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ROCKSTAR HISTORIA Vol.14:『GRAND THEFT AUTO III』(後編)〜新しい“スタンダード”の幕開け
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▲『GTAIII』の初期パッケージイラスト。ブラックスプロイテーション映画(黒人向けに特化した映画群を指す)や、1968年の映画『華麗なる賭け(原題:The Thomas Crown Affair)』のポスターなどに影響を受けている。

Text by Mask de UH

 一週間お待たせしましたが、歴史を変えた超名作『グランド・セフト・オートIII』(以下、『GTAIII』)を10年ぶりに語り尽くす後編をお届けします!

 前回はプレイヤーが真の自由を手に入れることが可能となった『GTAIII』の世界観構築について考察したが、今回は更に踏み込んで、世界観が幾十もの層になっているGTAシリーズ独特の“社会構造”について考察したい。
 本作に限らず、GTAシリーズの主人公は全員が共通して犯罪者であり、基本的に流れ者という設定になっている。プレイヤー=主人公は、人に言えないような事情を抱えて舞台となる街に流れ着き、そこで無一文の状態で放り出される。状況としては最底辺。ジュースの1本も買えるかどうかだ。
 そこから如何にサバイブして、街を支配するまでの超大物に成長できるかが、ゲームデザインの基本骨子であることは今更説明するまでもない。このフォーマットは非常に応用が効く内容で、オープンワールドのゲームを遊ぶために作られた新しいロジックだと筆者は考える。RPGに非常に近いが、現代劇で犯罪アクション、カースタントがメインであることから、厳密に考えると違う。これは、『GTAIII』というゲーム作品をスムーズに楽しませるために生まれた新しいスタンダードなのではないか?

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▲『GTAIII』のロゴ案。ステンシルを使ったストリートアート(左)やドラッグの密売を想起させるピル錠(右)のイメージでデザインされていた。後者は『GTA2』のロゴと似過ぎていたために却下に。

 この下克上をメインとした物語に、現実社会を再現し、時に皮肉ったような人間たちが数多く絡んでくる。彼らは主人公と同じように人に言えないような事情を抱えているか、もしくは完全に表に出れないような闇社会の人間だったりして、ロクな頼み事をしてこない。だが、そんな厄介事を都合よく後腐れなく処理するには、流れ者にまかせるのが一番だ。こうして、プレイヤーは次々とダーティーな仕事に手を染めるようになり、気づけば両手は血塗られていた。



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▲『グランド・セフト・オートIV』で実行された、手配中のポスターを模したキャンペーンは、実は『GTAIII』の段階でアイデアが上がっていた。

 『GTAIII』は、犯罪に引き込まれていく過程と、犯罪者の心理をも巧みにゲームデザインに盛り込んでいる。主人公クロード・スピード(※この本名が明かされたのは『GTA:サンアンドレアス』だった)は、コロンビア麻薬カルテルの元幹部だったが、同僚である女ギャング、カタリーナの裏切りによって逮捕・投獄されるも、護送中に謎の集団に襲われて脱走に成功。カタリーナへ復讐するために、クロードは無一文の状態から再起を図る。

 降り立った街リバティー・シティは、複数のギャング組織が暗躍する犯罪都市だ。クロードの所属したコロンビアン・カルテルを筆頭に、中華街を牛耳るチャイニーズ・マフィア、暴走族となって暴れ回るヒスパニック系ギャング、麻薬を流通させるジャマイカン・マフィア、そして狂気を孕む日本人ヤクザ……。多くの人種、組織、そしてプライドが入り乱れる仁義なき戦いの世界。描写自体はステレオタイプの人種像ではあるが、これほど現実の闇社会をゲームに取り入れた例は皆無と断言できる。

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▲モンタージュ技法によるパッケージイラスト案のひとつ。オーストラリア版では手前のヤクザが削除された形で採用されている。

 コロンビアやヒスパニック、ジャマイカ人も中国人も日本人も全て非白人社会の構成員であり、アメリカ合衆国においてはマイノリティと呼ばれる人々だ。
 「ゲームの主人公といえば、マッチョな白人ヒーロー、スポーツゲームならば黒人選手」という不文律が当たり前のようにまかり通っていた洋ゲー市場にとって、これは強烈な一撃だった。以降、GTAシリーズは社会的にはマイノリティとされる人種を敢えて主人公に投入し、彼らが置かれている境遇、立場を通してアメリカという巨大国家が抱える矛盾を再現するだけでなく、我々プレイヤーに体験させるのである。
 単に、ギャング映画の影響とか、サウンドトラックのセンスの良さとか、そういう部分だけでGTAを語るだけで不十分だ。GTAが我々に何を体験させようとしているのか? そこが重要なのだ。

 リバティーシティには、極道組織以外にも様々な人々が暮らしている。若者、ビジネスマン、風俗嬢、老夫婦、ホームレス……ただし、子供だけは登場しない。『GTAIII』が過激な暴力ゲームとしてメディアで大バッシングを受けていた頃、某番組では名物キャスターが得意げに「子供まで登場するんですよ!許せない」なんてほざいておったが、「ああ、まるで『GTAIII』なんて触ったことも無いし、触る気もないんだなぁ」と憂鬱な気持ちになったのも悪い思い出。子供が下手に絡まないぶん、ドライな物語となり、代わりに女はタップリ絡んでくるが、セクシー要素に関しては先の話。

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▲お色気要素は『GTA』で話題になる問題のひとつ。しかし、オトナの街にはストリップバーがあるし娼婦もいるものである。“良識派”が目をそらす現実もまた、愛と欲望にまみれた世界のひとつのリアリティなのである。
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▲バットを片手に今日も出勤するマスク・ド・クロード。

 筆者は、金が無くなるとよく路上強盗に勤しんでいた。強盗といっても道端で派手に銃をぶっ放していたら逮捕されてしまうので、通行人を付け回し、人気のない場所でバットで殴り倒す。単純だが、金持ちそうな身なりの人間を狙えば、車両強盗よりも稼げる。もちろんミッションでもミニゲームでもない。自発的に始めた俺流ミニゲームだ。
 ある日、人気の無い場所に誘いこんだがシケた相手で金を大して持っていなかった。腹いせに近くにいたホームレスに絡んだら、なんとモノスゴイ量の札束を落としやがった。通常、ホームレスは1ドル持っているかいないかの相手。しかし、このようなホームレスが稀に存在するとなれば、俺流ゲームの方向性は完全にチェンジする……!

 こんな仕掛けが随所に施されているのが『GTAIII』というゲームなんですよ! 前回「どこまでしゃぶり尽くせるか」と書いた意味は、ここにある。パッケージを全て回収しようが、ミッションを全て終わらせようが、本当の終わりではない。正確には「終わりがない」のが『GTAIII』であり、故に『GTAIII』にはメニュー画面が存在しない。これはGTAシリーズ全てに共通しているのだが、ディスクを挿入しゲーム機を起動すれば、そこはもうリバティーシティであり、GTAの世界なのである。始まったら止められない「ゲームの中の人生」のスタートなのだ。これは、プレイヤーを否が応でもゲームの世界に没入させる、実に有効な手段だと思う。有効であり、大胆だ。メニュー画面いらねぇ、という決断が素直にできるだろうか? 技術的には難しくないだろうが、踏み切るには勇気のいるアイデアだ。それを取り入れたからこそ、GTAシリーズ独特の没入感が生まれたのだ。

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 最後に、『GTAIII』を語る上で不可欠な「チートコード」の存在について触れておこう。GTAシリーズにおけるチートコードは、一見すると不死身になったり、弾数が無限になったりと便利そうな実用技から、残酷モードや自殺コマンドといったブラックジョークの効き過ぎな技まで多種多様に用意されているが、実際にはミッション攻略には使えないものばかり。
 要するに、ゲームの難易度を下げて攻略をアシストするような目的で作られたのではなく、ゲームに行き詰まった時にストレス解消させるために盛り込まれた要素なのだ。チート入力状態のセーブが推奨できないのも、そのためだ。
 チートばかりでは、いずれプレイは詰む。チートの魔力に引きずりこまれず、理性を持ってゲームを最後までプレイすることが、実は『GTAIII』の最も正しいプレイスタイルなのである。それを踏まえて今、新鮮な気持ちでプレイすれば、『GTAIII』が作り上げようとした素敵なサムシングを見つけることができると思う。
 あの衝撃から10年。日本もアメリカもゲーム市場も取り巻く社会も全て変わったが、『GTAIII』が持つ本質的な素晴らしさは変わっていない。ゲームの中では、俺は自由だ。しかし、無法ではない。自由であるからこそ時に真面目に生きてみる、地道に稼ぐのも飽きたから、ここらで強盗でも引き受けて一発逆転を狙う、どちらを選ぶのも、いや選ばずとも同時進行できる……。逃げ場のない腐った現実から逃れるために、クソッタレだが自由なリバティーシティに飛び込む行為は、現代社会の生き方として正しい。

 むしろ、そのためのゲームなのだと、改めて大人の笑顔で断言したい。

(追記:さる筋からの情報で、テレクラ漫画家の成田アキラ先生がGTAシリーズの大ファンであることを小耳に挟んだ。こうなったらいつか先生を召還してGTAのGURIGURI TEROTERO AHEAHEな魅力にといて夜通し語り合いたいと願うばかりである。ファミ通的に成田アキラ先生はセーフなのか? それだけが心配だ)

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