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[隠れ家・天正院] トピック

2017年10月12日
18:52

仙樹の呟き4

仙樹の呟き、4つ目。

いたづらに 生き抜く勿れ ほととぎす

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374番~355番を表示

2021年
02月22日
20:28

近ごろ思うのが、自分には「観」が備わったな、と。
言い方を変えるなら「価値観が定まった」「物の価値を判断する基準が定まった」と言ったところか。

では何を基準にして物差しで測るのかと言うと、「歴史」だな。
「歴史」を基準にして、物の価値を測る。

あぁ、これは歴史的に見て良いものだ、
これはそうではないな、と。
あらゆる事象を、歴史で見たらどう判断できるのか、ということだ。

例えば、「グローバル化」という現象は、あたかも世界史上初めて起こったかのように謳われるが、実は日本でも奈良~平安期に、似たようなことが起きている。
グローバリゼーションは英語とアメリカを中心に回っているが、奈良・平安期は唐文化を中心にアジア各国が影響を受けている。(これに似たようなことは書いたことがある気がする)

他にもコロナ禍は、コレラ菌や梅毒が幕末期に流行したのと近い。(無論、完全一致ではないが)

こうした「見方」は、正確ではないし、別段、他人に広めたりする気はない。ただ、自分の価値判断の基準にしているだけに過ぎない。
それを一言で表すならば「観」だろう。

この「観」をどの年齢で成熟させるか、が世の中を生きていくうえで重要だろう。
「観」が成り立っていれば、一人の人として、生きていくうえで迷いが起こらない。
数学的価値観・理化学的価値観・倫理的価値観で動く人も、恐らく世の中にはいるだろう。自分はそれが歴史だった。
要は「歴史主義」ということだろう。あまりその学問と研究史には詳しくないのだが。今度調べてみるか。

これには間違いも起こり得るということを、自分の中で許容しなければいけない。
史学は常に、新しい発見に伴って変化し続けるから。
それから、一個の人物の性格だけで判断しなくなる。ただ性格の良し・悪しで判断せず、その人のステータスを見て行く。例えば、家族構成・所属した学校や団体・出身地とそれに伴う特徴・肉体年齢・精神年齢・恋愛遍歴…これらが相まって「今」があるワケで。


昨今流行りのオンラインサロン。
あれって、発起人は「観」がしっかりと成り立っているんだろう。だから出来る。
けれど、その未熟な「観」を、他人に広めるのが、果たして善なのか悪なのか。ここが問題なんだ。
あれ幕末期だったら「良い学者」「有識者」で名を残せたろうに。
情報が多すぎる現代で、「情報発信」するには、圧倒的な「知」がなければ発信できない。その「知」すらも覆される時は起こるし、あるいは屁理屈や粗探しで足元を掬われることだってある。

じゃあ本当に「情報発信」が出来る人ってどんな人かと言えば。「観」を更新し続ける人。言ってみれば「情報を常に求めている人」ならば可能かもしれない。
「自分は優れている」という人ではなくて、「自分は未熟なので、教えてほしい教えてほしい」と常に求めている人。腰も低いし、偉そうに感じない。「徳」があるように見える。
アンジャッシュの児嶋のYoutubeとかはそんな感じがする。あとは昨今の林修か。(最近の林修は教える側ではなく、教わる側の方が圧倒的に多い)
とはいえ、果たしてそれって「先生」と言える立場の人か? あるいは「先生」という立場の変化ということなのか?

…何か話が逸れたな。

2021年
02月18日
20:24

反抗期の子供を抱えた時、一番重要なのが「裁判」であり「対話」なんだろう。
そのためには、反抗期になる前から「対話」が出来る環境を整えてあげる必要がある。

ただ頭ごなしに、「子供の反抗 = 悪」と決めつけてはいけない。
第2、第3の反抗を呼ぶだけ。
子供は稚拙ながらも、親にメッセージを送っているんだから。そのメッセージを受け取らなくちゃいけない。

そして、基本的に子供の反抗を止めることは出来ない。反抗させない、は無理だろう。
それに、子供ほど「理論」ではなく「感情論」で動くのだから、そもそも子供が、自分を客観視して、「ここは感情論だ」「ここは理論だ」って自己分析できているのなら、それはもう反抗期ではない。だから、この部分を諭してあげることが、親の役割なんだ。
「どうして反抗するのか?(もちろんこんな直接的に、ではなく)」
「これは感情で動いたのではないのか?」「この理由で反抗するのは、親が悪い」、と。

ここに親がプライドを抱いて、謝らないことが一番良くない。
親の悪い部分は、ちゃんと謝る。相手が子供だとしても。

ここで重要なのが、反抗期になったからって急に親身になって話を聞きに来ること。これが子供にとって嫌だろう。
「じゃあ今までの態度は何だったの?」となりかねない。(そこに「すまなかった」と言えるかどうかもあるんだけれど)

重要なのは、子供をいつのタイミングで、大人の会議の仲間に入れてあげるか、だろう。
自分としては10歳からでいいと思う。10歳から大人、でいいと思う。10歳から「大人の仲間だよ」という気持ちを芽生えさせなければいけないと思う。
(無論、法的に10歳から大人にしろ、と言っているのではなく、自分の家の中でのルールとして。)

だから、家族での重要な会議とか。というか日常会話から親と子供が一緒になってするべきだ。
というか、親の会話には、子供も幼い頃から参加させるべきだと自分は思う。親との会話が、一番、語彙力と精神年齢を育てることが出来る。
精神年齢が幼いな、って思う人は軒並み会話力が弱い。

そういう環境を整えるのは誰なのか、というと。100%親。両親。
そしてそういう自覚のない親の下に生まれたんだなぁ、と心から思う。

2021年
02月18日
01:58

名を上げる人というのは、「笑い上手」だという話をどこかで聞いた。
笑い声を聞くだけで気持ちがいいし、笑いが上手だ。尚且つ特徴がある笑い方をする。

その点、パッと閃く「笑い上手」は…
明石家さんま、松本人志、太田光、上田晋也、有吉弘行あたりの笑い声はパッと頭に浮かんでくる。

笑顔という意味では、関根勤が浮かぶ。石塚英彦も笑顔が素敵だ。
名を遺す人にも、勝新、三船。それから手塚治虫もいい笑顔だ。

2021年
01月18日
22:35

幹事長というのはたいそう良い職だそうで。

民主党時代、鳩山政権の頃から小沢一郎は普通のワイドショーですら槍玉に上げられていたが、今回は菅ばかりを見てテレビは二階を責めない。だから皆、菅を責める。諸悪の根源はどう考えても二階にあるだろうに。二階さえ降りれば済む話だというのに。

そもそも二階派というのは、田中派で散々に金をもらって遊び尽くして、そのあと小沢派で散々にかき回して、そこからの二階派だからな。この系譜で優れた人物は田中角栄だけよ。いつまで太閤の威光にすがってんだか。

2021年
01月16日
21:26

何というか…

安倍総理が辞めたのは、「これならコロナを抑えられる」と思ったからじゃないのか。「辞めるなら今のタイミングしかない」と言っていたし、そういうことだろう。
そこからの今、よ。「鎮まりそうだな」という雰囲気をまるで感じない現状。

「総理大臣が違う」というだけで、こんなに変わるんだ、と。実感できただろうか。
震災が起きた時に自分は実感したけれど。いま一番訴えたいのはそれ。

まぁ大半は二階のせいなんだけれども。

2021年
01月14日
11:08

「子供好き」の人というのは存在しない。
大人は大人と会話する方が楽しいし弾むに決まっている。

「子供好き」というのは、「『子供の世話を積極的にしていて、家庭的で、将来は素晴らしい親になるね』って言われる自分が好き」のことであって、子供が好きなのではない。
それか、ロリコン・ショタコンの類いで、いわゆる性的に、もしくは恋愛対象として好きか。
大人は99%、大人が好きに決まっている。

2021年
01月11日
01:16

浪曲・音曲というのは、やはり凄味が先に行って、笑いには一歩下がる。芸と笑いをx軸、y軸にした時、芸は高値がつくのに、笑いが真ん中から高値へは行かない。
まこと面白い浪曲・音曲があるのなら是々非々聴いてみたいもの。

現代風にアレンジした、ぴろきだの波田陽区だの犬井ヒロシだのがいるが、全く面白くも何ともない。何故1曲だけで勝負するのか。もっともっと苦しんで、新曲・新ネタを創り続けないといけない。それが出来ないなら芸として成り立っていないから廃業した方がいい。
まぁ犬井ヒロシは片手間でやっていたネタだろうけれども。

2021年
01月08日
00:57

一度だけ、「落語家になりたいなら紹介してやる」と言われたことがある。
大阪に行って、バーに行った時。みつまたさんに言われた。
断った。何せ、江戸落語と上方落語では趣が違い過ぎる。
上方の言葉で上方の落語を教わっても出来ない。江戸と上方の違いも心得ていたし、自分は上方の良さに迎合できる人間じゃない。全く芸に頓着や知識がなければ、あるいは「ウン」と答えていたかもしれない。

にしても上方の言葉はキレイだ。
ところが不思議なことがあって。

京都弁、というと。何だか上品な趣がある気がする。
大阪弁、というと。何だか品のない気がしてしまう。
気風というようなものだろうか。けれども、話してる言葉はほとんど同じ。だから不思議だ。いや日本語というのは不思議だ。同じ言葉なのに上品にも下品にも聞こえるんだから。

ところがところが。どちらも関東弁が持たないものを持っている。
まず会話の良さ。
短い言葉で敢えて語るなら、テンポの良さ。人と会話をするうえで、テンポというのは大事だが、良いこと、楽しいことを語るうえで、関西弁というのは本当にテンポが良い。
関東なら「いいね!」も、関西なら「ええやん!」だ。あくまでフィーリングだが、「ええやん!」の方が、第一は相手の良さを讃えたものだが、その影に何だか相手への敬意が見え隠れする。更に話し手の優しさ・リスペクトもある。不思議だ、わずか1語にここまで。
「いいね!」には、リスペクトを感じない。何なら皮肉にさえ聞こえる。

…よくよく考えれば、「標準語」というのは、関東弁を基軸にして考えられたものだ。けれど、本来の都は奈良・京都の関西圏であり、天皇も含め、本来の「都人」は、関西弁を離していたはずだ。日本語の本来の「型」は関西弁なのだろう。より上品で、会話が成り立つのは、関西弁だ。
関西弁をモロ出しにして、『百人一首』を詠んだら、かなり変わる可能性がある。
じゃあ、今のアナウンサー、声優が、どうして「標準語」を用いるのか? 先代・先々代が「標準語」を用いたから? そもそも「標準語」とは何を以て標準なのか? 日本人が一番使っているイントネーションだから?? でもそれは現代的価値観であって、古典の価値観なら成り立たない。

現に、漫才をやってもテンポよくスムーズに行くのは関西弁だ。
テンポよく、というのは言い換えればスピードの調節が出来る。関東方言は、ある程度のスピードで限界が生じてしまう。関西弁は、無限のスピードが可能となる。
個人的に思った、MAXスピードは、ウーマン村本だが、彼は福井出身だから、関西弁なのかどうかは分からない。(嫌いな芸人なのでちゃんと言っておく。分からない、と。村本の「芸」は評価するが、「笑い」と「学」は評価できないうえに、自分の地元を「滅ぶ」と言われたので許すことは出来ない。けれど「芸」は評価する)

まぁ、話しは戻して。
江戸落語なら、あの時に声をかけられて選んだかもしれない。
神田伯山を、もっともっと早い年齢で知っていたら講談の道も選んだかもしれない。

上方に、関東方言で戦いを挑んでもダメだ。
方言だけじゃない、そもそも「上方落語」を挑んだら自分は失敗したはずだ。相当な才能がない限り、ね。
関東方言で演るなら、せめて「江戸弁」じゃなきゃダメだ。「てやんでェ、この野郎ォ」って。「ェ」だよ、「ぇ」じゃなくて。
林家三平は、それが下手。これが上手なのはアンタッチャブル柴田。でも昔の、ね。今は微妙。
コツはね、巻き舌。
またこれが巧いのが、てらそままさきさんよ。関西系なのに、ね。
ナチュラルに会話に巻き舌を入れられる。これが出来ん。これが出来たら江戸落語、やってたかね。

2021年
01月05日
21:33

行動! と決めたものの、昨日、結局何も出来ずに終わってしまった。映画、演劇、とこう色々考えたけど、年始で何もやってねーやってなって寝てしまった。
前に書いた通り、図書館が閉まってて本もロクに読めない。

と、思ったところで落語ならいつでも聴けるわ、と思ったので、積極的に聴くことにした。
講談も聴ける。特番の教育番組も見れる。
1日1本。1日の30分間。
見れば何か得るものがあるはずだし。すぐ得られなくても、巡り巡って得られるかもしれない。

2021年
01月04日
12:59

まずはM-1の総評終わらせようかな。


マヂカルラブリー
はっきり言ってまさか優勝するとは。という気持ち。
インタビューで頻りに言ってた通り、「フレンチ」と「吊革」。どちらのネタも面白い。
「マヂカルラブリーは、知名度・人気が既に全国区だった」と謳われていたものの、実際そうではないと自分は思う。
なので、準決勝はともかく、決勝の観覧客はガチなお笑いファンが少ないぶん、受けるか怪しい。少なくとも2017年はそうだった。準決バカ受け、決勝ドスベリ。
ナイツ塙も、客を置いてけぼりにして動き始めてしまった件について触れていた。
で、実際見てみると、「フレンチ」はスタートの30秒、しっかりとコンビで掛け合いをしていた。「ナイフとフォークは外側から使うんだよ」というクダリ。ここが、「吊革」、そして2017年の「野田ミュージカル」にない部分だった。だから、「漫才としては、ちゃんとやっているな」という評価に傾いたんだろう。ただ、オール巨人が指摘したように、「後半は落ちた」。確かにピークは最初の窓ガラス割るところだろう。そのあと、シェフの心臓握りつぶしたり、魔法陣描くあたりは、ちょっと落ちた。
もし「吊革」を1本目にしていたら、掛け合いがなかったぶん、2017年と全く同じ結果で終わりかねなかった。よしんば最終決戦に行ったとしても、後半に萎む「フレンチ」では、笑いの量は確実に減る。
つまり、1本目「フレンチ」は「面白さ7:丁寧さ3」のネタ。2本目「吊革」は「面白さ9:丁寧さ1」のネタ。最終決戦で勝つには、多少漫才のクオリティとしては雑でも、「笑いの量が多かった」で押し切れる「吊革」が制した、というワケだ。そら議論も起こるわ。
個人的に言いたいのは、村上のツッコミがもうちょっと上手になってほしいんだよなぁ…「あぁーーッ!」ってツッコミとか、テンポを重視するあまり、雑なワードでツッコんじゃうんだよなぁ。まぁ野田のマンパワーで成り立ってるだけに、あそこに対抗できるようにするのは至難だろうけれども。


オズワルド
THEMANZAIプレマスターズの、「糸」を歌うネタは個人的に好きなんだが。
優勝を狙っている、という目力ガチガチだったが、今年でハネなかったらしんどいスパイラルに陥っているな。
パワーワードで勝負するタイプだけれど、ここがカチッとハマらないと笑いになりにくいうえに、パワーワード勝負だと、見取り図とかぶりやすいからキツいよな。
「会話・掛け合い」という意味ではピカイチなんだけれど、世界観もややシュール寄りだからなぁ。もうちょっと客を巻き込んでほしい(突然客に「コイツ○○なんだけど~!」とか「いまなに訊かれてます?」って振って来る。突然話しかけられれば誰でも驚く)。
少なくともあのスタイルでM-1優勝するのは、かなりしんどい。「毎年いそう」は「別の路線に行け」の証でもある。
あと思ったのは、「ボケ」が「強い・弱い」ではなく、純粋に「ボケ」ではない。「シュール」に対して「ワード」でツッコんでる。だから「ボケ」をちょっと入れる。それだけじゃなくて、更にもう一手を加えるといいな。強いて言うなら、オードリーの「本気で言ってるのか?」「本気で言ってたらこんなに楽しく漫才やってねーよ」「へへへへ」みたいな、2人で一緒に呼吸を合わせる奴だな。


アキナ
面白かったし、何で滑ったんだろな、とは思った。準決ではウケていただけに不思議だった。
こちらもオズワルドに実はネタが近くて、オズワルドの「は・た・な・か、が全部ア段だから変えたい」も、しっかり「変えたいんだな」を認識させないと、意味不明の掛け合いになる。オズワルドはその内容説明が、かなりゆっくりとしたスピードで丁寧だった。
アキナの場合、説明部分が速過ぎた。だからイマイチ頭に入りきってない状態で、面白い部分のはずの秋山の「アカン!」が入ってしまった。ボケの量を増やすために、説明部分がオザナリになってしまった。
けれど、ここはまだいい。あとが面白ければ盛り返せるから。結果として盛り返せなかったワケだけれど、それは本人の技術じゃなくてネタチョイスが悪すぎた。
審査員の誰だったかが言っていてピンと来たんだけど、このネタ、20代半ばくらいがやっていたら、リアリティとパッションにあふれて面白くなる。でも技術があって片方が既婚の、30代後半がやるネタとしては、年齢と合っていない。だから余計に山名が「イタく」見える。
でんぐり返しとか、普通なら爆笑が起きてもおかしくない大ボケ(それどころか発明のレベル。完全に予想外だし、他のどの芸人もやってない)なんだけれど、強いボケほど見ていて「イタい」。
あー、こういう失敗もあんのかぁ、という気持ちだった。そこに気付いてほしいな。来年のリベンジに期待。


錦鯉
史上初。普通に見ていて笑えるけれど、バックボーン知ると泣ける漫才。
めっちゃ面白かった。何なら来年も出てほしい。漫才の中にギャグを入れるというパターンは、COWCOWや流れ星がやっているんだけれど、ここが危険なところで、一発ギャグは、ギャグが強すぎるとツッコミ方が難しくなる。何ならツッコまなくていい。ここが矛盾するところで。漫才は「掛け合いをして面白い」だけれど、ギャグは「それ単体で面白いから、ツッコミが邪魔」。
COWCOWの場合、多田がギャグやりました→善し「いやいやいや…」
流れ星の場合、ちゅうえいがギャグやりました→瀧上、何もしない。
つまり、ギャグを活かすために、ツッコミは退く。
ところが錦鯉が凄いのは、まず「ギャグが面白くない」。何ならそれはもうギャグじゃない。
ミュートにした時、何をしているのか全く分からない。まさか「レーズンパンは見た目で損してる」と言っているとは思えない。だからツッコミが必要になる。それも弱いツッコミだと「すべりましたよ~」感が出るけれど、渡辺くらいに「うるせぇよ」とか厳しいツッコミだと、面白くなる。まさに理想の相方バランスと言っていい。
にしても「キャラメルは銀歯泥棒」「数字の7が転んだら、へ」とか、もうギャグでも何でもなくて箴言だろ、それ。カレンダーに習字で書かれていても違和感がない。どう考えてもM-1でやるギャグのクオリティではない。だから凄い。


ウエストランド
2つ言いたいことがあって、まず1つは技術不足。ネタも面白いし、キャラも立ってる、2人のパワーバランスも良い。けれど細かいミスが目立つ。「え…いないよ?」とか、メチャクチャ面白いのに、2回戦やライブと、間が1秒ほど長い。絶妙な間だったのが、変な間になってしまった。純粋に会話として不自然になっている。
そのあとも不味い。
井口「え…復讐だよ? …えっ……復讐だよ?」→井口「復讐のためにやってんだよコッチは!!」
わざとテンションを乱して面白いのに、いきなりハイテンションにしてフルスロットルでエンジン掛けちゃう。これも不味い。マニュアル車みたいに、ギアの段階をいきなり上げてしまうと、エンストする。この会話としての技術不足が目立ってしまった。もっともっと舞台の回数を増やして技術を上げないといけないね。(ただウエストの場合、芸人を極めるよりもタレントとして売れたいタイプだろうから、そこがしんどいだろうな)
そしてもう1つが順番。どう考えてもラストではなかった。
ただ、ニューヨークの直後じゃなかったのが幸いじゃないだろうか。同じ毒舌で並んだら、技術・ネタの完成度ともに、どう考えてもニューヨークが軍配上がるから、どちらが先・後でも関係なく、ニューヨークの凄さが引き立つだけだから、そうじゃなかっただけ幸い。
仮にカラオケの割り込み予約みたいに間に挟むとしたら…オズワルド・アキナの間か、アキナ・錦鯉の間かな。まぁそうしたら、錦鯉がラスト出番で、恐らく「最後がコレかよ!」パワーでもっとウケて、せっかく見取り図押しのけて3位になっても、錦鯉が最終決戦行ってましたかね。

井口「……ダメじゃん!」

2021年
01月04日
02:42

結局、毎年やってる「今年の振り返り」を2020年はやんなかったし、何ならM-1もあと半分残ってるのに、ネタが3つくらい思いうかんじゃったうえに、いま頭の中が『ペルソナ5R』をやることしか頭にないのよね。

あ、明けましておめでとうございます。

振り返りと言いつつも、去年は一昨年の厄年を抜けた年ではあったな。だから世間的には大厄の1年ではあったけれど、自分としては精力的に活動して、メンタルが戻った1年ではあったかな。旅行とかは行けなかったけれど、毎年ちょっとマンネリっぽくなってはいたから、それはそれで良かったのかもしれない。
新しい趣味…深夜ラジオを聴くようになったこと? お笑い(漫才・コント・落語…etc.)に対しての造詣がより深まったこと? 別段、新しいことに手を出したつもりはほとんどないんだけど、でもだいぶクリエイティブに吸収した気がするな。ハライチと爆笑問題に感謝だなぁ。逆に戦国時代関連だと、ほとんど何も吸収しなかったっていうのはあるかも。『センゴク』を読み続けたくらいかな。でも捨てたワケじゃないし、いずれまたお笑いに飽きて、戦国に戻って来ることだってあるだろうし。そうやってグルグルするんだろう。

占いとかによると、「2020年のあなたは、仕事でやりたいことが定まる年ですよ」とは言われたが、まぁそんな気はする。オボロゲに。
もちろん現状維持で行くつもりは毛頭ない。とは言え、はっきり言って前進してるかと言うと怪しい。現実は甘くないし、自分の想定通りではない。あと金がない。でも、自分はちゃんと考える人ではあるはずだから、それをストップさせずに、上へ上へと考える、それこそまさに向上心を持てば、必ず進むことが出来るはず。
大事なのは向上心を持ち続けること。一時的ではなく。たき火は一気に燃やすのは簡単だけれど、大事なのは燃やし続けること。定期的に薪をくべ続けて、常に暖かくすること。これが難しいけれど、やり続けないといけない。(ただ、これって自分1人では難しいから、励ましてほしい時は励ましてほしい)
で、いまの自分は、上へ行くにはどうすればいいのかは見えてはいる。まだ大丈夫。時々見えなくなるんだけど、その時って、まさに明かりが消えている時だね。薪をくべる作業じゃなくて火を点ける作業だから全然別物。

…なら、やっぱり今年一番大事なのは"行動すること"だな。去年と同じな気もするけど。
でも去年は「お金ない」「コロナだから動けない」を言い訳にしてたから、それも払拭しなくちゃ。まずは一歩踏み出さないと。
…まずはお酒の量を減らしますか。冬の酒は美味ェのよ。日本酒はドン・キで買いましょう。
あと、さくらももこのエッセイ読んでみたいのに、図書館はどうして閉まっているのーー。買うしかない、お金を使うしかないんでしょうか…?

2020年
12月29日
01:13

そろそろ書こうかな、M-1グランプリ2020総評。
ノンスタ石田・笑い飯哲夫・銀シャリ橋本の裏解説で言っていたのが、「M-1第3期のスタートではないのか」という話に頷ける。
今年は、昨年ほど面白くはならないだろう、とまぁ誰もが心の中で思っていた。
ミルクボーイの優勝・かまいたちと和牛の敗退は、第2期の終わりを象徴しているのかもしれない。
けれど、こういう形になるとは誰も思わなかっただろう。

インディアンスは1組目としては完璧に近い形だった。
敗者復活について書くと、ナイツ塙によると、「昼の、極寒の、外でやる」という環境がかなり特殊だということ。
環境としては劣悪の極みと言っていい。どう考えても笑いにつながる状況ではない。
ナイツの漫才はそこで有利を絶対に取れない。浅草東洋館の建物内でやる前提のネタでは、声は騒音や風で掻き消されてしまう。(だから2015年の敗者復活では、北島三郎のネタをやる、という賭けに出たという)
その環境なら、声や元気、テンポの良さで勝負できる漫才が有利になりやすい。そこで有利を取れるのがインディアンス。もしくはコウテイか。
実際、この2組が台風の目だった。コウテイがやった前と後では会場の暖まり具合が違った。が、結果としてインディアンスだった。
(個人的には、決勝含めた全体を通しても、からし蓮根が見取り図に次いで面白かっただけに、決勝進出者にいなかったのが驚きだった。敗者復活でも面白かった)
そして1組目として披露した。ネタ自体に変わり栄えははっきり言って見えなかったが、前回よりも田渕のキャラが見えたし、会話の流れも自然だった。前回はちょっと無理のある設定だったのが気になったし。
ただ手の内が見えてしまった以上、これ以後の年で取るのは難しいか。
にしても相変わらずキムが下手なのが気になる。ずっとヘラヘラしてる感じが気になるんだよな。如何にアンタッチャブル柴田が凄いか、ってことか。

続いて東京ホテイソン。
酷評も多かったが、どうか現状維持で来年も挑んでほしい。
ネタが難しい、という評価を受けたが、そうとはとても思えない。かなり丁寧に話を進めていた。あれ以外のネタだったらもっと酷評されていたはず。
ネタの数は豊富なはずだから、翌年に戻って来てほしいが、手の内がバレている以上、今年がコレでは果たしてなぁ…
それから会場が笑っていたのに審査員が固めちゃうパターンだったのもなぁ。
これを崩せる、言わば2018年のトム・ブラウン、2019年のすゑひろがりずタイプなのは、ホテイソン・錦鯉・ウエストランドだと思っていたから、ホテイソンのネタでここまで固いと、ちょっとどうなるか、という気持ちにはなった。

ニューヨーク。
2017年にとろサーモンは3番手で優勝した。最終決戦は3位通過だった。
後でウエストランドが出て来るんだが、そろそろ観客が漫才を見慣れるタイミングで、中には「もう疲れた」って思ってる客もいただろう。だからこそ、この順番は「毒」が光る。料理で喩えるならば「スパイス」。
辛口が早く、そして大量に来れば不快感が高まってしまい、
逆に辛口が遅いと、飽きや疲れで逆に面白味を聞き逃す。
(そういった意味でも、インディアンスとホテイソンが1番手2番手で来たのは、傾向としてはとても良いし、2019年はミルクボーイが最強のメインディッシュで、ぺこぱが最強のデザートだったと言っていい)
そしてまたニューヨークのこのネタの完成度の高さたるや。
これは確実に3位圏内だと見た時に確信した。一昔前のM-1なら優勝していたに違いない。
ネタも風刺が利いている。利いているのに客を刺しに来ない。大衆がヘイトを抱いている対象を刺しているから、快感度が高いんだ。2本目も見たかったなぁ。

見取り図
2018年は和牛が10番目だったし、見取り図もそれくらいの出番だったらなぁ。4番目に見るネタではなかったなぁ。
2019年の時点でネタの完成度が高くて、これは優勝、と予想していたんだけれど、ナイツ塙の「無駄な動きをなくせ」っていうアドバイスから、一気に貫録がついて大物の漫才師の風格が身に着いている。数年前とは明らかに技術もネタの完成度も違う。
俺の中では圧勝で見取り図が優勝だった。1本目も2本目も爆裂に面白い。
とにかくボケのバリエーションが豊富。にもかかわらず丁寧に伏線を敷いて自然に回収できている。
2回戦は「おいおい大丈夫か」という雰囲気の、見取り図の中では普通くらいのネタだったから心配だったんだけれど、今まで見た見取り図のネタの中で一番面白かった。やっぱり隠し持っていたんだ。

おいでやすこが
個人的にはあまり面白いとは思わなかったなぁ。おいでやす小田は芸人間での評価が凄く高くて、誰もが「つっこまれたい」と思っているうえに、「いじりやすい」っていうキャラなんだってなぁ。ハライチ澤部みたいだ。
準決勝では一番ウケていた聞いたが、2回戦の動画を見た時、そうでもないなぁという気持ちだった。大きい声で騒いでいるだけにしか自分には聞こえなくて。会話として成り立っているのかなぁという気持ちもあった。
「誰の歌なん?」という小田の問いを2回ほど無視して「誰の歌か答えろや!」ってつっこむのも、回収できないからそれアリキのボケ、みたいに感じてしまった。「壁に向かってしゃべってんのか!」→壁に向かうこがけん→「行くなー!」も、「あー、笑わせに来てる」「漫才っぽくしようとしてる」って感じちゃって萎えてしまった。
ただ、テレビ・Youtubeで見るのと、劇場で生で聞くのとじゃ、あの小田の声の気持ち良さは違うんだろう。志らくが「やかましく感じない」と言っていたし。
個々の実力が高くて、相乗効果が高いのも伝わる。ただ上手じゃないんだろな。ネタの内容を抜いて、技術力で勝負するには、アレしかなかったんだろな、という感触はした。
小田の台詞は全て、中年サラリーマンの心の声を代弁している。その技術は素晴らしい。ただ、ちゃんとした相方を見つかっていたら、絶対にもっと弾けたのになぁ。「じゃあ誰がいいのよ」って言われても、パッと思いつかないんだけどさ。

これで半分。
残りは数日後に。

2020年
12月23日
01:36

M-1の話。

2020年のM-1は、かつてないほどドラマチックだった。
M-1打ち上げとか、ナイツ塙のラジオを聴いたりとかで思った。

ナイツ塙は、「認知度を上げてから挑んだ組がウケた」と言っていた。
認知度は重要で、有名・高名な人のボケと、そうじゃない人のボケでは笑いの量が違う。けれど、サンドウィッチマン・ミルクボーイの例もあるので、一概にそうとは思っていない。

今年のM-1は、どこかでつまづいて、決勝の舞台こそが巻き返しの場で、そこじゃなければ巻き返せないんだ、という気持ちを感じさせるコンビが、結果的に受けていた。
ただ板の上で笑いを取っているだけではなく、その後ろにあるドラマが追い風になっているように感じさせる。

昨年のM-1でネタチョイスをミスして松本人志に酷評されて「最悪」になりつつ、キングオブコントで準優勝して認知を上げたニューヨーク、
2017年のM-1で最下位且つ上沼恵美子に怒られたあと、R-1優勝して認知を上げたマヂカルラブリー、
今年で突如のR-1出場停止後、ワイドナショーで松本人志に散々にいじられて認知を上げたおいでやすこが、
結成と解散を繰り返してずっと陽の目を見なかったが、去年のM-1敗者復活から勢いを伸ばした錦鯉、

今まで「貧乏で売れていない」芸人がみんな勝負しに来てたが、ただそれだけじゃない脚光の浴び方になっている。
そういう意味でオズワルドは出場前から「今年はずっと優勝狙っている」と前のめりになっていて、そこに本気を感じたけれど、少し古いM-1の戦い方だったのかもしれない。

マヂカルラブリーは、決勝進出のコメントから2017年の意識したコメントを何度も繰り返していた。
当日のカメラワークも、上沼が笑っている瞬間をネタ中4分間で何度も映した。明らかにスタッフ側もドラマを煽っている。
逆に、そういうドラマを感じきれないコンビは、いまいち光らなかった。敗者復活を除いて、東京ホテイソン、見取り図、オズワルド、ウエストランド。
(それでも見取り図は、以前にナイツ塙に指摘された盛山の「余計な動き」が完全になくなり、フラットな立ち振る舞いで、尚且つネタの精度も2年前と比べものにならないくらいブラッシュアップさせていて驚いた。2回戦は「大丈夫か?」と思わせたものの、恐らく隠していたんだろう。凄い余裕と戦略と、だ。完全に優勝者の戦い方だった)

ニューヨークも、松本に「面白い」と言わせただけでもう大満足だろう。
ネタも面白かったし、何より技術を感じた。これはまた別の機会にまとめよう。

ともかく、本人たちが意図したものか、そうでないのかは分からないけれど、今年のM-1はとにかくドラマチックだった。ここに尽きる。

2020年
12月20日
23:12

M-1グランプリ2020。面白かった。いい大会だったー。

2017年まで、M-1はハライチ岩井をして「古典落語の大会」と評していて、その通りだった。正統派しゃべくり漫才だけが評価されて、それ以外は評価を落としていた。
(2016年・2017年のファイナリストと4位以下は特に顕著)
ところが2017年。ジャルジャルを松本人志が良い、と評価してからガラッと変わった。
審査員にも「面白ければそれでいい」という富澤たけしと、「イリュージョンの世界」を評価する立川志らくが入った。
過去、しゃべくり漫才・コント漫才(・そしてキャラ漫才もギリギリ)しか評価されなかったのが、変化球タイプの漫才が評価されるようになった。
2018年のトム・ブラウン、霜降り明星、ジャルジャル。
2019年のすゑひろがりず、ぺこぱ、ミルクボーイ。
特に霜降り明星は1年前だったら評価されていなかったかもしれない。そういう意味で、ジャルジャルの功績は大きい。
今年は特にその傾向が顕著だった。
準決勝進出者のコウテイ、ランジャタイ、日本の社長。
決勝進出者なら東京ホテイソン、錦鯉。そして優勝したマヂカルラブリー。
直球勝負の上方しゃべくり漫才はアキナのみで、そのアキナですらも決勝はコント漫才で勝負しに来た。(見取り図はコント漫才が多い)

その結実だろうな、とひしひし感じた。
「漫才は会話の延長線上にある」に則れば、おいでやすこがもマヂカルラブリーも会話になっていない。(インディアンスは「こういう話を聞かない人もいるよね」でギリギリ評価できる)
特にマヂカルラブリーのファイナルステージは2017年の決勝のネタと完全一緒。村上のツッコミを野田は一切聞いていない。(マヂカルラブリーに礼二が1票入れていたのは意外だった。ジャルジャルをほとんど評価しなかったあの礼二が)
見取り図はちゃんと会話・掛け合いをする。ネタのパターンも、リリー変人タイプと、相方同士で言葉ぶつけ合う喧嘩タイプと、2種類あって、それぞれ面白い。
俺は見取り図が圧勝で優勝。

もちろん他のコンビでも笑いまくったけれど。
今回は外したコンビがいなかったし、ニューヨークもマヂラブも雪辱を果たしたし、ホテイソンとアキナ以外はやりたいことをやれたんじゃないのかな。上沼枠もいなかったし。

2020年
12月16日
16:54

漫才というのは、会話の延長線上にあるもの。
つまり「人との会話を切り取って、他人に見せている」のが漫才。
「他人と他人が話しているのを、見ているだけで楽しい」という経験があると思う。漫才は、その延長線上。
だから、巧くギャラリーを会話に入れてあげられると、巧い漫才になる。
漫才の評価されるポイントの1つはそれ。

たとえコント漫才でも、ツカミの段階で入れてあげると、会話の中に入れる。

サンドウィッチマンの場合。
伊達「まぁ世の中、興奮すること色々あるけれども。一番興奮するのはハンバーガー屋に行った時だね」
この最初の台詞は誰に言っているのかというと、客に言っている。

霜降り明星の場合。
せいや「ぼく売れて人気になったらね、豪華客船で世界一周したい!」
粗品「いいですね」
せいや「ちょっとやってみていいですか?」
粗品「一人でやってみます? どうぞ」

せいやの台詞は粗品に言っているが、同時に客にも言っている。

しゃべくり漫才でも、必ず客を巻き込む。
ナイツでもオードリーでもそう。

塙「こないだインターネットのヤホーで調べて来たんですよ」
若林「ぼく家が古いんでね、そろそろ引っ越しとか考えてるんですけどもね」(春日のギャグも必ず客を巻き込む)

これが巧く巻き込めないと、面白くなくなる。
2017年のジャルジャル・マヂカルラブリー、2018年の見取り図・ゆにばーす・かまいたちあたりはこれに当てはまっている。その点、見事なのはトム・ブラウン。

みちお「(『サザエさん』の)中島君を、5人集めて、合体させて、最強の中島君。ナカジマックスを、創りたいんですよ~」
布川「ナカジマックス?」
みちお「ナカジマックスは簡単には創れない。でも俺は、ぜ~ったいに創るぞ」
布川「ちょっとなに言ってるんですかねェ~? まぁでも…ナカジマックス…何か見てみたいかも~!!」←この台詞

マヂカルラブリーはこの台詞がなかったがために、野田の一人芝居になったけれど、布川はここで客を強引に会話に参加させたから、漫才として成立した。


爆笑問題は露骨に巻き込む。
田中「コンビニ行ったらみんなお会計、スマホでしょ?」←客を見ている
太田「キャッシュレスだよね。いまみんなアプリで会計しちゃってますからね」←客を見ている

「あー、確かにそうだね!」って言いたくなる。


コントは違う。コントはあくまで演劇の通過点上にあるもの。
「演劇」という「リアル」ではない「リアリズム」の世界を切り取ったワンシーンを見ているもの。だから、客を巻き込む必要は一切ない、むしろ邪魔。テレビドラマを見ていて視聴者に「どうですか?」って巻き込んで来るシーンはない(たまにあるけど。いらないけども)。
で、シーンの「オチ」に向かって演者が一緒にゴールへ向かう連携プレー。これがコント。だから明確にボケとツッコミはない。
個性が強すぎるタイプがコントにいると、「リアリズム」が断ち切られて、気になる。個性が強すぎるやつは、この世には少ないから。この点、見事なのはアンジャッシュ・東京03・ジャルジャル。究極はラーメンズか。
個性の強さはドリフくらいで丁度いい。あれ以上に突飛すぎると、リアリズムから欠ける。高木ブーみたいな人って実際にいるしね。そのバランスが適度に保たれているのは、バナナマン、バイきんぐ、ロッチかな。

漫才はむしろ個性が強い方が有利になりやすい。そのぶん、「会話してるだけで面白い」から、「基本ができてなくても成立してしまう」ので、客は誤魔化せても、プロからは評価され辛い。客の飽きも速い。
髭男爵やザ・パンチは基本ができてなかったが、オードリーは出来ていたから今でも面白い。

一人芸は客を巻き込むのが難しいけれども、この前、初めてR-1に出場した千鳥大悟を見たけれども、多少強引ながらも巻き込んで笑いを取っていて面白かった。
よく考えるとバカリズムのフリップ芸も、客を生徒という設定にして、自分が講師という設定のコントになっていたな。


まぁ何が言いたいかというと、これ実は発表でも応用できる。
自分の発表・授業は、ギャラリーを巻き込む。一人で一方的にベラベラしゃべってる奴の発表は100%面白くない。逆を言えば、面白くない発表は、よく見るとギャラリーを巻き込めていない。
だからと言って、ギャラリーにクイズを出すのではない。
分かりやすい具体例や、「こういう経験ありませんか?」って投げかけることで、ギャラリーに「あるある」「うんうん」って言わせる。これさえしちゃえば面白くなる。
最近、爆笑問題の漫才をしっかり見るようになって、「あー、これか!」ってなった。

2020年
12月09日
15:21

時間の流れというのは、人間が勝手に「太陽が昇る・沈むをしたら1日で、それを24分割して、1日は24時間で、1/24は1時間。これを更に60に分割して1つは1分だ~」なんてのは、人間が勝手に定めたもの。

亀の寿命は大変に長いが、足は遅い。けれど亀の目には、人間やそれ以外の動物は「寿命が短い」と感じ、他の動物は「足が速い」と感じるらしい。
逆に寿命の短い動物は、「他の動物の寿命は長い」と感じるらしい。決して「自分の人生は短い」とは感じない。たった1年ほどの寿命しかない昆虫でも、大往生したかのようにピタリと死ぬ。(代わりに、寿命の短い動物は繁殖力が高い。少子高齢化ってのは、この法則に当てはまるワケか)

つまり、時間の感覚は「自分」で測ることしか出来ない。

子供の頃。1日が長かった。
大人になると、1日が短く感じるようになる。
けれど、一生は長く感じる。子供は「早く大人になりたい」と言い、大人は「早く死にたい」と言い出す。
そして老いると「人生はあっという間だ」とか言い出す。

あまり「子供って幸せだ」と言い出す子供はいないし、「今が一番幸せだ」と思ってる大人もいない。言ってるとすれば建前か、「前よりも」って前置詞がつくはずだ。


子供の頃の方が、よく本を読めた。ズラリと並んだ『坂の上の雲』8巻。『ドラえもん』45巻。『ONE PIECE』90巻。気にも留めずに読んだ。
ところが大人になって『鬼滅の刃』23巻。小説もまして1冊読むのに「ひぃひぃ」言ってしまう。
速読に力を入れると感動しなくなる。かと言ってじっくり読むかというと、展開が遅くて「はよ進め」と思って読む気が起きなくなる。

あきづきは今でもアニメや小説やらで「続きが気になる」と思うらしいんだが、俺はどうもその気があまり起きない。恋愛物とかにものめり込めなくなった。いっそ性愛がある方が良い。肉体関係から起きるコジレの方が好きだ。人間賛歌とか「生きてるって素晴らしい!」とかも何かダメになってしまった。
推理物は昔からダメなんだよな。あまり他人が死んだ・殺された。犯人は? というのがくだらないように感じてしまうんだよな。犯人の「あの人の○○が許せなくて…!」っていうのに、あまり共感できなくなってしまって。

逆にアクション映画や特撮物の方が、のめり込めるようになってしまった。ストーリーが陳腐でも、「この先、どう判断するのか?」を考えると、面白くなった。感動というより、快感に近いのかもしれない。悪を倒したり翻弄したりすることへの。

まぁ話は戻すんだが。
そうなってくると、長いストーリーよりも短いものを好んでしまうので、詩や短歌を読むことの方が増えた。あと物語じゃなくてエッセイとかの方が、人が考えてることをダイレクトに読み取れて、情報が頭に入りやすくて楽で。面白い(funnyというニュアンスでの)エッセイも多いし。
小説だと「○○が××と□□をして、△△になりました」が、遅い。展開が遅い。それが気に掛かってしまう。

これは恐らく、「知識を得たあまり、感動しなくなった、心を失った、哀れな人」ということではなく、時期的な物なのかな、とも考えている。
つまり、もうちょっとオキナサびれば、また小説を好きになる自分が戻って来ると思うし。今はそういうことなんだと。
あ。じゃあ逆に今の内にエッセイとか短歌とかたくさん読んでおこう。もしかしたら時期が来たら急に冷めてつまらなくなるかもしれない。ちょっと、さくらももこのエッセイ気になってるんだよね。

2020年
11月19日
14:13

個人的なM-1グランプリ2020決勝出場者予想。

見取り図
からし蓮根
滝音
ゆにばーす
東京ホテイソン
コウテイ
オズワルド
マヂカルラブリー
ニューヨーク

かな。敗者復活で ぺこぱかインディアンスってところか。

個人的にはキョウが印象に残ってるから決勝行ってほしいなぁ。
あんまりオズワルドとかも面白いって感じなかったけど、去年より上手になってるしワードのチョイスも面白くなってる。小ボケ + 喩えツッコミ みたいな構成か。
にしても、ぺこぱが残ってることが意外。2回戦見た感じ、ネタはあんまり代わり映えしてなかったから、今年はどうだろなって思ってた。
ゆにばーすは前のM-1で全然面白くなかったんだけど、今年のネタは腹抱えて笑った。何より上手になってる。
錦鯉も去年より面白くなってた。決勝行ってもおかしくないくらい面白かった。
ウエストランドも面白かったから決勝行ってほしい。太田光が喜んでるところが見たい。でも2回戦見たら超早口で噛みそうになってたから心配。

個人的に進出者の中で一番笑ったのは、からし蓮根。
でも優勝は見取り図かなぁ。去年の時点でバリバリ面白かった。今年のネタも面白かった。男ウケするネタだけど、とろサーモンくらい男臭くない。

2020年
11月19日
02:23

『蒼天航路』について一考。

『蒼天航路』は主人公が曹操だと思ってしまうが、実はそうではないと考える。曹操は主人公では全くない。あくまで曹操目線で物語が進んでいるだけ。
曹操が主人公であれば、曹操が成長したり失敗したり、悩み苦しんだりするんだが、曹操がそういった様子を見せることはない。

曹操は超時代的な神であり、この物語は神との対話の物語なんだ。
この物語は常に英雄と神との対話で成り立っている。

董卓と曹操であったり、孫堅と曹操であったり、劉備と曹操であったり。
この対話こそが物語の根幹を担う。
これは敵に限らない。郭嘉と曹操。荀彧と曹操など。味方にも当てはまる。

と言うものの具体的に「対話」を定義づけることは出来ないが。
この物語は、何かの極致の人物と、神が対話をする。それを通して乱世とはどういう時代なのかを描いている。ただし、これは最初から構想された物語ではない。紆余曲折を経てこういう形に落ち着いた。
物語の序盤、曹操は「天意」に導かれる人物だった。ところが、曹嵩の死んだあたり(これも具体的ではない)から、曹操が勝利することや、曹操が天下を治めることが、さも当たり前のことのようになる。挙句、天子を迎えても、達成感や成長、喜びを感じないどころか、天子を手懐ける形で君臨してしまう。
作品上でも荀彧が、「そういえば殿は昔よく"天意"と言っていたが、最近は言わなくなった」とメタ的な台詞すら顕れている。(この台詞も正確ではない)

まず、曹操が明確に対話をするのは董卓。
董卓は悪の極致であり、事実として力を手に入れた。作品上、董卓ほど悪に染まった人物はいない。この悪の化身に、曹操は「天子になればいい」「天子ならば家臣となる」と唆す。歴史に名を遺す大犯罪をすればいいと投げかけるが、董卓は話を逸らす。悪の極致だったが、悪に染まりはしなかった。結果的に董卓は王允と呂布に殺される。
王允は特に、漢王朝だから存在し得たのであり、董卓が天子であり、家臣が職を並べれば排斥されていた人物のはず。

そして、呂布は決して悪の象徴ではない。戦の象徴であり、曹操からも「純粋戦士」と評される。戦いになれば必ず勝つ。そういう極致だった。悪は戦によって滅ぼされた(李傕・郭汜が描かれないのも、そこに端を発する)。陳宮が曹操を裏切ったのは、徐州虐殺という悪事を働いたからこそ。呂布は善ではないものの、悪は一切ない。
この呂布も、曹操によって滅ぼされる。しかし、その最期は民のために戦を使い、陳宮が捕まれば嘆く。戦を二の次としてしまった瞬間だった。

その次は、戦でもない。正しさの象徴。袁紹。
袁紹は明らかに途中で路線変更されたキャラクター。話の流れとしてこうなっていったのだろう。それに伴って肥満体になるんだが。
袁紹と袁紹軍に対しての曹操のコメントは、「お前たちには心の闇がない」。
この台詞のあとも袁紹軍は、正しさの極致を見せ続ける。武将を排し、全ての将兵を自分の顔・自分の思想・自分の考えに染め上げて、奇策を用いず正攻法と大軍だけで攻めかかる。これはある意味で合っている。「たとえ曹操軍が我らを逆賊だと言おうとも(これは奇策と言っていい)誰が、我らを見て逆賊だと言うだろうか」と答える。
これに対して曹操軍は、まず兵器で対抗する。同時に、正しさに依ることで、旧態依然としたシステム(袁紹に妄信的に従う家臣たち。袁紹は結局のところ求めるものは天子の位であり、それは同時に旧態のシステムに天子を漢王朝から袁紹に挿げ替えたに過ぎない。ここに妄信する家臣)を打破する。

こうして、極致の人物たちを次々に打破してしまう。
果てには、郭嘉、荀彧といった到達者すらも。自分と同一の王。つまりコピーにまで至った夏侯淵すらも、(史実の流れでありつつも、)死なせてしまう。

曹操と対話をして生きながらえたのは、劉備と何晏くらいのものだろう。

関羽はその座を脱して、曹操とは別の神の域に達する。徐晃や孫皎とも対話をする。

ここまで考え付いた。まだまだ書けるし、まだまだ論理的じゃない。まだ書ける。

2020年
11月12日
02:20

自分は落語についての造詣は深くない。浅い、浅い。
全然知識が足りていないし、一通りの解説が出来ない。
能や歌舞伎は、どこを見るのか話すことが出来る。野球にせよ、剣道にせよ、漫画にせよ、映画にせよ、特撮にせよ、一通りの解説が出来る。
ところが、落語の解説をしろと言われても出来ない。

談志は落語を「イリュージョン」と表現していた。
何でそんなアバウトな表現をするのか、全く分からんと思っていた。
「人間の精神と肉体の狭間に、イリュージョンってのがあるんですよ。まぁ分からなきゃそれでいい」なんて言っていた。分かるかそんな言葉で。

ところがこの前、『太田上田』で。
ゲストで伊集院光が来ていて、伊集院が師匠・円楽に唆されて落語をやるという話の流れで、太田と伊集院が落語の解説をしている。

まず『あたま山』。トンチンカンな話。
そしてまた伊集院の落語のあらすじが絶妙な尺と分かりやすさ。
「ケチ男がさくらんぼを種ごと食べていたら、頭から桜が生えて来て、花見客が来るようになる。ケチ男は花見客がうるさくて眠れなくなり、頭がおかしくなりそうだから桜を引き抜く。すると頭に大穴ができて、雨で水が溜まって、魚が泳ぐようになり、そこで釣り人が釣りをするようになる。また人が集まるようになってどうにかなりそうだから、頭の池に身を投げて死ぬ」
…という話。
一度だけ聴いたことがあったが、誰が話していたんだか思い出せない。いずれにしても、俺がよく使う「よく考えたら」なんて使うまでもなく。「よく考えなくても」頭のおかしな話なんだよ。理解不能。

「世界中に(探しても)そんな話ないよ」と言う太田。全くその通りだ。
そしてこれは、絵や映像では表現できない。話芸でなければ成り立たないし、尚且つ芸がなければ、ただの謎の話になる。噺家の芸がちゃんとしていなければ、「面白い話」として成立しない。これは「イリュージョン」に通じるものがある。

そこに伊集院が、「このケチ男は、寂しさのせいで最初から頭がおかしかった。という風に解釈をすれば、ちゃんと話として成立する」と言っていて、おぉぉ、と。決して古典を冒涜してひっくり返して再表現するワケではない。あくまで物語そのものに手は加えず削らず(いやまぁ実際には加えるのだが)。まさに「話し方」「演じ方」を変えることで、別のテイストを孕ませる。これが面白さかと。

太田と伊集院の解説を聞いて、初めて「分かった」という感覚があった。

もう1つ『粗忽長屋』を解説する。これも聞いて全く話の内容含めて面白さが理解できなかった。聞いたのは林家たい平だったかな。「滑稽」という言葉がよく似合う噺。ただ登場人物がみんなおバカさんだった、という話に過ぎない。
これを談志が演じると、哲学的なテイストを交えて、全く異なる『粗忽長屋』に変えてしまう。談志はこの噺でまさに天下を獲った。
「聞きたいな…」と思った。久々に食指の伸びる面白さがあった。

談志の話は何を何度聞いても分からない。
落語の知識がないからだと思っていた。それはあるだろう、恐らく。「元々知ってる話」に談志の味が加わるから、深みを帯びる。
ただただ巧いな、巧いな、としか思わなかった。分からなかった。

ところが、太田と伊集院の話を聞いて、「分かる」がぐっと近付いた。
そして太田は立川談志の事実上の弟子。
伊集院は5代目三遊亭圓楽の孫弟子。
談志と5代圓楽は互いに好敵手で競い合う仲だった。何という因果だろうと思う。


まぁちゃんと落語を勉強しなかったから「分からない」だったんだけれども。
ただ、能は2度3度ほど見て「分かった」んだが、落語は面白くない話ほど何度聞いても「これがどうして“古典”となっているのか?」と分からない。
それが偉大な話術の名人たちのおかげで、少し分かった。そしてもっと分かりたいと思っている自分がいる。それって捨てたもんじゃない。

2020年
11月10日
20:49

大きいボケには大きなツッコミ。小さなボケには小さなツッコミ。

大事なのは、ボケとツッコミのテンションをピタリと合わせること。
サンドウィッチマンは、大きなツッコミに見えて、テンションはそんなに高くないんだ。

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