで」とニコニコ笑いながら髪を切っていくマスター。内海の目から大粒の涙。泣ける。

駒場。M-1優勝直後、仕事ラッシュを終えて3日ぶりくらいに奥さんのもとへ帰ってきて。
おめでとうと言う奥さん。動画を見せてくれる。ミルクボーイ決勝ファーストラウンドで、点数が出て来る瞬間。映っているのは奥さん、母親、姪っ子さんたち。高い点数が出る度に、抱き合って飛び跳ねて喜ぶ家族。その姿を見て、普段クールな駒場さんが人目を憚らず静かに涙を流す。

うわぁ、もう書いていてこっちが泣けてくる。12年間という苦労の重み。そしてそれが報われたという歓喜。

あれ。俺は何で泣いているんだろう。って思った時、やっぱり、家族に迷惑をかけたり不安にさせたり、社会で活躍する友人たちに陰口を叩かれただろうし、頑張ってもウケなかったり、ふてくされたししたこともあったろうし。そういう「苦労」あるいは「努力」が全て報われたっていう。

こういう「努力」って、自分の勝手な妄想に過ぎないけれど、何でか自分の妄想を込みにして涙を流している。

これはあくまで一例で。他にも色々な例があるんだけれど、自分が感動するのって、コレかと思った。「時間」だ。
歴史の偉人や建造物を見て泣いたり感動したり笑ったり。お笑い芸人やタレントの苦労話を見聞きして泣いたり。これって、人の「時間」に感動しているんだ。

合戦で男女が生き別れ…みたいなのって、俺はあんまり感動できない。自分の実体験が薄いからなのかもしれないし、あるいは「イケメンと可愛い女だからそういうドラマが起きてんでしょ」っていうヤッカミなのかもしれない。

あ、でもいま合戦って書いて、『クレしん』の『あっぱれ戦国』で大泣きしたのは何でだったっけな。『新選組!』の山南の処刑で泣いたのも何でだっけな。これって時間じゃない気がするな。友情、か?

もうちょっと考え直してみよう。答えは1度ではそう簡単に決まらないはずだ。

2020年
06月21日
14:04

高校の頃、いわゆる主要科目ではない、所詮はちょろっと絵を描く程度に過ぎない美術の授業で、遠近法を真面目に学んだ。珍しいな、と思いながら線をてきとーに引いてバツを付けて、ここを目印にした絵を描く。

西洋美術の偉大な発明は、やっぱ画法を確立させたことだろうなぁ。
日本の美術では小技がやたらと活きる(波を描く北斎・雨を描く広重。こういった絵は海外に衝撃を与えたのは周知)、戦争で言えば、戦略を創ったのが西洋。戦術を創ったのが日本か。

周りの生徒は、バレないようにGoogle検索でてきとーに検索して、それを模写してた。
俺は一生懸命やってみた。そこそこいい絵が出来た。オリジナリティは薄いが、まぁ「巧さ」のある絵だった。文字通りの自画自賛。

何というか、ウチの高校の美術だけって可能性もあるが、「クリエイティビティ」を披露する場であって、「テクニック」を学ぶ場所じゃなかった。なのに、あの授業だけ「テクニック」を教えてくれて、純粋に画力が上がったから、何だか記憶に残ってる。


いま、アニメーションの歴史の本を読んでいる。
ひそかな趣味の一つ。クラッシク・アニメーションを見ること。白黒のディズニーとか。何ならディズニーより前の話を。
で、ウィンザー・マッケイという、ディズニーより前に活躍した『リトル・ニモ』や『恐竜ガーティ』を創った人の歴史を知ったが、この人はアニメーターになる前は漫画家だった。尚且つ、漫画、そしてアニメの中に早い段階で遠近を取り入れた描き方をしていた。アニメーションの中の、まだ路の世界に、新しい技術を取り入れようとしていた、芸術家と呼ぶに相応しいアニメーターだった。この話を読んでいて、自分の美術の授業を、ふと思い出した。
遠近を用いるだけで、何でか急に絵のクオリティが飛びあがる。

2020年
06月20日
11:39

考えていて、詰まった時は、林修の言葉が本当に励みになる。

「社会で活躍するために必要な力は2つ。1つは、"解決"する力。2つは、"創造"する力。この2つに尽きる」

人とのコミュニケーションだったり、あるいは計画性や集中力などは、"解決"の布石であって、最終到達点は"解決"だ。
一方の"創造"は。0から1を創り出す、という考え方が一般的だが、どちらかと言えば、「どこかから1を持って来る」という"吸収"みたいな力ではないかな。

「社会に出る前にやっておくべきことは、"失敗の実験"だ。"成功"の味を知ってしまうと、"失敗"するのが怖くなる。それは"成功"のハードルが高ければ高いほど。僕なんかは、"失敗の実験"をしなかったから、社会に出てから"失敗"の連続。でもそれは同時に、自分の不得意分野を知るための実験でもあった。そのうえで、『ここなら戦える』という場所を見つけた。それが、予備校講師だった」

では、自分が戦える場所を、どうやって悟るべきなのか?

「"群像の感覚"を知るべきだ。群像の中に、自分を置く。自分がどういう状況で、どの役割だったら出来るのか。これを客観的に見れないと、社会で生きていくのが大変。自分の実力を、客観的に見て、自分の強み弱み・特徴を見定められる。そういう能力が大切」

どうやって、群像の感覚を知ることができるのか?

「1つは歴史。自分に近い歴史上の人物を知っておけば、どういう状況で失敗したのか、どうして成功したのかを学ぶことが出来る」

活躍できるポジション…んー。この意識がどうも自分には薄い。自分が歴史上の人物、誰に似ているか。歴史って遠くにあるイメージが強すぎて、案外こういうのって思い付かない。
未だに自分の能力の、何が強みなのかが把握しきれていない。

「社会で活躍するうえで、一番勉強した方がいい科目は、圧倒的に数学」

これは繰り返し言われている。

「ぼくは話が巧いとよく言われるが、決して使っている言葉が高等なのではない。"情報の処理の仕方"、"要素の組み立て方"が、数学的でスッキリとしているからだ」
「『料理の四面体』という本に書いてあったこと。
『目玉焼き』と『スクランブルエッグ』と『オムレツ』の違いは何か説明できるか?
普通の人なら調理法を細かく分けて違いを説明する。
けれど、数学的に分析すると、料理とい のは全て、『火』を頂点とした、『油』・『水』・『空気』の『四面体』で説明できる。どれくらい強い『火』を使っているか。で、あとは『油』・『水』・『空気』を使っているか否か。(『火』の頂点は『丸焼き』、『火』を全く使わないなら『生もの』となる)
先述の3つの玉子料理の場合、全部『火』に少し『油』が加わっただけ。違うように見えるけれど、実は本質は同じ。敢えて名称を付けるなら、『卵焼き』は『卵の姿焼き』、『スクランブルエッグ』は『卵の崩し焼き』、『オムレツ』は『卵の崩し固め焼き』。
頭の中で数学的な整理ができる。あとはそれを言語に置き換えるだけだ。
これを“モデル化”と言う。物事の仕組みを単純化して、グラフなどで表すこと。
料理は、センスや感覚が必要になるもの。けれど、数学に特化していれば、物事を論理的に整理することが出来る」

「実際に社会で事件が起きた時は、“言葉”で事件が起きる。それを“解決”するには、まず確実に“モデル化”を行う。グラフを作る・データや統計を視覚化する。そして導き出した答えを、再び“言葉”に戻す。物事の要素をバラバラに分解。単純化して考える。どの科目か。絶対的に数学だ」
「それを概念に戻していく。国語が必要ということだ」

あたかも、用意された複雑な計算式を解いていくのに、よく似ている。数学が得意な人は、計算式を創れない。その一方で、国語が得意な人は、計算式が解けない。取り扱っているのは計算式だ。

「数学ができない人の文章って、情緒的で迫力がある。その一方で、説得力に欠ける傾向にある」

んーー、これは文学部にいたからよく分かる。使う言葉にハートが籠っていて、こちらのハートも動かされるところがあるけれど、よくよく思い直すと、どこか納得していない自分がいることってある。まぁその一方で、この「深い情緒」を編み出すのも、大変な努力が必要なんだけれど。


「面白い話をする人」をモデル化とかしてみるか。

2020年
06月15日
01:17

日記を書き始めた。12日からだから、2日目か。

Twitterがあって、ブログがあって。Twitterの裏アカまであって、更に「仙樹の呟き」まであって。それでも書けないことがあって。
いやどーーーしても、他人の目を気にしてしまう。面白いことを書こうとか。変なリプライが来るのが嫌だとか。それで中身の薄いことをTwitterに上げてしまっていた。
あと仕事の話とか、コンプラに関わることは書けない。どうしても個人名を出さないと気が済まないようなことってある。まぁ大概はそれって大した話じゃない。喜びにせよ怒りにせよ、自分の一時の感情だから。それにやっぱりネットって全世界の人が見られる、ってことが念頭にあると、喩え鍵アカでも書けないことってある。

でも日常を書き出すと、今まで捨てて来た、無駄にしていたことを、改めて振り返ることができて、何だか楽しい。
小学校の頃、日記って続かなかった。毎日が同じように感じたし、それに価値がないと思っていたから。でも違う。大人になると、出来事から生じる感情って、大切だし、人によって違う。それは人それぞれなんだから当たり前なんだけれど、だから見逃されていた。価値がないと思ったからだ。
けれど、「自分の感情」に一番価値があるのは、「自分自身」に決まっている。
日記帳には、「感情」を書こう。
出来事の叙述や、「考え」は、呟きやTwitterに任せればいいや。


本当に最近、「感じる」ということが薄まっていた。何でだろうと思ったけれど、批判や否定が怖かったからだ。「周囲の意見」からズレることが怖くて、ネット上に書けなかったんだ。
いま常盤貴子のエッセイ『まばたきのおもひで』を読み終えたから、感想を日記に書こうとしたんだけれど、書けない。感想が書けないんだ。思い付かないんだ。
これ別に、常盤貴子のエッセイがつまんなかったワケじゃない。つまんなかったら途中で読むのやめるから。

アニメを見る、映画を見る、ありとあらゆる表現物を見ても、感想が沸き上がらない。で、後で解説やレビューとかを読んで、「正解」を知ってから、自分の感想を上塗りする。それってもう感想じゃない。だから感受性が育まれない。ストップしてるんだ。

良いものさえ吸収していけば、勝手に感受性が高まると思っていたが、そうじゃない。良いものにつけ、悪いものにつけ、感想を抱き、値踏みをする。自分の物差しで、「価値」の長さを測る。その理由に自分なりの「正解」を叩き出す。これをしないと、本当の意味で「感受性」は高まらない。

今まで「良い物」ばかりを吸収しようとしていた。「良い映画」を見る、「良い本」を読む、「良いアニメ」を見る、「良いゲーム」をやる、「良い博物館」に行き、「良い店」の「良い酒」を飲む…
それさえ吸収しておけば、「良い自分」が出来上がるからだ。果たして「良い自分」は、一種ここに完成を見たのかもしれない。それは同時に「無個性」だ。

だから「面白いもの」であるお笑いにばかり奔っていたんだ。だって漫才は「面白い」か「面白くない」の2つしか感想がないし、会場の笑いで価値のあるなしが一目で分かる。

戦国武将だってそうだ。今の自分に「好きな武将」はいない。みんな「良い武将」に見えてしまうからだ。だから自分は、結局のところ「誰推し」なのかフワフワして分からないんだ。

もっとマクロに考えると、自分の個性が見えて来ないんだ。


凄い。たった2日ぶん日記を書いただけで、こんなことが分かった。
ソクラテスみたいだ。「分からないことが分かった」。一歩成長した気がするし、もっと成長できるはずだ。

このことは日記に書かないでおこう。日記を「面白い」の一言だけで表現してはいけない。それに「日常からの発見」だけが価値じゃない。

2020年
06月14日
01:40

親不知抜歯。により、禁酒なう。

かー、飲みたくて堪らん。
けど何だか、最近、何も考えず取り敢えず日本酒ばっかり飲んでて、何だか、疲労が抜けきるようなサッパリ感が薄いんよな。手軽に酔えるけど。

そう言えば、バーにはちょいちょい通うから、どこの店にも置いてあるような一通りのカクテルは分かったけど、結局のところ、何が一番好きなんだろ。いや一番はゴッドファーザーなんだけど、一番だからこそ普通の人とは飲まないし。

あとやっぱりカタカナ覚えるのは苦手だ…
ジントニックは、文字通りジンとトニック。けれど、ジンって麦酒というつもりで飲んでいたけれど、そのニュアンスで合ってるのかな。で、トニックとは? 炭酸水ってことでいいんでしょうか?
ジンバックはジン+ジンジャー。ジンフィズはジン+ソーダ水。
モスコミュールはウォッカ+ジンジャー。スクリュードライバーはウォッカ+オレンジジュース。

竹鶴は竹の鶴。山崎は山の先っちょ。富士山麓は武士の富む山はロクでなし。

2020年
06月12日
00:57

学園ドラマで。
今日から赴任した、学校の先生が最初の挨拶。
黒板に文字が書いてある。「一生懸命→一所懸命」と縦書きで書かれている。
先生役が言う。

「これが、僕のモットーなんだよね。
人には『一生』、『命』を『懸』けてやらねばならないことがあるよな。その大きな目的を達するためには、その人が今いるところで、今やっていることに最大の力を尽くす。つまり『一所』に『命』を『懸』ける。そういうことが必要なんだと、僕は思うんだよね。
僕は、ほやほやの先生。君たちも、ほやほやの生徒。お互いこの教室で、命懸けでがんばろう。な!」


…如何にも、学園ドラマの爽やか先生が言いそうな台詞だ。深く、濃いことを言っているようで、「如何にも」過ぎて逆に薄っぺらい。

で、これ、何のドラマかと言うと、『ウルトラマン80』の第1話。そして、今の台詞は、矢的猛こと、ウルトラマン80の変身前の姿。
どうだろう、ウルトラマンが言っていると考えたら、一挙に深みが出る。

これを普通に聴けば、「中学生の場合」あるいは「一般人の場合」で聞くが、下のように、

ウルトラマンの場合、
「一生、命を懸けてやること」=怪獣から人類の平和を守る。
「今いるところ」=地球。

となるんだ。
まさしく命懸け。それを爽やかな笑顔で、ウルトラマンにしか分からない物差しで諭すんだ。何かジーンと来たから書いてしまった。

2020年
06月10日
18:41

ガタガタ言わずに、新しいものを創ればいいんだ。何か言い訳をして、何かから逃げて、ウダウダウダウダ、ガタガタガタガタ、四の五の、六の七の、言葉を並べて、新しいものを創ろうとしない。だから"創れない人"になっちゃったんだ。

昔の『必殺奥州』みたいなのをさ。
今度は歴史に頼らず創ってみればいいじゃないのよ。
ファンタジーを今更作るなんて子供染みて恥ずかしいとか、んなこと抜かしてる場合じゃないのよ。
あ、和風ファンタジーを1から創ってみるか? ともいま書きながら一瞬だけ思ったけれど、まだ「新世界の研究室」のネタが、作りかけだしな。もう錆びちゃいそうなくらいに。

取り敢えず、ゆっくり取り戻すしかないんだよなぁ、「創る人」だった自分を。10年前の自分を。

2020年
06月09日
02:02

例によって眠れないんで、呟きましょう。


このコロナ禍のおかげで、世界の文明は少し進歩した気がする。乱世は文明を一歩前に押し上げる。

オンラインでの在宅ワーク、オンラインでの授業。夢にまで見た、「家から出ずに仕事」ですよ。
藤子不二雄が描いた、青色のところが縦線になっている古~いドラえもんが、解説してくれそうな言葉だ。
まだZOOMにせよTeamsにせよ、使い辛いところはあるけれど、着実に進化していくだろうし、雛形のようなものは粗方完成している。アプリ製作者も、まさか会議だけではなく、学校の授業で使われるとは思わなかったろう。

いやコロナ禍に限らず、前からそうだって。
ルンバとか、いま平然とテレビドラマやエッセイに出て来るけれど、これってとんでもない発明だ。勝手に掃除してくれるんだ。

「僕たちは掃除なんかしたことがない。お掃除ロボットのルンバが勝手にやってくれるんだ」なんて、まさしく縦線ドラえもんが言いそうな台詞じゃんか。

ここ20年での文明の進歩というのは恐ろしいもの。タッチパネルに3DにVR…

「21世紀のタバコは電子になってるんだ。悪い煙も出ないし、充電すればいいからいちいち買いに出かけもしない」
「通販がインターネット上にあって、欲しいものはみんなネットで買って、宅配業者が届けてくれるんだ」
「っていうか僕たちの時代には“インターネット”なんて言葉は死語さ。みんな“ネット”って言ってて、誰も“網”が元の言葉だなんて気づかない」
「白熱電球なんてまだ使ってるんだ。今はどんなボロい公園でもLEDさ。寿命は100年単位なんだ」

仕舞いには、『サザエさん』の三河屋のサブちゃんがウーバーイーツでバイトを始め、『キテレツ大百科』のブタゴリラは、イオンの安売り勝負で負けて自己破産し、『ちびまる子ちゃん』の花輪くんは、調子に乗ってリボ払いをやって、数万単位の金を払うことになっちまって、ヒデ爺に怒られるんだ。
恐ろしい時代がやって来たってもんだぜ。

2020年
06月08日
16:46

こう、大事な日の1日前とかって緊張する。で、誰かに話すと励ましてくれるワケだけれど、自分の場合は却って励まされると緊張が増して委縮して、本来のパフォーマンスを発揮できない。なので、大切な日の1日前、「明日が大切な日なんだよ」とは俺はあまり他人に言わない。言うと励ましてくれるから。励ましの気持ちはありがたいけれど、同時に重圧になる。

自分なりの解決法は、まず「不安と向き合う」。「どうして不安なのか?」→「こういう理由だ」→「なら1日でそれを克服までいかずとも、誤魔化す術を知ろう」、こうして不安の塊を削っていく。

そして「自信にあふれた人の姿を見る」こと。
普段、この手の芸は見ないようにしている。嫌になるからだ。
表現者という、感受性を見てもらう芸ならば、多少は緊張して覚束ないくらいの方が、見ていて心地いい。北野武とか、春風亭昇太とかが、噛みっ噛みの芸を披露してくると、「あぁ、この人も人間なんだな」と。お笑い芸人にせよ、役者にせよ、落語家にせよ、文学作家にせよ、表現者なら、誰でも「緊張」とは戦う。ところが「自信にあふれる人」って、それが見えて来ない。自分と技量の差を魅せつけられる。だから嫌になる。

でも、この極度の「緊張」の時に見ると、却って自分はリラックスできる。その自信にあふれる人は、「自分の仕事を、普通にこなしている」だけに過ぎないからだ。
「あぁ、普通にやればいいのか」という確認ができる。リラックスできるんだ。
談志の落語とか普段は聴かないんだけれど、こういう時だけ効く。


そういう意味で、自分が魅せられる映画は、アドリブが上手な役者が多かったりする。
好きなのは、いかりやだが、憧れるのは志村だ。
好きなのは、三船だが、憧れるのは勝新だ。
好きなのは、寺田だが、憧れるのは原田だ。
…もういいか。


まぁ何が言いたいって、昔の人は座禅を組んだり瞑想をしたりして、心を落ち着けたワケだが、それって近代になってから突然現れた「視覚優位文化」からは少し遠い。「視覚優位文化」に相応しい心の落ち着け方があって、それを知らないと、自分を巧くコントロールできない。


あと全っ然関係ないんだが、『アンネの日記』で、アンネが書いた、上から紙を貼って隠した下ネタジョークを、最近の研究者が強引に引き剥がして新発見して、世界中にニュースとして広まるのってエグいな。
ジョーク部分には「dirty」って書いてあって、アンネが自分で自分にツッコミを入れてるそうだが、ダーティなのはむしろ発見した研究者の方じゃ。

2020年
06月07日
23:46

「子供の体力、低下!」
…もう聞き飽きたニュースだ。10年以上前から「子供の体力がー!」とかいうニュースを毎年のように聞いて来たから、30年後には小学6年生もハイハイで学校に通うだろう。
で、記事の後ろの方には、「専門家はこう語る~」と、「学校での体育の強化に努める~」とまぁ、新聞記事お決まりのテンプレートだ。「教科を強化」ってワケですかい、なんてね。

まぁ、真面目な話をさせてもらうと、お察しの通り学校の体育には、何の責任もない。今の日本の体育は、実にベストな指導要領だと思っている。ハード過ぎず、イージー過ぎず、かと言って不要な種目はほとんどない。いらないものってダンスくらいのものじゃないかな。ゆくゆくは跳び箱とか棒高跳びとかも、新しい体育マシンが開発されたりとかして、取って代わられたりするのかな。

子供の体力が低下しているのは、物が便利になったからに他ならない。
ドアだっていま、ユニバーサルデザイン推奨で、自動ドアになる。
階段は、バリアフリー推奨で、スロープに代わったり、時には長い階段だとしても野外だってのにエスカレーター造っちゃう。みんなそっち使うわな。
もっと細かいことを言えば、瓶詰の商品や、ふりかけの切り口も、強い力を入れなくてもいいようになってる。
こういう事例って数え上げればキリがないんだけど、いずれにしても共通するのは、「力を入れる必要がない」ってワケだ。そりゃ当然のように体力低下しますよ。
別に批判してるワケじゃないし、文明が進歩してる証左なのだから、むしろ誇るべきこと。

…だっちゅーのに、何でこんな毎年のように体力低下が問題になってるのか理解できない。
何かいま、小学生でも、塾じゃなくて身体を動かすスクールみたいなのに通わせるらしいね。公園がなくなったり、遊べなかったりするから。お金払って公園で遊ぶってのは、何だか不思議な時代が来たってもんだ。

このへんの、身体を動かす系の話は、もうちょっと呟けそうだな。

2020年
05月17日
01:23

「ハライチのターン」の、岩井さんのトークが面白かったから、ちょっと編集しつつ文字起こしする。

牛角のご飯の話で。牛角の焼肉に、当然カルビがあるワケだが、一緒に食べるご飯の中に、「カルビ専用ご飯」がある。ご飯に、焼肉のタレ+薬味ネギ+韓国のり+白ごま。これと一緒にカルビを食べると、よりカルビの味が引き立つ。俺も大好き。
ところが。牛角のメニューの中に「カルビ専用ご飯専用カルビ」が存在すると言う。これを俺は食べたことがないんだが、「カルビ」とちょっと肉質が違うらしいと。
で、だ。「カルビ」を一番美味しく食べるには、「カルビ専用ご飯」を食べるべきだ。そして「カルビ専用ご飯」を一番美味しく食べるには「カルビ専用ご飯専用カルビ」を頼まなければいけないのだ。ということは、「カルビ専用ご飯」を一番美味しく食べるのは「カルビ」ではないということになる、と。なので、「カルビ専用ご飯専用カルビ」は、「カルビ」でなければいけないのだ。だって、「カルビ専用ご飯」は、「カルビ」を最も美味しく食べられるものだから。
つまり、主役が何によるかで、変わってくると。
「カルビ」を一番美味しく食べたい→「カルビ専用ご飯」
「カルビ専用ご飯」を一番美味しく食べたい→「カルビ専用ご飯専用カルビ」と。
でも、じゃあどっちの方が美味しいのってとこが分からない。そして恐らく多くの人は「カルビ専用ご飯」+「カルビ専用ご飯専用カルビ」を頼む。けれど、これはあくまで「カルビ専用ご飯」が美味しいのであって、「カルビ専用ご飯専用カルビ」は、添え物となってしまう。

で、ともかく。岩井は、「牛角には、『カルビ専用ご飯を一番美味しく食べれる方法は、カルビじゃありませんでした』って言ってほしいの。そしたら全てが解決するから」と言う笑

そのうえで、岩井は一つの結論に辿り着いた。
「カルビ」並びに「カルビ専用ご飯専用カルビ」を一番美味しく食べられるのは、普通の「ご飯」だったと笑
そうなってくると、こうなる。
「カルビ」を一番美味しく食べられる→「カルビ専用ご飯」。
「カルビ専用ご飯」を一番美味しく食べられる→「カルビ専用ご飯専用カルビ」
「カルビ専用ご飯専用カルビ」を一番美味しく食べられる→「ご飯」
「ご飯」を一番美味しく食べられる→「カルビ」
と、こうなるワケだ笑 矛盾の果ての相関図よ…

でだ。このへんから話が逸れていく。
これをガンダムに喩えると。
「シャア」がいて、「シャア専用ザク」がある。でも「シャア専用ザク」を一番相性がいいのは「シャア専用ザク専用シャア」なんだと笑

澤部「それもう『シャア』じゃん」

「シャア専用ザク」に乗るために生まれて来た「シャア専用ザク専用シャア」なのだ。「シャア」ではない。
そして、上記の理論に則れば、「シャア専用ザク専用シャア」と一番相性がいいのは「ザク」なんだと笑 「シャア」自身も本当は「シャア専用ザク」よりも「ザク」の方が相性はいい…!

岩井「…ということになるんだよ。悲しいよね」
澤部「いやそれ違うと思うんだけど…??笑」


「女性」のために、「女性専用車両」があるから、「女性専用車両専用女性」もいるんだと。

澤部「いやもうそれ『女性』じゃん」

「女性専用車両」は、痴漢防止のために作られたワケだけれど、どう考えても痴漢しないわっていう「女性」も「女性専用車両」に乗ることがある。けれど、ムッチムチの生足に、ミニスカートのスーツでフェロモンがムンッムンなくせに、痴漢されても大声を出さないような静か系のOL、即ち「女性専用車両専用女性」が、最も「女性専用車両」に乗るべきなんだと。普通の「車両」に乗ると、確実に痴漢されてしまう。

岩井「でも、俺の理論に乗っかれば『女性専用車両専用女性』は、普通の『車両』に乗っちゃうけどね」
澤部「乗っちゃうけどね~、じゃないでしょ」


この矛盾。そもそもを考えれば、「カルビ」を最も美味しく食べるために作られたのだから、「カルビ専用ご飯」なワケだ。「カルビ専用」なんだから。だから「カルビ専用ご飯専用カルビ」と「カルビ専用ご飯」を一緒に食べてはいけない。「カルビ専用ご飯専用カルビ」は、「カルビ専用ご飯専用カルビ専用ご飯」と一緒に食べなければいけないのだ。けれど、「カルビ専用ご飯専用カルビ」は、「カルビ専用ご飯専用カルビ専用ご飯」とは食べてはいけない。何故なら「カルビ専用ご飯専用」だからだ。でも「カルビ専用ご飯専用カルビ専用ご飯」は存在しないので、「カルビ専用ご飯専用カルビ」は、それ単体で食べなければならない、ということに行き着いたのだ。


澤部「それって岩井の一意見でしょうが!!」
岩井「でも理論上はそうでしょ?」


なんて面白い話をするんだろうって思った。まるで落語みたいだ。久々に腹抱えて爆笑した。岩井さんのネタの発想力ってすっげーなー…笑

2020年
05月16日
04:14

眠れないので書く。

直江兼続のストーリーを、コミニー以外でも1度書いていたので、2度書いたことになったけれど、結局は御館の乱で止まってしまった。
魚津城の戦いとか、本能寺の変とか、お船との結婚とか、もっと書きたいことがある。
いま思えば何も考えず、グダグダグダグダ書く癖があった。いらない描写が多すぎた。史実を書こうとし過ぎた。上条政繁、山浦国清、竹俣慶綱…このあたりの描写とかいらなかった。

一番いらなかったのは、『必殺奥州』の賤ヶ岳の戦い。あれ絶対いらなかった。無駄に長いわ戦うわ、面白くないわ、主人公いないわ。仲間に加わったのも竹中半兵衛って、今更かい、みたいな。柴田勝家が乙事主になる描写だけ描きたかった。カットする、ってことを考えて来なかったんだな。

『L&G』はほとんど『天地人』と『義風堂々』が下敷きなので、安土城行く話とか、「与六」の名の由来とか、そういうところから影響受けている。
けれど、これって短いながらも貴種流離譚だし、若い時に優れた人に出会う(信長、下間頼純、小十郎、吉継、村井長頼…etc.)のって、思春期で必要なことだと思うし。書いていた当時は気付かなかったけれど、若い時の「出会い」が持つ人間形成の占め方は計り知れない。
(自分自身も、師匠方に出会った経験が物を言っているんだろう)
だからこそ、兼続には、色んな人に会わせた。それは同時に伏線になっていった。

下間頼純とは、いずれ顕如に会わせる伏線だった。
吉継とは、兼続が関ヶ原に行けない気持ちを彼に託す。でも吉継は当初、東軍に行こうとしてたんだよな。ここに深みが出る。
村井長頼は、小田原攻めで出会い、関ヶ原後にまた交わる。
あと忘れちゃいけないのは、鶴鳥こと鈴木重朝。これは具体的には考えていなかったが、雑賀衆は自由が効く。重朝は西軍方で参加するし、何かに使えると思っていた。だから吉継と絡ませた。

小十郎は、兼続にとっての好敵手だ。けれど一味違くて、彼らには同じ逸話がある。秀吉から「俺の家来にならないか?」と聞かれる逸話だ。で、どちらも断る。ゴールは一緒。けれど、兼続は30万石、小十郎は5万石。この違いはデカい。
で、小十郎の方を、先にする。「5万石でどうだ?」と言われて、断る。周りから賛美される。
秀吉は「5万石じゃ足りなかったかな?」となって。兼続には「30万石でどうだ?」と持ち掛けちゃう。断る(で、傍に偶然居合わせた相馬義胤とかを居合わせちゃうんだ。石高は6万石しかない)。そうすると、むしろ美談じゃなくて紛糾を買うワケだ。ところが悔しいのは小十郎で、けれど悔しさを押し殺して賛美する。しかも、相馬が流した噂に便乗するのが最上義光。最上とは長谷堂で対決する。その最上も、七将襲撃で、徳川家康に三成を匿うように助言して、三成を助けつつ、家康に信頼を置かれる…

このへんまで考えていたんだよな。いや高校生でここまで考えてるの、すげーよな←
でも書かなきゃ意味がない。

そういう観点で、直江兼続を書いていった時…
って、あーー、長すぎるし、この辺りで。

…何か書こうと思ってたことからだいぶ逸れた。直江兼続の魅力って凄いねェ。深いねェ。あー、歴史の話したい。今度、誰かから聞こう。自分がしゃべるも好きだけど、聞く側にも回りたいのよね。

2020年
05月13日
12:25

『太田上田』を初めて見た。めっちゃ面白いこれ。『松本紳助』以来の番組だわ。
ただ2人がしゃべってるだけで面白いってのは本当に不思議だ。プロのお笑い芸人って凄いわ。

中京テレビかー。全国放送されないかなぁ。
Hulu契約するしかないのか。

太田の、地上波で出来るギリギリの笑いが好きなんだよな。漫才もめっちゃ好きだけど。

2020年
05月07日
23:18

兵部のストーリーブログの、宇喜多直家VS植田光次の、宇喜多の術で小便漏らしたと思ったら、実は術じゃなかったので勝手に失禁した植田の話、マジで大好き。
植田光次、気が付いたら仙樹ブログだけじゃなくて、群雄伝でもネタ武将になっちゃってるの、不憫だけど好き。

2020年
05月02日
11:31

>>302
この話を、もう少し詳しく書きたい。

恋人に何を求めているのか、を考えた時。
楽しい時間、安心、優しさ…他にも個々人それぞれであるだろうけれど、じゃあ性的消費はどうだろうか。
まぁ一切ない、0%です、という人はほぼほぼいない。
けれど逆に考えて、どのくらいのウェイトを置いているか、っちゅーことで。

この、言わば「恋人に求めるものランキング」みたいなのを考えた時に、自分はセックスをそんなに高く求めていないということだ。
(じゃあ自分は何を1番求めているのかなって考えた時、やっぱり「心地よい時間」とかなのかな)

逆に、意図してかせずしてか、「セックスが1番」って言う人、なっちゃった人も一定数いる。
個人的には、2番、3番でも、ちょっと考えが合わない。でも実際のところ3番以内に入る人は多いだろう。
そういう人が「自分はリア充だ」とか「陽キャ」だ「勝ち組」だの豪語する。
恋人を、自分の性欲の道具にしておいて、自分のリアルが充実している、と勘違いをしている。
(まぁ実際のところ、そういう人はさっさと結婚して、子供作って、どこかのタイミングで父親として覚醒して、幸せな家庭を築いていくんだけれど)

で。自分は(アブノーマルな趣味だからってのもあるかもだが…)セックスは、嬢だったりセフレだったりに求めていて、恋人に求めるものは、セックスとは違うところですよってこと(だから、恋人を抱く時はは、えっちって言って、そうじゃない人を抱く時はセックスって使い分けてる)。
恋人とのえっちも、一番愉しいのは、キスとかハグとか前戯とか声とか恥じらうところ見ることとか、一通り終わってお互いに荒い吐息を漏らしながら手握り合うこととかで、挿入と射精ではないって感じなんだよな。

2020年
04月27日
23:09

恋愛とセックスを、常に切り離して考えているんだけど、これっておかしいことかな。

2020年
04月27日
00:07

『STAND BY ME ドラえもん』のWikipediaに、宇多丸の批評が載っていて、「原作をよく知っていて、感動したい人だけを集めて、感動するシーンだけを流せば、そりゃ客は泣く」と評していて、確かに。と思わず得心してしまった。

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