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[隠れ家・天正院] トピック

2017年10月12日
18:52

仙樹の呟き4

仙樹の呟き、4つ目。

いたづらに 生き抜く勿れ ほととぎす

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184番~165番を表示

2018年
10月16日
16:14

以前に、小円遊の話を書いたが、やはりどうもギャップが激しすぎる。
心と脳の。あるいは外見と中身の。

自分のことを頭のいい人だと言う者がいるが、自分はそんなに頭が良くない。
詩才があるとか、クリエイティビティだとか、そんな才能は他に及ばない。

土居清良よりも最上義光の方が好きだ。

歴史の知識も浅知恵に過ぎない。文学の造詣もまだまだ浅い。
緻密に計画を立てる戦略家タイプなんて呼ばれたこともあるが、全くの正反対。


自分で創り上げたキャラクターが、まさか自分の首を絞めにかかるとは。
言いたいこと、やりたいことを出来ずに、ただただ偶像に苦しめられる。でも、自分が受け入れられないことを恐れて、自分でいられずにいる。ありのままの自分で良いと言ってくれる人は、この天下のどこにもおらんのです。

だから酒にばかり奔る。だって酒は裏切らないから。
でもその酒ですら節制して飲んでいるのに、みんな飲み過ぎてるだの何だのてきとーなことを言う。

2018年
10月01日
05:02

四年の歳月を費やし、自らの力量で以て、遂に学科が頭まで登り詰めたり。
其は運で持ち上げられたに非ず。或いは文学の知識で他を打倒したものにも非ず。
只、培いし自らの力量で。時に迅速な決断。時に的確な処断。時に老獪な果断。和歌も知らず、小説を心得ず、勉学に聡からざる自らが、何故ここまで来れたのか。それは、自らの力量で以て。この一文に尽きる。是、ことごとしからざりけり。

2018年
10月01日
02:39

『早雲寺殿廿一箇条』の十七に、
「よき友をもとめべきは、手習學文の友也。
悪友をのぞくべきは。碁、將棊、笛、尺八の友也。是はしらずとも恥にはならず。習てもあしき事にはならず。但いたづらに光陰を送らむよりはと也。
人の善悪みな友によるといふこと也。三人行時かならず、わが師あり。其善者を撰で是にしたがふ。其よからざる者をば、是をあらたむべし」とある。

碁、将棋、笛、尺八に長じる者は悪であるという。
これに準じれば、北条氏照とか片倉小十郎とか井伊直親とか栄音とかは、今でこそ笛が得意な風流な人物と思うが、当時なら、それこそ卑しいことを好む人くらいに思われたのか。幽斎も笛を吹けたはずだろうから、そこまで悪辣な考えではないだろうが。

2018年
09月24日
17:27

『三国志』で、いまいち張飛の人気が日本人にはない。中国では、今でこそ関羽だが、講談が主流だった時代には張飛が最も人気があった。孫悟空も似たところがあって、話芸に於いては、張飛の活躍やキャラクターというのは、相性が良かったからだと、どっかの本に書いてあり、まぁそういうワケで張飛に人気があったんだが、日本人で張飛が好きっていう話はほとんど聞いたことがない。

だが、『シンゴジラ』等々で、「味方の足を引っ張る味方がいないから見ていてテンポが崩れず気楽」みたいな話を聞いたことがある。
あぁ、成程なぁ、と。
日本人社会でよく言われる「出る杭は打たれる」の精神で、人が出しゃばって損をするところを見ると、「ざまぁ見ろ」とこう思うワケだ。だから張飛みたいなタイプは好きになれない。あくまでTPOの中で自分のやるべきことをやって、それ以上を求めない。
逆に中国人みたいな弱肉強食で、個で生きていかなければならず、自分が生き残ることに精一杯な国は、張飛のように生きてみたいと憧れるんだろう。

そういう意味じゃ、演義の関羽の無国籍性というのは優れている。仏教的でも儒教的でもない、道教的な価値の人物だからこそだろう。

2018年
09月23日
12:15

2週間くらい前に、ファボった武将が悪役だったら~云々ってのを考えてて、それはそれで楽しかったんだけど、武将の心などを考えた時に、どうもコンプレックスとか、負の感情や劣等感から物事を考えている気がした。

例えば長尾政景なら、上杉謙信への劣等感。
松永久秀なら、織田信長への劣等感。

そういう意味で、尊敬している武将の、土居清良とか、島津義久とか、上杉景勝っていうのは、あんまり周囲に劣等感を抱いているタイプじゃない。

誰しも弱点なりコンプレックスなりを抱えている。それと向き合わなければいけない。跳ね返したり、無理に乗り越えたりする必要はない。ただ、向き合わなければいけない。

俺の人生だって、コンプレックスだらけよ。
小説の道だって、優れた人が何人も先を行ったし、運動だろうが学問だろうが、何でも先を越され、追い付くことはなかった。戦国大戦だって、俺より巧い人が何百人といるんだ。
でもそれに負けないくらい、自分が得たもの、積み上げたものもある。世の中、苦しいことばかりじゃない。ただ、行動理念とか、強く背中を押すくらいの衝動となる心情は、やはりコンプレックスなんだろうな。

2018年
09月15日
01:07

昔、自分は誰よりも波乱の人生を歩んでいると思っていた。
ところが、ある人、ある人、平凡とは言えない人生を歩んでいる。みんなみんな、波にもまれた人生だった。昔だったら考え難い、時にはヒステリックな、時にはドラマチックな人生を歩んでいる。
で、ふと思ったんだが…この現象はどれもこれも、教育が成り立ったからこそではないのか…? とふと思った。ふと。

2018年
09月14日
00:35

予定通り兵庫に行って来たが本当に良かった。

手塚治虫については何度も書いているのだが、再び書いておく。

自分が手塚治虫を初めて知ったのは10歳の頃で、その頃は藤子不二雄は山のように読んでいたが、手塚は読んだことがなかった。中学生の頃に『火の鳥』の鳳凰編を、それも演劇で観たのが、初めて作品に触れた時だったか。
その後、高校の頃に『アドルフに告ぐ』を夢中になって読んで、結局全巻買った。

幼いながらも、『アトム』くらいは知ってたし、『ジャングル大帝』のレオがライオンズのマスコットになってるから当然知っていた。何ならヤクルトが以前はアトムズってチームだったことも知っていた。
その時、手塚の伝記を読んで、初めて「手塚治虫記念館に行きたい!」と親に打診した。親からは、「兵庫は遠いから無理」と言われた。その夢を、10年越しに叶えたワケだ。兵庫なんて、俺から言わせればすぐ近くだ。

オフクロの福島の家には藤子不二雄の漫画がやたら置いてあって、『ドラえもん』と『キテレツ大百科』が全巻置いてあった。『オバQ』も何巻かあった。
けれど手塚が1冊もなかったので、「何でじゃ」とオフクロに訊いたが、よく考えれば、オフクロが幼い頃の手塚といえば、『ブラックジャック』以後なので、主に青年誌に活躍の場を移していた頃だった。そのうえで、オフクロは「手塚は考えさせられる作品が多い」と言っていた。確かに。

あきづきしゃんと一本さんが、俺に「手塚が好きそう」と言われて、確かに好きなんだが、あぁいうのは書けないね。すっきりあっさりが俺の作風だから。そうした憧れの作家の生まれたところへ行けたのは、本当に良い体験だった。

『アドルフに告ぐ』と『火の鳥』はぜひぜひ読んでほしい。

2018年
09月10日
04:04

度々、戦国大戦の郡山での交流会に参加しているんだが、それにしても驚かされるのが、主催の遠藤蓮台さん。

物静かでお淑やかな女性で、交流会の主催をやるような、パーティではしゃぎ回るタイプではないんだが、面倒事は全てこの方がやってくださる。
俺も度々、自由ヶ丘とか大森とか池袋で交流会をやったが、やっぱりゲーセンとの交渉とか何かと苦労や面倒が多いんだが、その面倒事を何一つ文句言わず、表に出さずにおやりになる。
郡山で実況をやるんだが、俺は何も不安に思うことなく郡山に向かって、マイク握ってべらべらしゃべっていられる。

それだけじゃない。
まず交流会やる前と終わった後、参加した人全員にTwitterでリプを丁寧に送る。「お会いできるのを楽しみにしています」「前回来れなかったの残念なので、今回は!」「お仕事、休み取れるといいですね」と。(天空のことを真面目に「ちんくうさん」と呼んでるのも人柄が現れてるし、笑う)
終わった後も、きっと少ししかしゃべってないだろうな、って方にも丁寧に「ありがとうございました」「またお会いしましょう」「お気を付けて」と。

そして終わった後に、交流会のまとめレポを描いてくださる。これが本当に素晴らしい。
単なるアフターサービスにとどまらない。自分が何べんしゃべろうが、所詮一瞬しか盛り上がらない。でもあのイラストがあるおかげで、度々思い出すことが出来て、盛り上がった記憶が一瞬で終わらない。記録という形で残っていく。あと単に自分が武将になるのが嬉しいし。自分は実況が巧いとか、おしゃべりが面白いってよく言われて、それはそれで嬉しいんだけれども、あのイラスト1枚には絶対に及ばない。
それにあのイラストがあるから、まだ来たことがない人が、「次回行ってみようかな」って興味を引いてくれる。絵が描けることのサービスを最大限に引き出してくれる。

あの方が主催じゃなかったら、こんなに協力していない。

あともう一つ書きたい。
全ての参加者に丁寧に挨拶してくれる。
前回の8月の会で、女性の主君が5、6人ほど集まって、アフターの打ち上げで女子会みたいな状態になってた。そんな折、ランカー勢+仙樹で、二次会に居酒屋行くことになり、席を外して先に会計をしていた。女子会が盛り上がってる最中だろうに、遠藤さんが独りお店の外に出て来て、ランカーさん1人1人にご挨拶してくれた。こんなにケアをしてくれる主催者の方は絶対に他にいない。

それからファッションも凄くセンスがあって、毎回キレイな衣装を着て来てくださり…!! 私服で岡部のコスプレしたり、はたまた前回はサッカーのインテルのユニフォーム着て来たりとか、自分なりに盛り上げようとして頑張っているのが素晴らしい。本当に尊敬する、そのサービス精神に。

これから、あと何回郡山で交流会が出来るか分からないし、これから就職もあるからどうなるか分からないけれど、出来る限り支えていきたい。こんなに頑張ってる人を、どうして見捨てることが出来ようか。

2018年
09月10日
03:21

>>119 随分と時を隔ててしまった。
いい加減、明日に兵庫に向かうのに続きを書かなければと。

菩提山城
標高400メートルほど。
かつて竹中重治の父・竹中重元が、地元の土豪・岩手氏を打ち破り、その後、ここに築いた。
時は中世末期。近世へと移り変わろうとしている時期だった。この後に急速に勢力を伸ばすのが織田信長政権。そんな折に築かれた。西暦は1559年。桶狭間の1年前だ。
織田政権以後、城の形態は大きく変わっていく。それ以前は、いつ合戦が行われるか分からない。最大重要事項は合戦。なので、合戦のために城を築く。山の上に城を築き、防衛施設を手厚くする。
一方で、織田政権以後、合戦の規模は大きくなり、大軍による人海戦術を取る。同時に、城は政治経済の拠点としての役割を持つようになる。天守閣は防衛にほとんど役立たないが、為政者の威勢を示すぶんには良い。なので山城から平城へと移り変わる。
そうした、移行期の寸前に築かれたのが菩提山城。そのために城の構造は、今まで登った山城の中でもトップクラス。
後に登山が趣味の友人Hちゃんに、「たった400メートル登るのに疲れちゃうの?」と煽られたが、「いやいや。城が簡単に登れたら城の意味がないでしょ」と反論した。
途中、きーくんとあきづきしゃんとSkypeで通話しながら登った。
やはり築城した後、早い段階で用済みになったらしく、確か1582年に竹中重矩が討死して、その後まもなく廃城になった記憶。美濃の拠点は垂井から、岐阜ー大垣ー関ヶ原を越えて米原ー佐和山(彦根)ラインへ移り、中山道となる。
まぁそういうワケで早々に引き払ったから遺構はキレイに残っていた。曲輪はもちろん、堀切、堅堀、切岸などははっきりと見て取れる。きっと近世に移行する段階で、この城の不便さはみんな身に染みていただろう。坂戸城を登った時も思ったが、ここに馬を着けるなんてのはかなり難しいだろう。城を初めて登る人にもちょうどいいかもしれないが、熊やら狸やらが出没するらしい。こわこわ。

城を下りて明泉寺と禅幢寺へ行ったのは先述の通り。
明泉寺は、竹中十六騎の一員・竹中筑後守と竹中七郎左衛門が、ここの出身だという。
後年、彼らの子孫に竹中彰元を輩出している。
真宗大谷派だったが、重治の頃は単に浄土真宗だったのだろう。台密の権力が強かった当初、地方密着型の寺院だったのだろう。竹中氏との連携も緊密だったのは想像に難くない。
禅幢寺は曹洞宗。恐らく竹中氏はこの曹洞宗信仰で、浄土真宗は垂井の地の信仰だったのだろう。天皇家に於ける賀茂と伊勢のようなものか。

3日目
主に清須。
城の遺構はほとんど残っていない。
清須のガイドマップを見ると、天守がある。あれは偽物だろうと思っていたが、実は豊臣秀次が築いていたんだとか。知らなんだ。でも改めて見たが、却って小さくてみすぼらしい。浜松城と似た感じがした。だが城の庭は丁寧に整備されていて、小さくも大名庭園らしさが良かった。海浜に浮き上がる大岩を彷彿とさせる庭園が、やや荒い尾張国によく似合う。
ここも学芸員様が苦労されているようで、当時の甲冑を再現した人形があるんだが、どうも当時のものと異なるような気がしたので説明をよく読んでみると、学芸員の手作りで、「違うところもあるんだが、大目に見てください」と書いてあり、とても苦労されているんだな、と思った。

その後、酒の飲み過ぎで舌炎が出来て、熱いものは飲み食い出来る状態じゃなかったので、カレーうどんとかきしめんとか食いたいものは山ほどあったがほぼ断念して、漬けマグロ丼を食して帰路についた。

ざっくりと書いてごめん。

2018年
08月29日
11:44

今週のヤンマガに、宮下英樹先生のインタビューが載っていたので買った。普段はコミックス派なので雑誌は買わないんだけれど、今回は衝動買い。

宮下先生のインタビューやテレビは、何度も確認しているんだけれど、「ひょうひょう」という言葉がよく似合う。
押せば退き、退けば押してくると言ったところか。普段は聞き手に回るんだが、話させれば確固たる意見を持っていて、核心を突いて来る。

どこか、渡辺麻友さんに似たところがある。
まゆさんもこういう感性を持っておいでだ。人に強く意見を言うことはないが、しゃべらせれば確かな意見を持って人に投げかけて来る。まぁお互いにネガティブなところが見え隠れするんだが…宮下先生は、ネガティブなりに頑張ってるところがまた尊敬する。

2018年
08月18日
14:46

警備員のバイトをしていて気づいたことがある。

この業界というのは、かなり特殊。
まず当然のことながら、仕事が全員同じ。立ってるだけ。
だから年功序列がほぼない。20代と50代、とかでは当然、差が出るけれども、1歳2歳。それどころか5歳ほど年齢差があっても、ほとんど関係ない。
たくさん出勤しているから偉いとか、そういうのもない。なので業界の中でのキャリアが積み上がっていかない。だから出世もほぼない。勤続年数くらいのものだが、そういう人が部長クラスになるのは、普通なら何十年もかかるだろう。
ともかく、人はほぼ使い捨てに近い状態。誰でも出来る仕事だから。(かといって労働環境が悪いワケではない。内勤社員は別だけれど、アルバイトなら良い方だ)

でもそういう業界でも偉い・偉くないが生じて来る。何かと言うと、「人格」。
全員が同じ仕事・頑張っても出世しない・年齢やキャリアによる差が生じない。ならどこで差が出て来るのかと言うと、「人格」となるワケだ。
内勤の人でも現場の人でも、たとえ疲れていても気遣いや譲る精神を怠らず、笑顔を絶やさず、話し相手になってあげることで、人から信頼を得る。一緒に働いていて楽しいと思わせる。わずかにそうするだけで、警備の業界では周りから信頼されて、仕事が楽しくなる。
人格が大切なのは、そりゃそうなんだけど、こんな業界、ほとんど他にないんじゃないかな。ということを最近気付かされた。

2018年
08月13日
15:52

友人に薦められてた映画をまとめてTSUTAYAで借りて見た。

『ビッグ・フィッシュ』って映画を見て、とっても良かった。
あんま好みのタイプの映画じゃなかったんだけど、でも面白かった。

それにしても洋画が好きだ。
最近の甘ったるい邦画よりよっぽど好きだ。
何でなんだろなぁとバイト中に考えていたら、2つくらい思い付いたのでメモ。

1つはやっぱり人間性だろう。
日本人はの役者は暗い。アメリカ人はどいつもこいつも明るい。見てて楽しい。一概に日本人が暗いとかはないんだが、心の内側を描き過ぎなんだ。どの映画も。斯く言う自分も。別に他人の感情なんて、大切な仲間でもない限り、普通の人間は捨象してしまう。ゲームみたいにのめり込むタイプじゃなくて、映画なら尚更だ。

2つは世界観かなぁと。
幼い頃に見た『トム・ソーヤー』の影響。アメリカって本当に自由な国なんだなぁと、幼いながらも感じてた。いやまぁ150年くらい前の話なんだから、それと重ね合わせるのもおかしんだけど。しかも文明違うし、そんなとこで絶対に生きていけないって分かってるんだけど、何かこう、トムに引っ張られるように見入っている自分がいる。
『十五少年漂流記』とかも幼い頃に何度も読み返したもんなぁ。まぁともかく、そういう幼い頃に培った潜在的なイメージ。俺の中では、一種の原始的な世界観に憧れて、勝手に「良いもの」として見入ってしまう自分がいるんだろう、と。

2018年
08月06日
21:02

唐突だが、尊敬するクリエイターを100人あげる。
思い付いた順なのでぐちゃぐちゃだけれどご愛敬にて。

1、紫式部
2、清少納言
3、和泉式部
4、在原業平
5、ソポクレス
6、ゲーテ
7、ドストエフスキー
8、シェイクスピア
9、プラトン
10、アリストテレス
11、陳寿
12、裴松之
13、トマス・マン
14、藤原定家
15、式子内親王
16、杜甫
17、李白
18、白楽天
19、手塚治虫
20、藤子・F・不二雄
21、宮下英樹
22、山田芳裕
23、王欣太
24、福本伸行
25、平野耕太
26、司馬遼太郎
27、池波正太郎
28、井原西鶴
29、曲亭馬琴
30、心敬
31、宗祇
32、細川幽斎
33、最上義光
34、千利休
35、古田織部
36、小堀遠州
37、俵屋宗達
38、東洲斎写楽
39、長谷川等伯
40、鏑木清方
41、夏目漱石
42、森鴎外
43、樋口一葉
44、田山花袋
45、徳田秋声
46、芥川龍之介
47、直木三十五
48、谷崎潤一郎
49、三島由紀夫
50、桂歌丸
51、5代目三遊亭圓楽
52、6代目春風亭柳昇
53、初代三遊亭圓朝
54、正岡子規
55、尾崎放哉
56、種田山頭火
57、紀貫之
58、源俊頼
59、羅貫中
60、サンドウィッチマン
61、アンジャッシュ
62、三谷幸喜
63、井上ひさし
64、井上雄彦
65、小津安二郎
66、黒澤明
67、ディズニー
68、宮崎駿
69、蜷川幸雄
70、ロベルト・ベニーニ
71、ロブ・ライナー
72、マーク・トウェイン
73、石川啄木
74、寺山修司
75、世阿弥
76、宗鑑
77、松永貞徳
78、坪内逍遥
79、幸田露伴
80、井伏鱒二
81、野坂昭如
82、吉川英治
83、俵万智
84、ダ・ヴィンチ
85、ラファエロ
86、ミケランジェロ
87、尾田栄一郎
88、岸本斉史
89、頓阿
90、橙乃ままれ
91、海北友松
92、カフカ
93、森下佳子
94、藤本有紀
95、ゴーゴリ
96、ヘミングウェイ
97、コッポラ
98、長谷川町子
99、沢田ユキオ
100、辻原登

2018年
08月02日
01:58

『徒然草』の129段で、凌雲の額に文字を書いて白髪となった…これは『三国志』(正史)に載っている、曹丕が命じた逸話だ。
つまり兼好は『三国志』を読んでいた。とすると、『魏志倭人伝』も読んでるはずだから、兼好は卑弥呼とか邪馬台国とかがあったことを知っていたということになる。
もっとも、当時の邪馬台国は、ヤマト国のことだろうと言われて、「邪馬台」も「ヤマト」と読んでいた。

話は変わるが、壱与、またの名を台与。
台与と書いて「とよ」と読む説もあるらしく、当時の中国語の音便的にも不可思議ではないらしいが、それなら「邪馬台」も「やまと」と読めるのではないか?
邪馬台国がどこにあるのか、という説は、研究者の間ではワリとどうでもいいことになっているらしいが、個人的には畿内説が妥当と考えている。だいぶ話がずれたな。

2018年
07月30日
12:14

ただただ伝えたかっただけなんですよ。

幸せにおなりなさい、って。

それを伝えることすら許してくれない。どうして女ってのは、男に対して慈悲がないんだろうね。

2018年
07月25日
21:47

三遊亭小円遊という落語家がいて、もうとっくのとうに亡くなった。40歳余りの齢だったと思う。

笑点のメンバーで、小遊三の前に水色の紋付を着ていた。桂歌丸師匠との罵倒合戦が有名。
特にキザッぽいキャラクターで、当時めちゃくちゃ売れていた。

ところがこの人は哀れな人で、キザなのはあくまでキャラクター。
でもテレビを見ている人からすれば、それが素なのだと勘違いしてしまう。
歌丸師匠とも、駅で仲良く話しているところを目撃された際に、「仲が悪いはずなのにしゃべってる!」と指を差され、以来、仕事の外ですら、仲が悪いのを演じていたんだそうだ。

そんな小円遊だが、その最期はあまりにも哀れな人だった。
キザなキャラなんて賛否が分かれるうえに、口から嘘を吐き続けるのは精神的に苦しい。
そのため次第に酒を飲む量が増えた。娯楽の少ない時代に、酒くらいしかストレスを吐き出せる場所なんてなかった。一種のアルコール中毒みたいなものか。
身体は完全に衰弱していたが、仕事は減らないものなので、仕事と酒を繰り返すような状態になりった。
晩年は滑舌も悪く、番組関係者からは相当キツく酒を控えるよう言われていたが、それでも減らず、とうとう地方公演の際に大吐血をして、そのまま亡くなった。

古典落語の名人と言われていたので、ゆくゆくは歌丸や圓楽や談志と並んだはずが、こうしてあっけなく死んだ。
自分の外見と、内心と、そのギャップが激しいと、こういうことになる。

あっけなくだとか、哀れだとか、そういう風に書いてるのは理由があってだな。
ギャップの激しい奴がいるのよ。酒も好きだし。ちょっとこれが脳裏をよぎってな。

2018年
07月22日
22:12

キーボードが壊れた。
友人に相談したら、買い改めるしかないと言われた。

こういう時に限って小説のネタがぽぽんと思い浮かんでくるんだ。

樋口一葉を読んでいて思い浮かんだ、尊敬する教授とその周りの人間関係を基にした小説とか、
以前に書いた『火の鳥』を元ネタとして最新の研究を盛り込んだ日本史を書く。東洋龍の鱗を食することで、永遠の命か、あるいは生涯の栄華のどちらかを極めることができる。(まんま『火の鳥』か?)

かぐや姫に「龍の首の珠」を取って来るよう命じられた大伴大納言が、かつて壬申の乱で人を殺しまくったことを東洋龍に幻覚として見せられる、とか。
平清盛が若い頃に鱸(これが実は東洋龍)を食ったために自身の生きている間は栄華を極めたものの、死後に平家は悉く追われたりとか。
永遠の命を得た清少納言だったが、定子ら中関白家は零落し、自身だけがのうのうと生き延びている話とか。
だいぶ前に書いた、兼好法師目線の『太平記』とかも書いてみたい。


作品名は、『龍の国』だ。
私はタイトルが先に決まることが、あんまりないから珍しい。

これは小説ではなく、演劇の台本にする方が、何かと都合がいいような気がしている。
小説を書くのも良いのだが、会話付き書いたりとかしてて思う。ト書きの部分が埋まらない。台詞劇の方が向いているというか、今までそっち方面で頑張ってた気がするから、ちょっとそっち方面で舵を取ってみたい。

2018年
07月18日
00:46

この3連休、渡辺麻友さんと一緒に郡山の戦国大戦オフに参加したんだが、むちゃくちゃ楽しかった…!!
やっぱり戦国大戦は最強のゲームだわ…

色んな方と出会えたが、特に虎斗さんと大会でマッチングして、その後お話できたことは本当に嬉しかった。コミニー始めたばかりの頃に、コメントでやり取りさせてもらって、そのことを覚えていてくれたことはとてもとても嬉しかった。ボロ負けしたけど、「いい勝負だった」って、どなた様も言ってくれた。

それから磁央さんともご飯に一緒したんだが、彼の体力とトーク力は本当に恐れ入る。しかもゲームも上手。絵も描ける。頭もいい。カリスマのある方で、人が集まるのもよく分かる。今まで出会ったことのないタイプの方だった。こんな俺にも優しく接してくれたし。

短い時間だったけれど、色々な人と出会えた。本当に楽しい時間だった。

上杉謙信が、一期の栄華、一杯の酒の如し、なんて歌を詠んだが、まさしくそれ。
楽しい時間は一瞬にして過ぎ去っていってしまった。

2018年
07月12日
22:57

もう良い時間が経ったので、書いても気付かれまい。と思って記録しておく。

2015年に自分の大学で「知のフロンティア」(通称・知フロ)が開講され、大変な騒ぎとなった。
自分は1年生で、これが人生で初めての講義だった。この担当教員は中学の頃から目をかけてもらっていた、とっつぁん教授。

曰く、『魔法少女まどか☆マギカ』を90分の講義全15回で、全話を解説する授業。

教室に入ると、あふれんばかりの学生。
学校で2番目に大きな講堂を借りても入りきらない学生の数。机を全部使っても廊下に人があふれ、レジュメは足りず。気持ち早めに来た自分も、机と机の間の階段に腰かけて、ざわつきを聞くばかり。
「これが大学の授業かぁ!!」とテンションが上がって、写真をパシャパシャ。LINEに送る、Twitterに上げる。

で、スマホの通知が突然鳴りやまなくなる。
何事かと思ったら、ネットニュースで話題になり、自分があげたレジュメの画像が勝手に2chに載せられ。
あとでとっつぁんに怒られ、大変な騒ぎに。

あのレジュメには、予習:まどマギ第○回を見て来ること、みたいなのが事細かに書いてあるのだが、あれは大学側で予習・復習を必ず書くことと教授側に命じられており、全ての教授が行っている。これについての批判は、大学側にするべきで、教授にすべきではない。
また、便宜上書いただけのもので、実際には30分間見るので、予習も復習も必要なかったのだ。

ただし、課題は出された。毎週12,000文字のレポートを書くこと。
これは、「聞き書き」と呼ばれるやり口で、細川幽斎も弟子の烏丸光広だったかに、実際にやっていた。講義したことを聴いて、それを書く。なので内容には困らない。自分で考えて12,000文字全てを埋めることはなかった。
12,000文字になったのは、アナウンサーが1分間に原稿用紙1枚(20×20なので400文字)を読む。講義90分のうち、アニメ30分・講義30分・雑談30分と換算して、400文字×30分で、12,000文字相当となる。という理由。だが、実際問題、厳密に12,000文字分の講義になることは稀で、ほとんどこの文字数を超えて講義することはなかった。中には6,000文字程度で止まったこともある。残りの分は自分の考えなどを盛り込む。とはいえ、教授が6,000で止まった内容を、残り6,000字ぶん素人が埋めるなんてのは無理な話で、何度か10,000文字程度で提出して誤魔化したことがある。
一方で、教授側はどうなのかというと、全部をチェックする時間など到底なく、ほとんど目を通さず、出されたものの分量を適当に見て、赤ペンで大きく丸を書いているだけだった、という事情を、1つ上の先輩が目撃したらしく、これについてはさすがに閉口した。

ネットの反応について、けっこー辛口なことを言われているのも、とっつぁんはケロッとしていた。批判にも怒りは全くなかった。著書には、「こういう時代なのに、アニメを大学で講義することに拒否反応を示す意見が根強いことが意外だ」と仰っていた。
最終的に単位をもらえた学生は、少なくとも1年でS評価をもらえたのは自分だけだったと記憶している。(翌年のシラバスで、「前年度の評価」が閲覧できた。S評価は4%程度だった。後述の計算に当てはめるなら、6人。そもそも1年生向けの講義ではなく、実際、同学科同学年で受けていたのは私だけだったので、ほぼ確実であろう)
教授によれば初回の出席者は600名、履修登録したのが150名、うちテストに参加した学生は60名にまで減少。最後までレポートを書きあげたのは、自分を含めわずか2名。なので、後日まとめた著書で、私を紹介してくださるとまで言われたが、都合上カットされた。ちょびっとだけ出て来るけれど。

私は1年だったので、これが辛いか否かというのは分からなかったが、少なくとも体力的には辛かった。毎週12,000字に加えて、バイト、サークル、資格の勉強、戦国大戦など、全てこなしていた。なので髪はボサボサ。睡眠時間はほぼ毎日3時間程度で、行き帰りの電車の中で寝ていた。なので授業は、知フロ以外ほとんど寝ていた。ゼミで居眠りして怒られたこともあった。だが、終わった時は達成感で満ち溢れたし、これ以降も、「知フロよりマシ」と言い聞かせて学問に励んだ。終わった時は教授からたっぷり褒めてもらえた。ここまで頑張れたのは、意地がまずはあった。途中で投げ出せば、とっつぁんから嘗められるな、と。他にも先輩方に同じ講義を取っていた方もいらっしゃったが、最後までやり通したのは自分だけだった。
時間があるなら、またもう一度やってみたい授業・課題でもある。もう無理だけど。さすがに。1年だから出来たんだろなぁ。

2018年
07月08日
01:33

という話をした矢先に、仲のいい友人Dと会った。

色々な話をした、そして話を聞いた。
寂しいという話も聞いてくれた。そのうえで、的確なアドバイスをしてくれた。

俺もそのDも、大学で顔が広い。どこか自分が有名人になったような気がしていた。けれど、その関係は「浅く広く」になってしまって、深い関係や、一歩立ち入った真面目な話が出来る人がいなかった。
だからDは、自分がいま仲のいい人を思い出して、その共通点を考えた。すると、どの人も「浅く広い」友人だった。だから、「浅く広い」人には、それなりの共通点がある。
例えば、俺とDの共通点は、話を聞くのが巧いところと、話すことも巧い、ということだ。
だからお互いにWinWinで、お互いにレベルアップしながらトークが出来る。「浅く広い」…というより、「話し上手且つ聞き上手」って人は少ないけれど、一度出会うと、仲良くなれるし、信頼できるようになる。
これから深い関係を求めていくなら、そういう人たちと親交を深めればいいんだ。ということに気付かせてくれた。本当に嬉しかった。久々にハッ、とした。

勿論、今までの関係をリセットにするワケじゃないけれど、本当に信頼できる人って、どんな人なのかを考えた時に、そういう人を求めればいいのか、ということに気付かされた。

D、本当にありがとう。

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