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[隠れ家・天正院] トピック

2017年10月12日
18:52

仙樹の呟き4

仙樹の呟き、4つ目。

いたづらに 生き抜く勿れ ほととぎす

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155番~136番を表示

2018年
06月18日
01:19

ある、ゴミくずみてェな女がおってだな。
もう、菌をひたすらまき散らす、有毒キノコみてェな女なんだわ。ゲーセンの姫でさ。

で、コイツに引っ掛けられた男が何人もおって、どいつもこいつも穴兄弟、みたいな感じ。しまいにそのゴミ女は風俗で身体売って仕事してるらしい。

まぁそれはともかくとして、俺はそいつが大嫌いなんだが、意外にも赤羽やあんこ姫さんなんかは、彼女はいい奴、才のある人だと庇う。庇うのが悪いんでは決してないんだが。

だからつくづく思ったんだが、絡む人を間違えたな。
人生の岐路、岐路で、出会うべき人を突き放して、楽な、楽な道ばかり歩んだから、そういう羽目に陥った。今の、刹那的な快楽ばかりを求めたが故に、末路へと至った。今が末路だということも見て見ぬフリをして、奈落の底へと堕ちていく。

人生は、導かれなければ歩むことなんて出来ない。俺には何人も恩人がいる。その恩人のことを思うと、くたばってはいけないな、と思う。
下を見ることも、時には大切だが、上を向いて行かなければいけない。
そういう感情がない、経験もない。経験しないから堕ちていく。そのスパイラル。

そういう人を見ていると、ザマぁ見ろとか、そうは思わない。
勿体ないと思う。
俺の後輩というか、仲良くなっていれば、それなりに世話をかけてやるのに、俺を裏切ったり、手を切ったり。そういうところで岐路を、選択を間違えるんだ。

ともかく、放っておこう。

2018年
06月17日
19:14

自分が他の人と違う、と思う時があるのは、人生経験の差。

もしも江戸時代の百姓であれば、行商や出稼ぎで外に出る時以外に、旅行をすることはなかった。天橋立や松島や厳島は、人の話でしか聞かない。
明治になってすら、幻燈でも用いなければ見ることは出来なかった。

だから今の世の中、海外も含めて、あらゆるところへ行こうと思えば行ける。未開の地と、知った土地では、知った土地の方が圧倒的に多い。

本を読むことだってそう。
日本には岩波とハヤカワがあることを喜ばなければならない。日本ほど翻訳書が多い国も他にない。

だというのに、今の人はそのありがたみを知らず、内に閉じ籠る。自分の中にだけ世界を創り、そこから外に出ようとはしない。

普通の人が、知らぬことを知り、行かぬところへ行き、出会わぬ人と出会う。
もしそれが、普通の人の2倍行ったなら…? その人の、2倍、自分は経験を積んだということになる。これが人生経験の差。

…反面、老け込むのが弱点だけれども。

2018年
06月16日
20:48

今日、久しく花散里とお会いしたのだが、やはりいいものですね…年上の女性って。

2018年
06月14日
21:11

個人的飲み会マナー10種

1つ、泥酔禁止
2つ、絡み酒禁止、強引に酒を飲ませるのも禁止。
3つ、トークは人を楽しませるためにする。自分のためにトークをしない。
4つ、トークはみんなにするのが基本。2人限りのトークをしない。
5つ、親しき人にこそ礼儀を。煽り・罵詈は控えめに。
6つ、飲み物→オードブルのビタミン→メインディッシュなタンパク質→〆の炭水化物→デザート、の順を意識する。
7つ、人のトークを邪魔しない。途中から割り込み禁止、茶化し禁止。
8つ、つまらなくなったら帰っていいのだぞ。
9つ、人だけじゃない。酒と飯と器にも、礼儀を欠かさない。
10、「頂きます」と「ご馳走さま」と「乾杯」は欠かさない。

2018年
06月14日
20:07

いまオリンピックのボランティアが盛んに議論されているが、似たようなことが別の場所で起きている。それは日本の博物館会議。

「ICOM」と呼ばれるもので、博物館の世界的な学会みたいなものだと思ってほしい。

2019年に開かれるのだが、先年にはフィレンツェで開かれ、ウチの教授が学会発表を行ったらしい。
この時に発表に参加した、一番人数の多かった国は、中国だった。
のべ参加者も、発表人数も、日本の2倍以上はいたらしい。
ただ、発表は酷い英語で、内容も大したものではなかったという。中国の英語力や内容を嗤うワケではなく、参加できるだけの国からの予算や支給額が、日本と違うということに着目しなければならない。

だが、中国人の友人に話を聞いたところ、「日本は少し出掛ければ博物館や美術館があるけれど、中国には大きなものが2つ3つしかない」と答えた。

成程。日本もかつては、(動物園などを除くと)東京・京都・奈良・福岡の4か所にしかなかった。これと似た例だろう。
中国は好景気を利用して、一気に地方博物館が増えるだろうが、バブルが弾けてしまえば、低迷するに違いない。日本やその他先進国と同じ末路を辿るだろう。

その一方で、地方博物館が勃興すれば、民俗学が特に活性化する。
そうなれば、『三国志』や『西遊記』に関する伝説も、また増えるかもしれない。楽しみなところだ。

2018年
06月12日
00:02

なだぎ武が大好き。古すぎるかも?

で、何でテレビから消えちゃったんだろなぁって、ずっと思ってたんだけど、Youtubeの「黄金列伝」って関西の番組で、プラン9の取材が行われていて、なだぎ脱退直後でどうなるのか、みたいなのを趣旨にやっていた。
プラン9は元々、関西に拠点を置いていたから、東京の番組ではあんまり見ない。だが関西ではばりばり活躍しているらしい。

しかし、なだぎは致命的にトークが下手。
コントをやっている姿からは想像もつかないくらいに言葉が出て来ない。

その番組ではダイジェストで、なだぎが登場して、脱退の理由や、他のメンバーを一言で表すと、みたいなトークをするんだが、まぁカットが多いわ、内容も伝わって来ないわで、なだぎのトーク力のなさを強く感じた。確かにこれは、飲み会とかトーク番組とかにいていいタイプではない。たぶんリアルで会ったら、自分が先輩なら可愛がるんだろうが、後輩なら自分が生意気な口ばかり利いて仲良く出来ない。

似ている人をあげるとすれば、三谷幸喜と西村まさ彦みたいな人で、舞台上では輝くんだが、舞台から降りれば精彩を欠く。こういうタイプの人、たまにいるんだけど、「蓄光」と呼んでいる。自分が光を発するんではなく、舞台照明に照らされて輝く人なのだ。根は暗い。

2018年
06月10日
23:25

最近、話題に上り始めたし、以前から常々思っていたから言うんだが、日本サッカーがどうしてこんなに盛り上がっているのか全く理解が出来ない。

だって弱いじゃん、はっきり言って。

メキシコオリンで銅を獲ったことが全ての始まりなのか?
だとしても、どうしてこんなにメディアがしきりに日本サッカーを取り上げるのか全く分からん。
世界大会を見ても、野球のWBCと比べて衰退著しい。
オリンピックに出場できているのも、周りのアジア圏が強くないから、という風にしか見えない。
中田だったか中村だったかが、2006年頃のFIFAで落ち込んで、フィールドで仰向けに寝て絶望していたのも、感動しただの云々言ってるのが世論だったようだが、弱冠ながら周りからのプレッシャーと期待と、実績が追い付かなくて、どう顔向けすればいいのか分からないといった感じで、斟酌すればする程に可哀想だとしか思わない。
どうもイチローやら福原愛やら吉田沙保里と比して、中田英寿、中村俊輔、本田圭佑、長友、香川といった選手たちに精彩が見られない。何が凄いのか分からない。

何なら自分がプレーしていて、どう動くのが正解なのかさっぱり分からない。選手と監督のパワーバランスを見た時に、選手に対しての比重が大きすぎるように感じる。(だからこそ、しっかり采配の取れるサッカーの監督は優れているのだが)
サッカーやるくらいならフットボールなりハンドボールなりの方がまだ良心的で分かりやすい。何で足の短い民族の我々が、脚を伸ばして頑張らねばならんのか全然分からん。

日本サッカーが盛り上がる時なんて、ゴールに得点が入った時以外に何かあるんか?

2018年
06月05日
00:00

以前、別のところに書いたのだが、昔書いたRちゃんから、升をもらった。

いまRちゃんはワケあって縁を切っている。嫌いになったので切った。

嫌いになった奴から貰ったものだけれど、敢えて傍近くに置いている。
何ならいまそれで酒を飲んでいる。

島津義久は、寝室に敢えて悪人の肖像画を並べて飾り、夜寝る前と、朝起きる際に、「自分はこうはなるまい」と、己を戒めたという。他にプロイセンのモルトケも、似たようなことをしていたという。
敢えて嫌いな・苦手なものを傍近くに置くことで、自分を戒めることが出来る。
好きなものばかり自分の傍に置けば、それだけ己が弱くなる。

…歴史を学ぶとは、斯くあるべきと我は知る。

2018年
06月04日
00:51

2日に、誕生日会をやってとっても楽しかったんだが、その時の出来事。

兵部が「いま手元に“岩塩”しかない」と言ったので、俺が「『孔子』の“顔淵”か?」と返したら大いに笑われた。頭が良すぎるのも大概である←

2018年
06月03日
19:59

人はよく、裏切られるもの。
こうして成長すると、裏切られるのが恐ろしくなり、先んじて殺すこともしばしば。

足利尊氏は古今無双の英雄だが、晩年には、ともに戦った新田や楠木を討ち、後醍醐に叛いて朝敵となっても前に進み、師直も死に、あげく弟を殺し、甥と争い…仕舞に残ったのは、佐々木道誉のみであった。ただ、人が後の世に語るのは尊氏の業績のみ。尊氏の心を後の世に残そうとする者は一人としていない。だからこそ、心を殺してでも、前に進むしかない。

キリストも、カエサルも、信長も、皆々裏切られて死を迎えたのだから、英雄でも何でもない自分が裏切られるのは、さも当然のことなのだ。

2018年
05月31日
19:47

『ONE-PIECE』の白ひげが、立ったまま死ぬんだが、これの元ネタは弁慶の立ち往生。この逸話は有名だ。

その一方で、こうした「カッコいい死」というものを、見た記憶がない。
弁慶以外だと、柴田勝家や武市半平太の切腹の逸話なのだが、こういうものではない。

西洋の逸話を調べてみても、どうもキリスト教の影響で復活を意識して、死を語らないことが多い。
とすると逆に、この弁慶の立ち往生を考えた作家は、世界有数のクリエイターと言っていい。

2018年
05月30日
22:37

昨今の業界では、「文学部は不要ではないのか」という話が持ち上がり、その傾向は強くなってきている。
文学や歴史を研究することが、社会の役に立つのか、ということを考えれば、やはり反対者全てを納得させるだけの論理を展開することは難しい。
逆にそういう風潮だから、文学部の学生だって、社会に役立つタイプの学生に育つかというと、はっきり言って困難。
成績の悪い学生は言わずもがな、成績の良い学生や前に前に出て来る学生も、果たして社会適合者かと言うと、自分が見た感じ、やや怪しいと言わざるを得ない。

堀江貴文は文学部出身だが、文学部不要派。
「ほとんどの学生が授業に出席しておらず、自分もそう。学んだことはほとんど役に立っていない」と主張していた。

私は確かに文学部所属だが、本当に不要なのだろうか?
文学部出身者として、「文学部をなくしてはいけない」ということを、自分なりの言葉で主張出来るようにしなければならない。

以前に書いたように、そもそも文学というのは、社会に影響を及ぼすものではなく、個人の美的センスや価値観に影響を及ぼすものであって、むしろ社会から影響を受ける側の存在。
なので、文学が社会の役に立つということはない。けれど、社会に役に立つ学問というのは、果たして本当に重要なのだろうか?

グローバル化が進んでいても、日本語の堪能な外国人よりも、母国語しか話せないリーマンが渡日してくる。それでも活躍できる奴は活躍する。
活躍できる奴は、国籍も何も関係ない。学歴や学部も関係ない。

根本を辿れば、大学というのは、学問研究のための場であって、社会の役に立つ人材を育成する「ハローワーク」ではない。文学部が必要不必要以前に、いま事実上、大卒しか採用できない、この社会体制がおかしい。
それは、大学が衰退しているのではない。高校が衰退しているから。入ればほぼ確実に卒業できる。社会の役に立つ人材が必要な天下なら、まずそういう教育を施せということだ。
だいぶ話が飛躍しすぎているし、長くなるから一度ここで止めて、次回にまとめようと思う。

あーー、垂井のことも書きたいのに。

2018年
05月28日
20:29

『六浦』

三番目物で、冷泉為相の和歌がモデル。
秋の只中、楓の葉だけが紅葉していないので何じゃこりゃ、って僧侶が言ったら、冷泉為相の和歌であれこれ、と言っていつもの如く葉っぱの精霊が出てきて、くるくる踊って帰る。
どうも三番目物は、どこに鑑賞の重きを置くべきか分からない。良いものであり、舞を観るべきなんだろうが、素人の俺にはどれも同じに見えてしまう。やはり自分は武士であるから、こうした風雅のものは、なかなか理解しきれないんだろうな。『風姿花伝』を読めば少しは変わるか。良いのだが、良い以外に言葉が出て来ない。二番目物の方が哀れを感じる。でもそれ歌舞伎っぽいから、どうなんだろうね。

『殺生石』

五番目能かな。玉藻前が討伐されて殺生石となったのを、玄翁が祈祷を捧げて葬送する。
初めて五番目物を見たが、こんなにも恐ろしく、美しいものとは知らなかった。
能楽堂であったが、照明等々を使わず、これが篝火を焚き、闇夜に催した、本物の能舞台であれば、どんなに恐ろしく栄えるものであったかを思うと、殊更に良い。
舞台の途上、殺生石が割れて鬼子が出て来るのも、舞台装置として良い。当時の玉藻前は、あぁいうイメージだったのか。

次回は、かななんさんが『車僧』をやる。楽しみだ。

2018年
05月27日
09:45

書いていいのか分からないが、かななんさんは能楽師であり、かねてから能が好きだったので、ご機会を頂き、兵部と一緒に能を見に行って来た。

番組は、『放下僧』、『六浦』、『殺生石』。間の狂言は『酢薑』。

『放下僧』は、利根信俊を仇敵として牧野兄弟の敵討ちをする、まぁ良くある「仇討ち物」。
牧野兄弟は、利根に近づくために放下僧に扮して、相手を油断させて、斬る。
この利根の方が背も高くて美しいおじさまでなぁ…!!
兄弟が近づく前に、アイが放下僧の芸を薦めるのを、利根は「見ない」として断る。だが、アイが強く薦めるので了承する。恐らく放下僧が怪しいと見抜いたうえで、引き入れたのだろう。
ここに、牧野兄弟による仇討ちという武士の範としての面白さと同時に、カタルシス的な、崩壊を受け入れる利根の潔さのようなものが垣間見えた気がした。
歌舞伎の何と言う話だったか忘れたが、斎藤実盛が、後に自身を討ち取る手塚光盛を育てる、という話もある。カタルシス的な日本文学は、得てして多くないように感じる。

残り三つは、後にまとめておくとする。

2018年
05月24日
09:53

今回の、日大のアメフト部に関するニュースで興味深いのは、ほぼ全ての人の意見が、「監督側が悪い」で一致していることだ。自分も同じく。

学生には丁寧に謝罪をさせて、監督側は責任を取らない、いわゆる「トカゲの尻尾切り」。
更に学生の顔を載せるなと事前通告したにも関わらず、雑誌やニュースに顔を晒すメディア。(これも、上層部からの指示があり、逆らえない故であろう。いまは遠隔で指示を出すことなど容易だ)

どれもこれも、悪いのは年齢層の高い者らであることは紛うことなく、そして表に顔を出して来ない不届きな輩。こんなのがいまの日本の脊髄にいるのかと思うと反吐が出ると同時に、あと30年、早ければ20年待てば、日本は確実に平安が訪れるはずだ。

2018年
05月23日
00:20

『御伽草子』の中でも有名な『鉢かづき』は、『竹取物語』のアンチテーゼ的作品なのではないだろうか。

・かぐやが老若男女を問わず人気だったのに対して、鉢かづきはその奇怪さから、どんな人にも避けられた。ただ一人、宰相だけは鉢かづきに目を掛けていた。
・かぐやが求婚を断るために、難題物を要求するのに対し、鉢かづきは黄楊の枕を始め、求婚者から贈られたもので事態を乗り越えていく。
・月から地上に舞い降りたのが、かぐや。寝屋川から川を通じて都に舞い降りたのが、鉢かづきという、貴種流離譚としての共通性。
・どちらも贈答歌で物語が展開。また、かぐやが贈答歌をいくら繰り返しても男性との関係が進展しないのに対し、鉢かづきは贈答歌を重ねるごとに男女の仲が深まっていく。
・光という美しさに対して、鉢という鉢かづきの醜さ、暗さ。

閃きみたいなもので思い付いたことをバーッて書いたから、曖昧な論とかがいくつかあるけれど、しっかり精査すれば論文として成り立つんじゃないかな。

2018年
05月20日
09:09

昔、それも小学生くらいの頃、歴史の学習ビデオのようなものを見た。武田信玄と上杉謙信の、川中島の戦い、引いては戦国時代とは、というテーマで展開されたアニメだったんだが、武田信玄が勢力を拡大する際に、諏訪頼重、小笠原長時、村上義清を滅ぼしたワケだが、小笠原長時が山賊の親分のように肉を頬張って、「晴信が攻めて来たじゃとぉ!?」ってしゃべる。
いやいや戦国武将が肉を食うはずがなく…時代考証メチャクチャすぎませんかねェ…
しかも小笠原家って相当な名家なんだから、いくら何でもこの描き方は調査不足と言わざるを得ませんね…

2018年
05月19日
12:34

俺のサークルに、引退した先輩が毎週のように来やがる。
その先輩、一体いくつなのかというと、俺が1年の時の4年の先輩。本来ならもうとっくに就職して、社会人として生活しているはずなのだが、まず大学院に行って、今年の3月で卒業した。院生の名義でサークルに顔を出すならいざ知らず、結局就活をしなかったので、顔を出してくる。何やら立川の国文学研究資料館でアルバイトをしているらしいが、にしても、サークル(と言いつつ研究会)に協力もしなければ、ただ後輩とアニメの話をするためだけにやって来て、オゴリも当然しないで酒を飲んで、それで帰る。

別に何か害をもたらしているワケではないのだが、先輩として恥ずかしくないのか、っていうのと、後輩たちとおしゃべりしたいのに、何食わぬ顔でアニメの話ワンサカされて、何だか不愉快になる。
あぁいう先輩は恥だ。後輩どもが真似をしたらどう責任を取るというんだ。後輩たちがしゃべり辛くなっているのは、この先輩のせいだというのを自覚していない。要は甘えておるのだ。


で、そのアニメの話で盛り上がる後輩に、俺が「もしも、あの先輩のように俺が卒業したあとに毎週顔出して来たらどう思う?」と尋ねたら、「ぜひ来てほしいっす!」と言いだしたので、俺は良い後輩を持ったもんだと思い、顔をしかめた。

2018年
05月17日
11:41

時々、自分が恐ろしいな、と思う時がある。

これだけ多くの人と付き合っていれば、やれ優れた人、やれ大したことのない人、と思う時はしばしばある。心の底では。決して口には出さないが。
そんな中でも、やれ憎らしき人、と思う人もしばしばある。むしろ最近は、人のそういう面がよく見えるようになってきた気がする。

そうした憎らしき人とは、付き合わないように距離を置くのがベストなんだろうが、何故か、自分でも、思ってもいないのに「今度飲みに行こう」だの「また一緒に遊ぼう」とかいう言葉が吐いて出る。もし実際にそういうことになれば自分から断るだろうな、という相手にも言ってしまう。

…狡猾に、老獪になったと喜ぶべきか。
あるいはただの嘘つきの畜生にまで堕ちたと嘆くべきか。

2018年
05月17日
00:43

>>128

毎週のように、この教授の話をしていて申し訳ないのだが、恐ろしいところを垣間見た。
とっつぁん教授もそうなのだが、「あー、授業の準備してねーや」とか言いながら、専門の講義を、何食わぬ顔で講義することが出来る。まさしく専門家とは斯くあるべき、という姿を度々垣間見ることがある。

今日(正確には16日)、教授と2人で一緒に授業の教室へ向かう際、
「事前に準備されていないことを、さも当然の如く話すことが出来るのは、本当に凄いことだと思います」という趣旨のことを俺が言うと、
「ははは、当たり前だよ」と、教授は返された。

俺が、「例えば、我々が即興で“すべらない話”をするようなものです」と。
「実はあるんだな、これが」と教授。教室まであと30歩という距離だった。

「大学の駅の途中の、下北沢駅(仮)で、人がたくさん降りるじゃないですか。そのタイミングなら、僕もよく座れるんですけど、それで座ったんですよ。
そしたら向かいに座った女子高生がね、『聞いて。私の彼氏が…少年院に入っちゃったの』って言ってたんですよ!」

面白くて笑ってしまった。(いや面白くなくても愛想で笑うけれども。)
と、ここで教室に、ちょうどのタイミングで辿り着いた。

「ね。ピッタリだったでしょ」と。

見事。
七歩の才ならぬ、三十歩(みそほ)の才。

>>104 この話にも通じるところがある。

で、これも以前に書いたことかもしれないが、茶の湯の大家・千利休が「モテナシ」の極意として、常々気を付けていることが、「日頃から準備をしておくこと」というものがある。突然の来客や命令でも、いつでも、そして自分の出来る範囲で最高の「モテナシ」の茶の湯を常日頃から心掛けていた。
九州征伐に随行した際、秀吉は北九州の浜辺で利休に野点を命じた。すると利休は松の樹に鎖をかけて茶釜を吊るし、葉に火を着けて湯を沸かした。見事、野点をしたばかりでなく、北九州の浜を見ながら、松の独特な薫りに包まれて、秀吉をモテナシた。

教授には頭が下がるばかりである。

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