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永久保存版: ロックスター・ゲームスのキーマン、ダン・ハウザーインタビュー(前編)
2012.02.10
Tag: News,

前編中編後編

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 ロックスター・ゲームス特集を行った、週刊ファミ通2011年11月10日号(2011年10月27日発売)に掲載した、ロックスター・ゲームスのダン・ハウザー氏のインタビューを3回にわたってお届けします。
 ダン・ハウザー氏は、クリエイティブ担当副社長として、そしてロックスター・ゲームス社長の兄サム・ハウザー氏の片腕として、キャラクターやストーリー、ゲームデザイン全般を見ており、『グランド・セフト・オート』シリーズすべてにシナリオライターとして参加している最重要人物のひとりです。

 インタビュアーは、マスク・ド・UH氏。ダン・ハウザー氏は普段メディアに姿を現さず、前述の特集号でインタビューが掲載されたこと自体が海外で報じられるほどなのだが、UH氏によるインタビューの収録時間は、過去に『レッド・デッド・リデンプション』で記録した1時間40分を超え、前代未聞の2時間半に突入。ロックスター・ゲームスの誕生から哲学、そして未来まで大いに語るロングインタビューとなっています。それでは本編は下の[Continue Reading]から。



ロックバンドがアルバムを作るような感じにゲームを生みだす

――まずは、ロックスター・ゲームス(以下、ロックスター)という、社名の由来を教えてください。
ダン・ハウザー(以下、ダン) 社名を考えたのはサム(・ハウザー)なので、詳しいことは、後で彼に聞いてみるよ(笑)。自分が覚えていることを話すと、始まりは1998年だ。ビデオゲームは次世代のマス・エンターテインメントになると言われていたが、その時点では、まだ限られた範囲でのエンターテインメントだった。社会を動かすエネルギーもない。子供向けのファンタジーだと思われていたんだ。そういう時代の中で立ち上げたロックスターの社名には、“やりたいことをやる”という精神、“自分たちの手でクリエイティブな業界を作る”という意気込みを反映させたんだ。社会からはみ出して生きる“ロックスター”の古典的なイメージと、独自の創造性で成功するんだ、というメッセージもね。

――“ロックスター”という言葉には、「成り上がり」という意味もありますね
ダン 成功にいたるまでは早かったが、それはあまり関係ないよ。僕らの成功は、偶然がもたらしたものだからね。それより重要なのが、アーティストがやりたいことをやれるという環境を作ったことだ。ゲーム業界で受け入れられているような方法論ではなく、独自のスタイルを追求する。どのような作品を作るか明確なビジョンを持つ。ロックバンドのアルバムを作るような感じで、ゲームを作りたかったんだよ。

――“ロック”というキーワードが出たところで、ロックスターのゲームに見られる、音楽的な部分に関しての質問です。ロックスターの作品は、サウンドトラックに関するセンスが飛び抜けていると思います。
ダン ありがとう!

――これは、会社を創設したハウザー兄弟が、ゲーム業界に以前に音楽業界に在籍していたことが大きく関係してるように思います。そもそも、なぜ音楽業界からゲーム業界へ転身したのですか?
ダン サムは、音楽業界……BMGという音楽レーベルで働いていたが、自分は同じ会社の中にあったゲーム部門にしか在籍していなかったんだ。僕らがBMGに入社したきっかけは、サムが17歳のときに、いろいろなコネを使って低賃金のアルバイトとして入り込んだことだよ(笑)。
 あのころは、皆とても若かった。1990年代中ごろの話だね。その時期の音楽業界は退廃的な状況だったが、自分たちは1960年代〜1970年代のロックスターに憧れていた。でも、サムはミュージシャンのプロデュースやプロモーションビデオの制作よりも、ビデオゲーム作りのほうがおもしろいと考えて、ゲーム部門に異動を希望したら、受け入れられたんだ。
 サムは1994年か1995年に入社したと思うが、自分は1996年にパートの社員として入社し、1997年には正社員になった。そこで、以前から興味のあったビデオゲームのプロデュースやシナリオ制作の仕事を始めたんだ。

――以前から興味があったということは、子どものころからゲーム少年だったんですか?
ダン サムほどではないけどね(笑)。僕はもうすぐ38歳になるんだけど、熱中して遊んだのは『スペースインベーダー』と『ギャラクシアン』だった。夢中になったゲームのほとんどが日本製だったね。その後、英国製の“Spectrum”という安価なホーム・コンピューターが自宅に導入されて、毎日のように遊んでいた。1980年代半ばくらいの話だね。
 でも、もっともよく遊んだゲーム機と言えば、メガドライブだよ! NES(アメリカでのファミリーコンピュータの呼称)も発売されていたけど、家では買っていなかったな。

――まさか自分が将来、ビデオゲーム会社のトップになるとは思っていなかった?
ダン それはない(キッパリと)。ビジネスのために業界に入って、それからクリエイティブな仕事に移行したんだけど、ゲームと自分が関わることになるなんて、当時は考えられなかった。この仕事を始めた15年前の時点でも、いまの状況は考えられないよ(笑)。

――しかし、いまとなってはゲーム市場を根幹から変える存在になりましたよね。
ダン ひとつ言えるとすれば、自分はそもそも技術畑の人間だったので、ゲームの制作を実践するのは難しいと思っていたんだ。ゲームというものは、自分なんかより、もっと詳しい技術知識を持った超人が、何人も集まって作るものだとね。それは自分ができる仕事ではないと考えていたよ。子供のころには想像もできなかった仕事が、いま実現しているのは、とても楽しいよ。
――まさに"アメリカン・ドリーム"ですね!

世界に散らばる才能をひとつに集約して作品をよりパワフルに!

――昨年に行った『レッドデッド・リデンプション』インタビュー(前編後編)のときにも伺いましたが、ダンさんのゲームへの関わりかたは、客観的に説明するのが難しい。しかし、とても重要な仕事を担っています。このようなスタイルはロックスター独特のものだと思います。
ダン 自分の仕事は、本当に説明しにくいんだよ(笑)。さまざまな仕事をこなしてきて、いまの立場になったからね。ロックスターの会社組織はとてもユニークで、いろいろなタイトルを生み出しつつ、つねに変化をくり返してきているんだ。
 ごく初期のころは、ロックスターの規模も小さくて、作るゲームもシンプルだった。プレイステーション2の時代から、現在のような制作スタイルに変化したんだ。資金が豊富になったので、制作スタジオを増やした。それから何年も掛けて、自分たち好みのスタイルを作り上げていったんだよ。現在は、各地にあるスタジオでいろいろなタイトルを制作しているが、すべてを統括しているのは、ここニューヨークだ。
 ゲームの制作には、基本的な設計やアートの確立などに長い時間が必要となるけれど、そういった基礎となる部分以外は、自分がフルタイムで行う仕事ではないので、あとは任せるんだ。そうすれば、多くの企画を同時に進められる。オーディオやモーション・キャプチャーなどの専門分野に携わるスタッフは、それぞれの作業に集中してもらう。スキルもアップするしね。そうやって、多くのスタッフが、ロックスターのすべてのタイトルに関われるようになった。ここまで到達するには、長い時間を費やしたけどね。

―― 多くのゲームデベロッパーでは、各タイトルの制作ラインを開発部署単位で割り振って、それぞれにディレクターやプロデューサーが付くケースが多いですよね。ひとりにつき1タイトルという。
ダン そうだろうね。

――ところが、ロックスターの場合は、ダンさんを筆頭とする少人数のクリエイティブ担当者が多くのタイトルを同時に担当し、大勢のスタッフでひとつのゲームを作り上げていくという、独自の手法ですよね。
ダン 我々にとっては、そのスタイルがいちばん合っているんだけど、難しい面もある。2001年ころから、ロックスター・ニューヨークとロックスター・ノースで協力体制を取り始めたが、スタジオによっては政治的な問題もあって、この方法が全体を見渡せば、有益な方法論であることを理解してもらうのには、何年も掛かった。サムと自分は、“エクゼクティブ(管理職)”と呼ばれる立場の人間だが、自分たちのことをそうは思っていないし、この“エクゼクティブ”という言葉自体が好きではないんだ。エクゼクティブの人間がいなくても、ちゃんと個人で責任を取れる会社になればいい。

――世界中に開発スタジオを設立しているのがロックスターの特徴ですが、裏にはそのような苦労があったんですね。しかし、そもそもなぜ世界中に開発拠点を作ろうと考えたのでしょうか。
ダン それには、ふたつの理由がある。ロンドンにある小規模なスタジオを除いて、ほかのスタジオは自分たちで設立したのではなくて、既存のスタジオを購入したんだよ。ロケーションの選択基準は、ランダムなんだ。具体的に説明すると、カリフォルニア州のサンディエゴや、イギリスのスコットランド地方、カナダになるんだけど、その地で得られる人材のスキルは、それぞれが優れていて異なる点も多い。その能力すべてを、ロックスターに集めたかったというのが、ひとつ目の理由。
 カリフォルニアのスタジオにいる優れたエンジニアの知識が必要な場合もあれば、開発の核心部分を担うスコットランドにいる、ゲームデザイナーの自由な発想が必要な場合もある。これらの知識をひとつに集約できれば、作品はさらにパワフルになれるんだ。これが、ふたつ目の理由だよ。

――とくに、ふたつ目の理由が重要ですね。
ダン その通り! 異なる才能を持った人々が、ロックスターという旗のもとに集結していることが重要なんだ。

次回:話は『GTA』シリーズへ……(中編)

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