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[隠れ家・天正院] トピック

2017年10月12日
18:52

仙樹の呟き4

仙樹の呟き、4つ目。

いたづらに 生き抜く勿れ ほととぎす

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200番~181番を表示

2018年
12月16日
00:34

お師匠が、「物語に於ける恋愛の成就とは、即ちセックスである」と教えてくださってから、性描写がない物語を見ると、何だか子供っぽく見えてしまうし、リアリティがない感じがしてしまう。
マンガや小説はともかく、ゲームが特に性描写がないから、どのストーリーも甘い味がする。アダルトゲームは逆にゲーム性が薄く感じてしまう。
小説や青年漫画が堂々と棚に置かれているのに、性描写があるゲームが棚に置かれないのはどうしてなんだろう。任天堂が天下を獲ったが故なのか。

とはいえ最近、恋愛とセックスは別物だって考えるようになって来た。でもだからこそ恋愛の究極的到達点はセックスなんだろう。お師匠の言葉が一周回って響く。
いや性描写がないからゲームがつまらんって言ってるんじゃないし、何より性描写好きだしね。おいら。

2018年
12月15日
23:38

以前に、『ドラえもん』の初版本をオフクロが購入していたことを記したが、同時に『ジャングル黒べえ』が収録されている『バケルくん』も持っていた。
幼い頃に読んで、『黒べえ』『バケル』ともに面白かったが、何故『バケルくん』の中に収められているのか、諸々よく分からなかった。

『ジャングル黒べえ』は、後に黒人問題に抵触する可能性があったことから自主回収され、『バケルくん』第2巻は、プレミア物となったらしい。なかなか大したものを持っている。

いまはガラクタと思われるものも、ゆくゆくは金に成る可能性があるってことだなぁ。

2018年
12月07日
12:57

文学の起こりの一つの流れとして、「語り」というのがある。これを形式化していったのが、『平家物語』とか、落語だったりするんだが、まぁともかく声に出して、話して、それで伝える。
これが物語だったり、あるいはノンフィクションだったり、あるいはそこを誇張したりするワケだ。

そう考えた時、春風亭柳昇の『与太郎戦記』とか、林家木久扇の『彦六伝』というのは、まさにノンフィクションな語り文学なワケで、貴重な記録でありながら卓越した物語となっている。

2018年
12月04日
12:15

この前、Youtubeで、「さんまのまんま」に松本人志が出ているやつを見たが、なかなかのものだった。
さんまと松本はかねてから不仲が謳われていたが、その松本が、さんまの番組に出演するというから、世間では話題になったらしい。2007年頃のこと。

表面上は何事もなく、という感じだったが、松本は、さんまの様子を伺う、という感じだったし、さんまは松本に半ば難癖とも取れるようなトークを吹っ掛けていて、客も空笑いだった。
さんまのいつもの甲高い引き笑いとかもなかった。
松本はさんまを立てているように見えた。
こう書くのも何だが、さんまは松本に、どこか勝てないと思っていたんだろう。自分よりも面白いと思っている自分がいたんだろう。そこで素直に「ダウンタウンに勝てない」と言い切った紳助とは、やはり対照的。

さんまは、たけしやタモリ相手ですら翻弄できるから、それを松本が上回るというより、松本のような、少し根暗なタイプの人間(なのにトーク巧いというね)に、さんまは相性が悪い、みたいなところがあるのかもしれない。

2018年
12月03日
14:01

M1の審査員についてで炎上騒ぎになっているけれど、いまのお笑い界の問題として、誰が一番面白いのかが、はっきり分からないのが問題なんじゃないのか。

紳助がいなくて、さんまが出なくて。志村けんはすっかり動物好きキャラになったし、タモリは外歩いてて、たけしは映画撮ってる。
落語家だって歌丸や談志が死んで、誰がトップなのかが全く見えて来ない。
実力がある=1番ではない。落語家の中で勢いがあるのは柳家喬太郎とか、昇太とか、談春になるんだろうけど、とても円楽や小遊三を差し置いて頭には行けないだろう。

そういう意味では、オール巨人の審査は非常に的を得ていて、的確だった。紳助の世代だ。第二世代の笑いは、そんなに面白いと思ったことはないけれど、上に立つ者としてやるべきことをこなしている。

そういう意味じゃ今田とか東野とかは、とっくに審査員の席に座って良い立場。松本は相応しいけれど、一般人目線だと炎上騒ぎで不信感を抱いている人も多い。あるいは、くりぃむ、ウンナン、ネプチューン、雨上がり、さまぁ~ずあたりを据えるのが適切な気がする。実際、大竹や宮迫は座っていたことがあったし。サンド富澤、中川家礼二は世代を代表して座り続けるべき。

っていうか出演者自体もそんな面白くない。サンドやノンスタに比べたら雲泥の差でしょ。これについても後で述べる。

2018年
12月01日
22:32

いかりや長介という男は、緻密にプランを練って、確実に笑いを取ってくる。何度も稽古をして、本番に臨む。どこで笑いを取るかとかも全て計算している。
ところが、志村けんがアドリブを入れるようになった。思わずいかりやも顔が綻ぶ。想定外のことなうえに、場当たり的な面白さというのは、事前に練ってる段階では発生しない。
言うならば、いかりやは笑いを取るために、楽しくないことを必死にやった。志村は、楽しいことをやって、楽しく笑いを取った。甲乙を付けるものではないけれど、一種、ドリフの分岐点だった。

そしてその後に、たけしとさんまが中心になった、ひょうきん族が現れた。あれはほぼ全てアドリブで、たけしもさんまも即興の天才だった。場当たり笑いの天才だった。前に書いたかもしれないが、どうも俺はこの手の笑いが出来ない人間で、事前に考えてやらないと出来ない。逆にさんまは、落語が物凄く下手だったと言う。いずれにしても、こうした場当たり笑いが天下を獲ってしまった。この時代がいわゆるBIG3だろう。


いまコントをやるテレビ番組がほとんどないから、「いまこのお笑い芸人は、どうして売れているのか」というのは、ほとんど分からないだろう。

2018年
11月30日
01:37

『カンタベリー物語』か、あるいは『デカメロン』のような。
大人数の飲み会の理想的な流れというのは、ある意味こうしたもののような気がする。まぁ実現するのは難しいし、自らこうした流れを作ろうとも思わない。
何より、もう当分、自分が話し手でいれるほど元気ではない。

2018年
11月27日
19:22

俺がみんなといる時に、ふとボソッと「酒飲みたい」ってボヤくのは、本当に酒が飲みたいんじゃなくて、単純に、そこにいるのがつまらないってだけ。その人達がつまらないのか、それとも自分自身がつまらない男なのかは分からないけれど、少なくともノリが合ってない。(だから酒を飲めば少しは楽しくなるか、と思うんだが、大概楽しくならない。俺はしゃべれない時はとことんしゃべれない)

あと「タバコ吸いたい」ってボヤくのは、その場から離れたいのと、ノリが子供過ぎて明らかに自分と合ってないってだけ。

「コーヒー飲みたい」は本当にコーヒーが飲みたい。

2018年
11月26日
00:56

知識と教養があるのに、天下の流れに流されるだけなのは、何だか興醒めですな。

2018年
11月21日
11:09

ふと。

文学の、その文字情報を通じて、作者と自分が交感するようなことが、時折あると思う。
「こういうことがあったんだよね」という文章に、深く共感を覚えたりとか。登場人物やあるいは作者が、強い興奮状態に陥っていると、まるで居酒屋でサシ飲りしながら話を聞いているような錯覚に陥る。

そうした時、より深い共感を覚えるのは作者によって異なるだろう。人の文才に合う・合わないみたいなものもあるだろう。

自分が深い共感を覚えるのは、連歌師の句か、あるいは遁世者の独り言が多い。
連歌師も遁世者も、人のコミュニティに出たり入ったりを繰り返す。それもコミュニティを壊さず。ふっと入り、気が付けばいなくなる。しかも大きな活躍や朗報を持ち運びながら。時にはそれが歴史をも動かしてしまう。
そして一定の居住地をほとんど持たない。持っていても、ごくごく小さい庵。そして気が向いたら外にひょこひょこ遊びに行く。

小川剛生の『兼好法師』を読んだら、兼好は検非違使庁に非常に近い立場におり、出自は、このあたりの下級官吏だったのではと述べている。本来の遁世者像を打ち壊し、兼好が持つ、冴えた経済感覚・豊かな法律知識を裏付ける説として説得力があった。
兼好は調べれば調べるほどに、多くの交友関係を持っていて、豊かな人生を送っていることが伝わって来る。人によってはどうなの、と思うかもしれないが、兼好本人はワリと自分の人生が充実で満ちているように見える。
こういうところが、何となく自分と重なって来るのかもしれない。

2018年
11月07日
23:26

『ウルトラマンが泣いている』を拝見。
薄い新書だったので、わずか1日で読み終えた。

内容の信憑性に、やや欠けるところがあって、作者が、初代マン・セブンの売り上げやロマンに引きずられがちなところが散見されるし、時代感覚のズレのようなものをところどころで垣間見た。読んでいる限り、この作者は頑張っていた。とはいえ、新しいウルトラマンが(ほぼ見ていないけれど)息を吹き返している以上、立場はないだろう。

それにしても、日本人の弱さのようなものがきれいに顕れていて、世界に誇れる技術者集団…なのに経営・経済・戦略・予算管理等々があまりにも杜撰。目を覆いたくなるような、まるでドラマのようにすってんてんと転げ回って全てを喪っていく。

最後に作者は家を売却して、最後の中国の映像制作も頓挫し、借金だけ残して退場するんだが、この人はいま何をして生きているのだろう。

2018年
11月05日
06:47

わりとこう、好き勝手をせずに生きてきたような気がする。

キルケゴールは『死に至る病』で、人間とは精神である=精神とは自由である=自由とは不安であり、不安は自由に由来する、と言う。

何故、自由が不安なのか。
あきづきしゃんみたいに、大学に6年もいて、親の仕送りをもらって、独りで暮らしている。これは自由だ。金にも時間にも困らない。だが、とてつもなく不安だと彼は常々こぼしていた。より近い例を出すとすればこれだろう。

で、この不安(=自由)から逃れるために、人間は自身を束縛していく。他者との関係や、自身が積み上げて来たもので。
だが、そうした関係性というものは、とても不安定なものでもある。小学校の頃の友人とは、当時の・学校でしか・会えない。その時間と場がなくなれば、関係性が無なのと変わらない。
だからこそ、不安から逃れるために、関係性を、己に掛けていく。

これに則れば、自分が色々な人と出会い、関係性を持ち、時に切り離したり切られたりして積み上げて来たものは、恐ろしく不安定で、その数だけ不安から逃れた気になって来ただけだったんだ。

こうして雁字搦めになった俺だが、一方には俺よりよっぽど自由に生きて来た奴がいる。人とはほとんど話さない。話し始めれば映画の話しかしない。しかも話を真面目に聞いてくれる奴にしか話さない。どこかで以前に書いた気がするが、もう卒業した大学院の先輩がいた。とにかく俺はこの人と馬が合わずに嫌っていたんだが、心のどこかには、うらやましさみたいなのがあったのだろう。

2018年
10月28日
15:43

私の本姓は、美作の有力国人・江見氏とされていて、山中鹿之助と共に戦った江見久盛は、直接の先祖ではないが、親戚関係にあった。後に宇喜多氏に仕官したものの、関ヶ原で敗れて減俸に遭い、本家は命脈を保ったが、支流である私の先祖は、熊本藩主・細川氏に仕えたが、さして禄はなかった。
いま思えば、尼子十勇士の称号は頑張って取るべきだったし、デッキに尼子経久が入っていたのは、奇縁と言っていい。

2018年
10月27日
20:41

オフクロに、空になった酒瓶は捨てたらどうだと打診されて、やや困っている。所詮はゴミでしかないから捨てるべきだし、埃もかぶってきて、なかなか。

ただ、酒を大切にすれば、酒の会を大切にするな、って思い始めて来た。
酒の会を大切にする人は、その会の治安というかモラルを守る、楽しい会にしようと頑張るから、人や会話を大切にするようになる。だからしょっちゅう言ってるように、俺は酒飲みじゃねェって。酒好きなだけだって。

2018年
10月26日
00:32

そうね。悟られたらもうおしまい。
だからこそ、人を騙し、妄信させるだけの技術を用いて、戦国大戦オフ。まだまだ三国志やワンダーより面白いってことを、話芸も絡めてプロデュースしていきたいね。

遠藤さんは飽きられなかった。
自分が飽きられたら、もうここで終わるだろう。

2018年
10月26日
00:31

再び落語家の話で申し訳ないんだけれど、先日、6代目円楽がガンで入院した。初期のものだったので、ちょっと手術してすぐに治って退院。その後に、元弟子の伊集院光のラジオに出演して、あれこれとしゃべっていたが、とても興味深いことを言っていたのでまとめとく。

円楽「(師匠である5代目圓楽が言っていたのが、)いまの世の中、映画もあれば娯楽になるものなんていくらでもある。だから“落語”なんてのはなくたっていい商売なんだ。なくたっていい商売なんだから、悟られるんじゃねェぞって言うんだ。これは名言だ。
世の中にはなくたっていいものがたくさんあるんだ。でもそれを悟られないで、面白いとか聞きたいとか思わせるだけのものを前に出して、客を引っ張らなければならない。だから、客を騙せるだけの、含みや詐術。騙せるだけの技術を持ちなさい。そしてバリューを持ちなさい」

成程なぁ、と。正確には5代目圓楽の言葉だけれども、6代目円楽の面白さの裏には、こういう技術があったからだ。
これは名言で、あらゆる物事に言える。
文学だって、戦国大戦だって、なくたって世の中は成立する。だからこそ、客を騙し、信じ込ませ、「面白いな」って思わせなければならない。飽きられ、悟られたら、もうそれはおしまいなのだ。

この後、6代目円楽は、「自分は師匠の言うことには面従腹背だった」と答えていた。
これをやれ、あれをやれ、という5代目からの言葉に、面と向かっては誰よりも従っていたが、同時に別のこともやっていた(英語や経済や人脈作りやらじゃないかな)。
これは、そこで話が終わって別の話に切り替わったが、こうした面従腹背をすると、逆に「これは正しいな」って思うものがピタリピタリと分かる。だからこそ円楽は6代目を継げた。

ただ一方で、5代目は生前から6代目のことを「お前は明智光秀だな」と言っていたらしく、5代目もやはり見抜いていたんだろう。

2018年
10月16日
16:14

以前に、小円遊の話を書いたが、やはりどうもギャップが激しすぎる。
心と脳の。あるいは外見と中身の。

自分のことを頭のいい人だと言う者がいるが、自分はそんなに頭が良くない。
詩才があるとか、クリエイティビティだとか、そんな才能は他に及ばない。

土居清良よりも最上義光の方が好きだ。

歴史の知識も浅知恵に過ぎない。文学の造詣もまだまだ浅い。
緻密に計画を立てる戦略家タイプなんて呼ばれたこともあるが、全くの正反対。


自分で創り上げたキャラクターが、まさか自分の首を絞めにかかるとは。
言いたいこと、やりたいことを出来ずに、ただただ偶像に苦しめられる。でも、自分が受け入れられないことを恐れて、自分でいられずにいる。ありのままの自分で良いと言ってくれる人は、この天下のどこにもおらんのです。

だから酒にばかり奔る。だって酒は裏切らないから。
でもその酒ですら節制して飲んでいるのに、みんな飲み過ぎてるだの何だのてきとーなことを言う。

2018年
10月01日
05:02

四年の歳月を費やし、自らの力量で以て、遂に学科が頭まで登り詰めたり。
其は運で持ち上げられたに非ず。或いは文学の知識で他を打倒したものにも非ず。
只、培いし自らの力量で。時に迅速な決断。時に的確な処断。時に老獪な果断。和歌も知らず、小説を心得ず、勉学に聡からざる自らが、何故ここまで来れたのか。それは、自らの力量で以て。この一文に尽きる。是、ことごとしからざりけり。

2018年
10月01日
02:39

『早雲寺殿廿一箇条』の十七に、
「よき友をもとめべきは、手習學文の友也。
悪友をのぞくべきは。碁、將棊、笛、尺八の友也。是はしらずとも恥にはならず。習てもあしき事にはならず。但いたづらに光陰を送らむよりはと也。
人の善悪みな友によるといふこと也。三人行時かならず、わが師あり。其善者を撰で是にしたがふ。其よからざる者をば、是をあらたむべし」とある。

碁、将棋、笛、尺八に長じる者は悪であるという。
これに準じれば、北条氏照とか片倉小十郎とか井伊直親とか栄音とかは、今でこそ笛が得意な風流な人物と思うが、当時なら、それこそ卑しいことを好む人くらいに思われたのか。幽斎も笛を吹けたはずだろうから、そこまで悪辣な考えではないだろうが。

2018年
09月24日
17:27

『三国志』で、いまいち張飛の人気が日本人にはない。中国では、今でこそ関羽だが、講談が主流だった時代には張飛が最も人気があった。孫悟空も似たところがあって、話芸に於いては、張飛の活躍やキャラクターというのは、相性が良かったからだと、どっかの本に書いてあり、まぁそういうワケで張飛に人気があったんだが、日本人で張飛が好きっていう話はほとんど聞いたことがない。

だが、『シンゴジラ』等々で、「味方の足を引っ張る味方がいないから見ていてテンポが崩れず気楽」みたいな話を聞いたことがある。
あぁ、成程なぁ、と。
日本人社会でよく言われる「出る杭は打たれる」の精神で、人が出しゃばって損をするところを見ると、「ざまぁ見ろ」とこう思うワケだ。だから張飛みたいなタイプは好きになれない。あくまでTPOの中で自分のやるべきことをやって、それ以上を求めない。
逆に中国人みたいな弱肉強食で、個で生きていかなければならず、自分が生き残ることに精一杯な国は、張飛のように生きてみたいと憧れるんだろう。

そういう意味じゃ、演義の関羽の無国籍性というのは優れている。仏教的でも儒教的でもない、道教的な価値の人物だからこそだろう。

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