【ファミキャリ!会社探訪(86)】ガンホーとタッグを組んだ新規IP『ニンジャラ』がヒット中! 家庭用ゲーム機向けアクションゲームの開発にこだわるソレイユを訪問!

会社探訪 2020/07/30 更新
【ファミキャリ!会社探訪(86)】ガンホーとタッグを組んだ新規IP『ニンジャラ』がヒット中! 家庭用ゲーム機向けアクションゲームの開発にこだわるソレイユを訪問!

“ファミキャリ!会社探訪”第86回はソレイユ!

ファミ通ドットコム内にある、ゲーム業界専門の求人サイト“ファミキャリ!”。その“ファミキャリ!”が、ゲーム業界の最前線で活躍している、各ゲームメーカーの経営陣やクリエイターの方々からお話をうかがうこのコーナー。今回は、ソレイユを訪問した。

テクモでゲームクリエイターのキャリアをスタートした岡本好古氏が独立して2008年に起業したソレイユ。以降、とくに“家庭用ゲーム機向けアクションゲーム”の開発にこだわり続け、最新作となる『ニンジャラ』を始め、『NARUTO TO BORUTO シノビストライカー』や『SAMURAI JACK: BATTLE THROUGH TIME』などのタイトルを開発している。今回は代表取締役として同社を牽引する岡本好古氏に話を聞いた。

岡本 好古(おかもと よしふる)
ソレイユ株式会社
代表取締役 プロデューサー

マンガや考古学という異色の経験からゲーム業界へ

――まずは、岡本さんがどのような経緯でゲーム業界に入られたのかを教えてください。子どものころからゲームを作りたいと思われていたのですか?

岡本 小学生ぐらいのときは手塚治虫先生や、藤子不二雄先生に憧れていて、夢中で作品を読みあさっていました。マイナーな作品群までほとんどすべて読みつくしたと思います。とくに好きだった藤子不二雄A先生の『まんが道』の影響で、漫画家になりたいと思っていました。自分の誕生日にGペンや原稿用紙を買ってほしいと親にねだっていた記憶があります。

――本格的ですね。

岡本 小学校2年生ぐらいのときは、クリスマスプレゼントが大量のわら半紙だったんですよ。“ショボいけど俺のことをよくわかってるプレゼントだな”みたいな(笑)。そんな感じで漫画家志望だったのですが、とくに内向的だったわけでもなくて、クラスでも明るくて、スポーツもやって……みたいな感じでしたが、「これは本当の俺じゃないんだ」とか思っていました。

――家に帰ったら絵を描いていた。

岡本 そうですね。親父が考古学者をやっていて、製図用の紙がたくさんあったので、それに自分で線を引いてコマを作って、見様見真似でマンガなどを描いていました。

――ストーリーなどもオリジナルで?

岡本 話や設定も自分で考えていました。ひとつの作品は大学ノート2冊分くらいでしたね。急遽完結するパターンが多かったです。飽き性なんですね(笑)。あとは4コママンガを描いたり、学級新聞のちょっとした挿絵を描いたりしていました。

――ゲームは当時からプレイされていたのですか?

岡本 ファミコン世代ですから、当然ハマっていました。わら半紙のつぎの年のクリスマスプレゼントがファミコンでしたね(笑)。当時出ていたファミコンゲームのほとんどすべてをプレイしたんじゃないですかね。岡本家は雨の日にしかゲームが許可されていなかったので、友だちの家にいりびたっていましたよ(笑)。初めて徹夜をしたゲームは『マリオブラザース』です。従兄とふたりで血眼になって朝を迎えましたね。あとは横山光輝先生の『三国志』の影響で、ナムコの『三国志 中原の覇者』はすごくやりこみました。ファミコンのゲームを一機交代とかで、みんなでワイワイやっていたのが自分の原体験ですね。それ以外は、いたずら好きのふつうのわんぱく少年でした。

――そのままマンガ家になろうとは思わなかったのですか?

岡本 中学生くらいから、絵を描くことからちょっと離れたんですよね。やはり女の子にモテたくて(笑)。まんが道から逸れて、ちょっとしたヤンチャや、野球などをやるようになり、大学のころには「何をしようかな」とのほほんと考えていたのですが、当時は就職氷河期で、まわりはなんかすごく真剣に準備していました。それこそ自己分析の本を何冊も買ったり、セミナーなんかに行ったりして。  みんなソニーやホンダ、電通など大手一流企業に入ろうと必死だったんですけど、俺はそういうところに行っても役に立たないな、と思っていました。“みんなが正しいと思うことを正しく遂行する能力はない”と思っていたんですよね。そんな気もないし(笑)。オリジナリティーと言えば格好はいいですけど、ど真ん中からちょっと外れたところで、自分なりにアレンジしながら生きていくのが向いているんだろうなと勝手に思ったんです。

――そこでゲーム業界を目指すことになったきっかけは?

岡本 自分は何が好きかなと思ったときに、小学生のときにマンガを描いていたし、ファミコンも好きだったし、“~~をした、○○ページに飛ぶ“というゲームブックを自分で作ったりもしていたんですよ。6角形の消しゴムで野球ゲームを作ったり。あとは、方眼紙で『スーパーマリオブラザーズ』のオリジナルステージを作ったりもしていたので、当時レベルデザイナーという言葉はまだありませんでしたけど、それに近いことはやっていたんですよね。  じつはファミ通に自分の4コママンガが載ったことがあり、金のガバスをもらったこともありました(笑)。それで改めてゲームの企画書を書いてみようと思ったのですが、親父の影響で文系、大学も文学部史学科だったので、パソコンは難しいと思い、手書きで作りました。“漫才師つっこみ”ゲームや“原始人のオープンワールド”の企画など、絵も下手なりに一生懸命描いて、これでいいのかな、みたいな感じでしたけどね。

――お父様の影響で考古学の道に、というのは考えられましたか?

岡本 1980年代のバリバリのスピルバーグ世代なので『インディー・ジョーンズ』みたいなことも格好いいなと思って、大学ではそういった勉強をして、イタリアに発掘調査に参加したこともあります。将来は考古学の道に行こうかと悩んでいたのですが、親父と話したときに言われたんですよ。「考古学者は金にならん。絶対にこっちに来るな」と。自分の仕事をそこまで言うのかと。確かににうちは貧乏だったなと(笑)。  そういうことを考えたときに、確かにロマンはあるけど、それなら父親とは違う道に進んでみようかという感じでしたね。父親のことはいまでも尊敬しています。それでさっきお話しした企画書を持ってゲームメーカーをいろいろと回った結果、テクモとカプコンに奇跡的に受かったんですよ。ただ当時付き合っていた彼女が「(カプコンのある)大阪に行くなら別れる」と言い出して……(笑)。

――テクモに入社した当初はいかがでしたか?

岡本 ゲーム業界には変わった人しかいないと思っていて、そこで負けちゃいけないなと思っていました。だから、入社当日に髪を金髪にして、卒業旅行で行ったバリ島で買ったペーパータトゥーを入れて行ったんです。最初に3ヵ月の研修があって、素行が悪かったりすると研修から帰されると聞いて、すぐにタトゥーだけは落としました(笑)。

――当時から企画職がご自身に合っていると感じていましたか?

岡本 というよりは、ほかのことができなかったんです。プログラムもできないし、CGもサウンドもできない。1回キャラデザインをしてみたことがあるのですが、そのときに描いたキャラ絵は、奇跡的に両足ともに右足でした(笑)。だから、自分で選択しているようで、意外と楽観的に流されてきた半生ではあったと思います。根拠のない自信だけでやってきた感じです。

――テクモで最初に携わった作品は何ですか?

岡本 プレイステーション2で発売された『UNiSON』というダンスゲームがあるのですが、そのダンスのコマンド打ちみたいなことから始めました。若いチームだったので、俺みたいな変わったヤツも受け入れてくれましたね。先輩たちはやさしかったです(笑)。その後、昔アーケードで出ていた『アルゴスの戦士』のリメイク版をプレイステーション2で出すという話があり、古代ギリシア・ローマをベースにした世界観になると聞いたので、「それは俺を呼ばないとヤバいですよ」と言って入れてもらいました。

――やはり世界観まわりに関わられたのですか?

岡本 そうですね。世界観やシナリオ、カットシーンの撮り回しであったり、設定なども作っていました。そうこうして2年目になり、新しい人材が入ってくると、「俺は詳しいんだから、ちゃんと言うことを聞けよ」と偉そうに言っていたんですよ、まだ2年目なのに(笑)。すると、青柳という名前の新人がいたんです。  僕は大学時代に、東大のイタリア調査隊に参加していたことがあるんです。そこの隊長が有名な青柳教授(※)という方で、新人の名前を聞いたときにちょっと予感がして話を聞いてみたら、じつはその青柳教授の息子さんだったんです。 ※青柳正規氏:日本の美術史学者で、東京大学名誉教授。国立西洋美術館館長や文部科学省文化長官を歴任。

――それはすごい縁ですね。

岡本 それでその青柳とも仲よくなって、彼はいまでも弊社に在籍しています。

――その後『NINJA GAIDEN』の制作に携わられていますが、こちらはどのような経緯だったのでしょうか?

岡本 体育会系をほとんど経験せず、大学でも先輩にタメ口を利いていて、会社に入ってからもそのノリでやっていたんですよ。そうしたら、当時部長だった兼松(※)が「お前はちょっと変わっているから、ちゃんと鍛えてもらってこい」ということで、Team NINJAに行くことになりました。Team NINJAは社内でも「行ったら戻ってこれない」などと言われていて、ちょっと怖かったんですよね。 ※兼松聡氏:現ヴァルハラゲームスタジオ 代表取締役CEO  チームリーダーの板垣伴信氏も怖かったですね(笑)。入社前の懇親会で、みんなでワイワイやっているなか、板垣さんだけがサングラスをかけて、怖いオーラが出ていたんですよ。「お前、『デッド オア アライブ』って知ってるか?」って聞かれて、「え、あのエロ格闘ですよね」って答えたらブチ切れられて、「覚えておくわ」と言われたんです。でも、会社命令でチームに所属させられるのだから大丈夫だろうとTeam NINJAに行ったら、ちょうどE3か何かで板垣さんが不在の時期で、ほかのメンバーは誰も僕が来ることを知らなくて、1週間放置でした。そして、1週間後にその“鬼軍曹”(笑)が帰ってきて、「よく来たな」と。

――懇親会でのことを覚えられていたのですね。

岡本 「今日から一睡もできないから覚悟しておけ」と言われて、「マジか」と思っていたら、それがほとんどマジだったんですよ(笑)。ちょうど『NINJA GAIDEN』のマスターアップ3ヵ月前くらいで、「今日から俺とお前で調整するぞ」と。  板垣さんの前で上がってきたロムをプレイしてあーだこーだ言う役だったのですが、遠慮せずにものを言っていたのがよかったんでしょうね。それで、3ヵ月だと聞いていたのが半年、1年と延びていって、けっきょくはその作業を1年以上、ずっとやっていました。夜になると、板垣さんが「ビール飲みながらプレイする人もいるから、気持ちを理解するためにも飲んでやろう」とか言いだしたりすることもありましたね。多分本人が飲みたかっただけだと思いますけど(笑)。

――いまの時代では想像もできませんが、すごい経験ですね。

岡本 そんな感じで1年間めちゃくちゃがんばって、ようやく板垣さんにも褒められるようになりました。『デッド オア アライブ4』ではオンラインのビジュアルロビーを作ってみないかと言われたんですけど、最初のイメージの伝えかたが無茶苦茶なんですよ。「タコとかイカになれる。コンセプトは粋ポップだよ!」と言われても……(笑)。  ぜんぜんイメージもわからないなりに作ったら、「そういうことだよ」と言われましたけどね。そこから『デッド オア アライブ4』ではオンラインロビー全般をまかされました。その後、『NINJA GAIDEN 2』を板垣さんと僕とで共同プロデューサーを務めたのですが、当時のテクモはシリーズものを作ることが多くなってきたので、そのあたりで独立したいと思うようになりました。

――新規のオリジナルタイトルを作りたかったんですね。

岡本 そうですね。それでいまからちょうど12年前、2008年に板垣さんがヴァルハラゲームスタジオを、僕と『NINJA GAIDEN』シリーズでディレクターを務めた松井(宏明)と僕とでソレイユを立ち上げて、いまに至ります。

――ソレイユという社名は、2018年の『NARUTO TO BORUTO シノビストライカー』(以下、『シノビストライカー』)がリリースされるまで、あまり表に出てきませんでしたが、こちらは何か理由があるのでしょうか?

岡本 もともと、ソレイユはヴァルハラゲームスタジオの開発協力会社として動く予定で、世に出るつもりはありませんでした。独立後はヴァルハラゲームスタジオと共同で『デビルズサード』の開発を進めて、3回くらいクライアントが変わりながら、最終的に任天堂さんに拾っていただいて、5年の開発を経てWii Uで発売することはできましたが、残念ながらあまり成功はしませんでした。  オンラインまわりをしっかりとPC版で作り直して、なんとかワールドワイドで芽が出ないかと挑戦したのですが、運営経験が乏しかったこともあって、それも上手くいきませんでした。それで本当にピンチだったときに、バンダイナムコエンターテインメントさんが「『NARUTO』のゲームを作ってみないか?」というお話を僕に持ってきてくれたんです。そのお話を受けてから、ソレイユという名前が出るようになりましたね。

インプットとアウトプットが楽しく感じるアクションゲームを

――オリジナルではなく人気IP(知的財産)のタイトルを作ることになったわけですが、抵抗などはありましたか?

岡本 最初は望んだことではなく、生き延びるためにやり始めたことではありますけど、やはり勉強になることも多かったですね。「原作を好きなお客さんはこう考えるから、ゲーム側はこう作らないといけない」という考えかたはこれまではしてこなかったので、その部分は将来的にオリジナルタイトルで勝負するときにも、すごく大きな財産になっていると思います。『NARUTO』とバンダイナムコエンターテインメント様には本当に感謝しています。

――『デビルズサード』の開発から『シノビストライカー』の開発に変わって、会社としても変化はありましたか?

岡本 ソレイユを立ち上げたのは12年前ですが、当時はヴァルハラゲームスタジオといっしょに開発をしていくイメージだったので、ソレイユ自体の企業理念のようなものはハッキリとしていませんでした。それまで常勝軍団だったチームが、『デビルズサード』で初めて失敗を経験して、開発コストや人の信用をかけて、それでも上手くいかなかったときの恐怖を味わったんですよ。そういう意味で、ずっと板垣さんに甘えていた部分があったんですよね。  ソレイユとして真に独立したのは『デビルズサード』以降で、そのあたりから、どういうふうに会社、ゲームをデザインしていくべきかということをしっかり意識するようになったと思います。ですので、創業で言えば12年になりますが、ソレイユという会社をしっかり意識し始めたのは、本当にここ5年くらいですね。

――今後はソレイユの個性がどんどんと出てくると思いますが、やはりアクションゲームを突き詰めていかれるのでしょうか?

岡本 やはり格闘ゲームやアクションゲームをずっと作ってきたチームなので、そこから逸脱したジャンルで勝負しようとは思っていません。世界で勝負できるのは唯一アクションゲームだと思っています。ただ基本的に、アクションゲームを軸にしたものであれば何でも挑戦したいですね。アクションRPGでもいいですし、僕の尊敬するガンホー(・オンライン・エンターテイメント)の森下(一喜)さんは『パズル&ドラゴンズ』もアクションゲームだと仰っていますし、アクションパズルもおもしろいかもしれません。  とにかくインプットとアウトプットが気持ちよくて楽しいものであればいいと思っています。自分たちの強みというのはつねに意識しないといけなくて、アクション、リアクションをしたときに、どういうものをアウトプットしたらお客さんは気持ちいいのか、そこはコアの部分として持っておかないといけないと思います。僕のゲーム作りの師匠は板垣さんなので、教えてもらったことを妄信するわけでもなく、自分なりにアレンジし、ただ大事なことは活かしながら、少しずつ若手にも教えながら、やっていきたいと考えています。

――先ほどもIPタイトルの開発が勉強になるというお話がありましたが、IPものを手掛ける魅力や、その難しさというのはいかがでしょうか?

岡本 いちばん大きいのは、ゲームがそのIPの魅力を最大化しないといけない、という大前提ですね。そもそもどうしてそのIPのゲームを作るかと言えば、キャラクターを操作させることで改めて愛着を沸かせたり、そのIPの魅力を原作とは違うアプローチで、「やっぱり『NARUTO』はカッコいい!」と思わせる、これがいちばん大事なんです。そのためにこそ、僕らがもっている技術を淡々とゲームに詰め込んでいく。ですので、開発者全員が原作を読んで、魅力を理解しないと作れないんですよね。  Team NINJA時代やソレイユ設立当初は、板垣さんの頭にあるものをいかに引き出して形にしていくかという感じでしたが、IPものはすでに世の中にある魅力なので、そこから情報を集めて、ファンの感情、思い入れ含め、きちんと理解したうえで作っていかないといけないんです。最初はそのあたりがわかっていなかったんですよね。8月でリリース2周年を迎える『シノビストライカー』は、スタートダッシュこそあまりよくなかったんですけど、この2年間でかなりお客さんが増えてきています。最初のころは、ゲームファンだけでなく『NARUTO』ファンからもご意見をいただいて、「愛を感じない」というようなことを言われました。

――それはいちばんツライですね。

岡本 ツライですよね。もう一度作品を理解し直して、この2年間はお客さんと対話しながらこつこつ運営開発を行ってきましたね。現在はアメリカの大人気カートゥーンアニメである『Samurai Jack: Battle Through Time』や、『鬼滅の刃 血風剣戟ロワイアル』などのタイトルも扱わせてもらっていますが、やはり作品への愛が大事なので、スタッフには“まずは作品を自分でおもしろがって愛しなさい”と伝えています。ナルトくんやジャック、炭治郎からもいろいろと教えてもらっています。

――ゲーム開発者としてのロジックと、IPの魅力を最大化する部分とで折り合いをつける難しさなどもありますか?

岡本 やはりみんなゲームクリエイターなので、“ゲームとはこうだ”というこだわりのようなものは強くありますが、それを実践することでIPの魅力が失われてしまうのであれば、IP自体の魅力を優先すると決めています。そういう考えかたも、オリジナル作品を作るときの勉強になっていると思いますね。既存IPであれ、オリジナルIPであれ、IPの魅力をゲームとしてどう表現するかは大事なポイントですね。

いつかは自分たちの作りたいものをIPとして確立

――オリジナル作品についても伺いたいのですが、将来的に自社IPを確立するために、何か具体的に動かれているのですか?

岡本 そこに至るまでにひとつひとつのステップがあると思っています。いまは既存の大人気IPものを作らせてもらっていますが、そのつぎのステップは、パブリッシャーさんと共同で新規IPを作るというステップです。ガンホー・オンライン・エンターテイメントさんといっしょに開発している『ニンジャラ』がこれにあたりますね。  ほかのパブリッシャーさんといっしょにオリジナル作品を作ることもとても勉強になるんですよ。パブリッシャーさんがどう考えて0から1のIPを生み出し、広めようとしているのか、そこをいままさに勉強している最中です。そのつぎのステップが最終的なゴールで、それこそガンホーさんみたいに、自分たちのところで完結できるような環境を作って、本当に自分たちの作りたいものを作れるようになること。いきなり最終ステップにいこうとしても多分失敗するので、そこは一歩ずつですね。会社のブランド構築や社員の成長も必要ですし。

――将来的には、いわゆるデベロッパーからパブリッシャーに移っていくイメージでしょうか?

岡本 それがいちばんわかりやすいのですが、もうひとつの方法として、自己資金でデベロッパーとしてゲームを作って、パブリッシャーさんに買ってもらう方法もあると思います。それは相手があってのことなので、どうなるかはまだわからないですけどね。ただ、やっぱり最終的には自分たちがおもしろいと思えるものをまっすぐに作れる純粋なものづくりの環境を作っていきたいですね。  IPもののゲーム作りを経験することのよさも当然あるので、そういうラインも続けたいと思います。あくまでも、経験したものを残しつつ、最終的に自己資金で作るプロジェクトを立ち上げていきたいという感じですね。既存IPものとパブリッシャーさんとの共同新規タイトル、そして自分たちだけで作る完全新規タイトル、ここは共存していてもいいと思っています。

――いまはIPもの、共同開発といったステップを順に踏んで行っている、と。

岡本 そうです。これまでは、テクモや板垣さんの看板の下でぬくぬくとゲームを作らせてもらっていましたけど、ソレイユとして真に独立していくためには、もう一度IPものゲーム作りのステップからの勉強が必要だと思ってやっています。世に出ている情報で言えば最初のステップしか露出していないので、ソレイユは既存のIPもののゲーム会社なのかと思われているかもしれませんが、最終的に目指すのはオリジナル作品ですね。  この業界に来たからには、それぞれ絶対に自分の作りたいものがあるはずなんですよ。それがないとこの業界に入る資格はないぐらいに思っていますし、そういうことが可能な健全な環境に会社を徐々にシフトしていきたいと思います。もちろん、『NARUTO』が好きだから『NARUTO』のゲームを作るのでもいいですし、オリジナルものを作りたいならオリジナルを作れる、みたいな豊かな環境にしたいですね。その豊かな環境の中で最高のアクションゲームを作り、世界で勝ち続けたいです。

次世代機市場を視野に、アクションゲーム10大メーカーを目指して

――社内の雰囲気などはいかがですか?

岡本 わいわいしています(笑)。現状は、新型コロナウイルスの影響下においてリモートワークのほうが業務のパフォーマンスが上がると一般的に言われていますが、やっぱりゲームというのは感性と感性のすり合わせの上に繊細に成り立つものなので、そこは会わないと正確に伝わらないんですよね。ですので、個々のパフォーマンスもさることながら、全体のパフォーマンスを重視しています。ゲーム作りは感性を重視した集団作業であり、個々のパフォーマンスの集合値が、全体のパフォーマンスに直結しにくいところが難しい部分だと感じています。

――確かに、リモートだと伝わりにくい部分は出てくるかもしれないですね。

岡本 オンラインで会議をするにしても、画面に映るのはバストアップの範囲だけですから、画面では納得しているように見えても、映っていない部分でもしかしたら貧乏ゆすりをしているかもしれない。情報量が圧倒的に少ないんです。ふだんだったら、アイデアを出したときにそういう細かい反応から、総合的に「これはイケてないかな」などと判断できるのですが、オンラインだとそこが難しいんですよね。  もっと以前、フレックスタイム制が話題になったときも、うちはみんなで集まっている時間帯が長いことが正義という姿勢でした。ひとりひとりが決められた時間ぶん出勤していても、みんなで混ざって“こすれる時間”がないと、絶対に熱は出てこないと思っています。作っている現場に熱量がないと、お客さんにも伝わらないという信念があります。

――濃いコミュニケーションを重視している。

岡本 そうですね。オープンに話し合うことを旨としているので、パーテーションもありません。プロジェクトごとに分断するようなこともしていなくて、他人の仕事にも常に興味を持ち刺激を受けるようにしています。「お前がいまやってるそれ、こっちのプロジェクトでもうできてるよ」みたいに、情報共有も手軽にするイメージですね。  濃く混ぜるという意味で言えば、うちはスタッフ20%ぐらいが外国人なんですが、日本人と外国人で分けるようなこともしていないんですよ。オープンな場で混ぜて組み立てていくほうが、おもしろいですからね。

――それだけオープンだと、衝突することも多くなるのではないでしょうか?

岡本 それはもう、どんどんやったらいいと思います。納得するまでぶつかればいいんですよ。前向きであればオーケーです。とくによくないのは、思っていることを言わないことですね。その時点で責任を放棄していることになりますから。その場で言わずに陰で何かを言うのは、もっとよくない。オンラインだと、発言をしていなくても許されてしまいがちですけど、実際に集まって会議をしていたら、みんなの顔を見ているうちに、話さざるを得ないシチュエーションが出てくるじゃないですか。そのほうが健全だと思いますね。  いまは集まって仕事をすることの価値を高めていくぞ、という話をしています。これまで通りでいいとは当然思っていなくて、人によると思いますけど、たとえば小学校のときとかは「学校に行ったら○○くんと会える、休み時間にこんな遊びができる、給食は何が出るかな」みたいにその日を全力投球で楽しんでいたんですよね。会社もそういうふうに熱中できる場所にしたいんですよ。

――お話を伺うと、スタッフ間の交流も盛んなように感じられますが、そのあたりはいかがでしょうか?

岡本 多分、日本のゲーム開発会社における、ひとりあたりの“取得酒量”で言えばいちばんだと思います(笑)。仕事でも仕事以外でも、お酒を飲みに行く機会はとても多くて、近くの居酒屋さんはだいたい部室みたいになっていますね。もちろん飲めない人たちもたくさんいますが、酒以外でも我々にはゲームという最強のコミュニケーションツールがありますので、ゲームができるプレイルームで、みんなでワイワイやっています。チームで『大乱闘スマッシュブラザーズ』の大会に出たりとかね。

――会社で部活のようなものを作って交流を促すようなお話はよくありますが、そういったものはありますか?

岡本 そのあたりは会社が用意するというよりは、スタッフ間で勝手にやってくれたらいいと思います。そのためのきっかけの場は極力用意したいと思っていますが、人から用意されたものだと、あまり熱量を持ってやらないじゃないですか。でも、自分で見つけてきたものにはすごい熱量を持てますから、自然発生的にやるのがいいのかなと思っています。サーフィンをやってる人もいますし、釣りや麻雀をやっている人もいるので、会社としてはそういう趣味の話が生まれるような場を提供している感じですね。

――それでは、御社で活躍できそうな人材、来てほしい人材はどのようなタイプの人でしょうか?

岡本 うちは年功序列ではなく、本当に熱量が高く、力のある人であれば自分の夢を実現できる可能性が高い会社です。自己主張が強くて大いに結構だと。「こうやりたい、こうあるべきだ」ということの有言実行は難しいですけど、まず声をあげることが大事ですよね。主張してくれたら、「言ったからにはやるよな?」ってやさしく詰め寄っていくので(笑)。僕らの仕事は最終的にユーザーに発信する仕事ですから。そういうプロ意識を持っている人に来てほしいです。

――プロ意識というのは、技術的な意味ではなく姿勢的な部分ですね。

岡本 そうですね。心がまえというか、ゲーム作りは簡単にできる仕事じゃないと思っているんですよ。楽な仕事だと考える人間が増えると、できあがるゲームもおもしろくなくなって、なあなあで流れてしまいます。そういうのはよくないし、お客さんにも失礼だと思っています。ゲーム作りって、ほんと苦労の連続ですから(笑)。僕らは世界標準でのゲーム作りをしたいと思っているので、そういう意味でプロ意識は強く持ってほしいですね。  日本人だけでなく、イギリス人、インド人、アメリカ人、ブラジル人、世界中の人に対して「俺が作ったゲームだ!」とドヤ顔できるような、そういう自信と情熱を持ってほしいと思います。技術は後からでも身に付くので、いちばん欲しいのは情熱ですね。この仕事をして、何を表現したいのか堂々と言えるようになってほしいと思います。そういう想いは会社のロゴや“いつも心に太陽を”という言葉にも込めています。

――最近では“まずスキルを身に着けないと”という考えの人も多いと思います。

岡本 もちろん大事ですよ。パフォーマンスやスキルも必要なものなのですが、ゲーム業界に入ったら、もしかしたらこの後40年間ぐらい仕事を続けるかもしれない。それだけ続けていくには、やっぱり情熱がないときびしいんですよ。途中で迷っちゃう。  ほかの部分で言えば、人間に興味を持っている人ですね。デジタルだけじゃなくて、アナログにも興味を持っている人がいいです。この仕事はツールはデジタルですけど、けっきょくは人間に向けたサービス業じゃないですか。あくまで喜怒哀楽の感情をもったアナログな人間に対してゲームを売っているので、人間を知らないとゲームは作れないというか、自己満足になってしまいます。ちゃんと人間に興味を持っている人に来てほしいですね。

――次世代機の登場も近くなってきましたが、ソレイユさんは今後も家庭用ゲーム機をメインに開発を行っていくのでしょうか?

岡本 そうですね。メインは家庭用ですが、『鬼滅の刃 血風剣戟ロワイアル』のようなスマホゲームにも挑戦していきたいと思っています。近い将来、ひとつのゲームがどのプラットフォームでも遊べるというのが標準になるでしょうから。また、当然ソレイユでは次世代機のゲーム開発もアンリアルエンジンで行っています。技術のプロにもぜひ来ていただきたいです。

――そうなると、ワールドワイドも当然視野に入っていると思いますが、今後の御社の立ち位置はどのようにイメージされていますか?

岡本 次世代機で戦っていくのはマスト事項なので、そういう意味では、コンソール向けにゲームを作る開発会社のなかで、世界で10本の指に入る会社になりたいですね。ランキングの指標はいろいろあると思いますが、アクションゲームや対戦ゲームを作る会社で世界を代表する10社と言ったときに名前が挙がる会社になりたいです。よく「国内でのライバル会社は?」と聞かれるのですが、そこはあまり意識していません。  偉そうに聞こえるかもしれませんが、日本だけで見ていると、村社会的というか、いわゆるガラパゴス化になってしまうので、あえてそうしていません。僕が業界に入ったときは、世界で売るのが当たり前、出せば300万本、400万本売れるのが当たり前という時代で、「日本のゲームってすげー!」というのを経験できたんですよね。熱狂も含めて。いまの若い子たちにも、“あなたたちがやっている仕事はすごいことなんだよ”と。“世界の人たちが喜んだり、悲しんだり、驚いたりするものなんだぜ!”ということをもう一度経験してほしいんですよ。

――当時といまではだいぶ状況が変わっていますからね。

岡本 ゲーム業界に恩返しをしたいんですよ。もう20年くらい業界にいますけど、すごくおもしろい人生を歩ませてもらってきたので、同期や先輩たちにすごく感謝しています。すごくきびしいけど楽しい、刺激的な仕事なんだよと。きびしくやるだけだと絶対に伸びないので、夢を見せてあげられるようにしていきたいです。

ソレイユってどんな会社?

 テクモでゲームクリエイターのキャリアをスタートした岡本好古氏が独立して2008年に起業したソレイユ。以降、とくに“家庭用ゲーム機向けアクションゲーム”の開発にこだわり続け、最新作となる『ニンジャラ』を始め、『NARUTO TO BORUTO シノビストライカー』や海外向けの『SAMURAI JACK: BATTLE THROUGH TIME』などのタイトルを開発している。アンリアルエンジン4での開発を得意とし、業界20年以上のベテラン開発者も多く在籍。外国人社員も多く、世界基準のハイエンドゲームを作れる数少ない開発スタジオとして、オリジナルIPから版権ものにも積極的に挑戦を続けている。 ●代表取締役:岡本 好古
●設立年月日:2008年8月1日
●従業員数:98名(2020年7月13日現在)
●事業内容:ゲームソフトの開発
テクモ時代に岡本氏も開発に参加した『NINJA GAIDEN』の魂がこもった模造刀! Nintendo Switch用ソフト『ニンジャラ』。ガンホー・オンライン・エンターテイメントから発売中の対戦ニンジャガムアクション。

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