現地直送! 北米ゲーム事情リポート
東京で後に『Rez』と呼ばれるゲームを見た時に出会った我が友人、ジェイクとの17ビットの友情
先週、ボクは古い友人のJake Kazdalが、「ベストゲームデザイン」賞のトロフィーを持って興奮している写真をフェイスブックに投稿しているのを発見して超ハッピーだった。第1回目となる東京インディーフェスで、彼が開発している「ローグライク」シューティングゲームの『Galak-Z』が受賞したのだ。
(著者が住むサンフランシスコの)GDCに合わせて行われるインディーゲーム賞であるIGFアワードが『Galak-Z』を無視し続けているのにはちょっと驚かされているが(まぁ彼らには早すぎるのかもね!)、あのゲームが受けるのにふさわしい認識を獲得したというのは喜ばしいことだ――特に、彼のインスピレーションの源であり、再び彼の住む国となった日本で。そう、彼のスタジオ17-Bitは、去年の9月にシアトルから京都に引っ越したんだ。

ジェイクとボクの関係は古い。僕らはインディペンデントなアーティスト活動と同じく、日本のレトロなアーケードゲームとコンソールゲームが好きなのが昔から共通していて、それは(ジェイクにとっては)『Galak-Z』の誕生とも無関係ではないんだ。だから今回はちょっと昔の話をしよう。
ボクが彼と出会ったのは1999年東京のこと。このクマのようなアメリカ人が、水口哲也のUGA(旧AM9研)の元で、卓越した才能のある日本人のプログラマーやアーティストたちと働いていた時代だ。彼がかつて語ったことによると、ボクが編集長をやっていた雑誌Edgeがやった「ミズグチサン」へのインタビューが、どうしても日本のセガで働きたがった理由のひとつらしい。ありがたいことだね
その頃、ミズとボクは知り合って何年か経っていて、とても遠方の友人関係のようなものを築いていた。確かボクの記憶が確かならば、彼はジェイクのことを「アーケードゲームのデザインの新顔」と称していたような気がするが、思うにジェイクが採用されたのは、彼が恐ろしいほどに情熱的だったことと、多分チームに多様性をもたらすために西洋人を入れる必要があったからだろう。

渋谷にあったUGAのオフィスにいて、ボクは彼らの開発中の名称未定のゲームを眺めていた。音楽に合わせて動くレイルシューターで、クールで、未来的で、サイケデリックなグラフィックにテクノ/トランスのサウンドトラックが融合した、スタジオの処女作である『スペースチャンネル5』に続く第2作。
最初の面の仮BGMは僕らの好きなUKのバンドアンダーワールドのとある曲がかかっていて……。その晩のディナーで彼がまだ新作のタイトルをどうしようか困っていると語った時、ボクと友人であり同僚だったサイモン・コックスはRezと呼ぶべきだと示唆したんだ。すると彼の顔が輝き、それがスッとはまった……。
と、脱線が過ぎたので話を元に戻そう。そうそう、これはジェイクの話だ。その週、ジェイクが彼の狭い東京のアパートに数日招待してくれて、ボクらはK2のキックボードに乗っていろんな所に遊びに行った。ワゴン売りされていたりアンダーグラウンドなゲーム屋に潜んでいるレアゲーム捜索に行ったり、サイケデリックトランスのクラブパーティーで踊ったり、原宿でカワイイ女の子たちを見ながらラテを飲んで……浴槽がメチャクチャ小さいのに驚いたのも覚えている!

それだけじゃない。古い日本のゲームのアートやデザインの持つ雰囲気をいかに僕らが崇拝しているかについて語り合ったのも覚えている。中でもスーパーファミコンの、あまり表立っては評価されていないように見えるクールなハードウェアから、美しいボックスアート(パッケージの箱絵)、そしてすばらしいタイトル群に至るまで。
そして日本のものへと同じくあった西洋のゲームへの愛が、新たなゲームを夢想させた。「日本のゲームの美しさとプレイアビリティの幅やスタイルと、西洋のコンピューターゲームで発達してきた深みや自由なプレイを兼ね備えたゲームがあったら?」と。
この夢と設計思想が(長い時を経て)結実したのが、ジェイクのスタジオ17-Bit(旧Haunted Temple Studios)なんだ。その処女作である『Skulls of the Shogun』はターンベースのタクティクスストラテジーゲームとして賞賛を浴び、続く『Galak-Z』(夏発売)では2D世界を全方向に動きまわるAIと物理ベースのスペースシューターとして、PS4のインディー路線のキーのひとつとなるタイトルとなっている(PCやPS Vitaでもリリース予定)。
ボクは幸運にもウェブサイト構築とイラストをお手伝いするために『Galak-Z』のいくらかを遊ぶことができた。うん、もしかするとちょっとバイアスがかかっているかもしれないけども、ボクは本当にAIたちが動きまわる世界と慣性がついたタイトなコントロールに夢中になってるんだよ!

というわけでジェイクの話をしたから、次はボクの個人的なプロジェクトについてもお伝えしよう(もう書いてるので、いつもよりすぐに掲載できるハズ)。これもまた、UKでの雑誌編集時代に直結しててね。すごく日本とアニメとスーパーファミコンのことが満載のスタイルのSNES雑誌で「Super Play」っていうのがあって、今思い返すとあれもまた「17ビット」と呼ぶにふさわしいと思うんだなぁ……それじゃJikai-made!!(編注:16ビット体験にひと味加えた、というような意味。ちなみに「次回まで」だけ何故か日本語で書いてきた)
ゲームをセーブせよ――実機、エミュレーション、家族写真? いかにゲーム体験を後世に残すか【GDC 2015】
ビデオゲームの信じられないほど豊かな歴史をいかに保存していくかという試みは、近年真剣に取り組まれるようになってきた。特にアメリカでは、2011年6月に最高裁が、ビデオゲームは合衆国憲法修正第一条に規定されるアートに値するという判断を示してからは。(※編注:修正第一条は表現の自由を定めている。この判断は“暴力的なビデオゲーム”の販売規制に関してカリフォルニア州とEMAとの間で争われていた裁判の判決で示された)
今月頭にサンフランシスコで開催されたGDCでのパネルディスカッション“Saving It, Showing It: Collecting and Exhibiting Videogame History”では、この我々が愛するメディアの歴史が時間の流れによって消失してしまわないようにするにはどのようなステップを踏むべきかが議論された。
出席者は、ニューヨーク州ロチェスターの通称“The Strond”ことナショナル・ミュージアム・オブ・プレイ(国立遊戯博物館)、ロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館、そして古いコンピューター資源の将来について懸念を示している様々な研究者ら。古いゲームのカートリッジに含まれている電池とともにそのゲームも破壊されていき、ハードドライブは劣化し、古いアーケードゲームに搭載されているCRTは生産されなくなってから何年も経つ。近い未来、いつか代えのパーツはなくなる。そして次に何が起こるのか?

登壇者のひとり、ジョン・ポール・ダイソンは、The Strongのディレクターだ。年間50万人が訪れる同博物館は、街の一区画分にも及ぶ、世界でもっとも包括的な遊戯とおもちゃのコレクションを収蔵する。歴史博物館と科学博物館と遊戯博物館がひとつになったようなものだ(公式サイト)。
同博物館は5万5000に及ぶビデオゲームとその関連物をコレクションしており、その中には200台のアーケード筐体とピンボールマシンを含む。最初期のアーケード筐体に始まり、いくつかの現存する超レアなコンピューターやゲーム機までが、G.I.ジョーのプロトタイプと同じように保管されているのだ。
同氏によると、The Strongは2009年から「いかにしてゲームが設計され、生産され、宣伝されてきたか、あらゆるものを集め、保存し、解釈する」ことを使命のひとつとしてきたという。続けていわく、「その文化的な意味合いも考慮の対象です。例えば、あるゲームが人々の生活にどのような意味をもたらしたか、そして社会にどのような影響をもたらしたか?」

The Strongは単に古いゲームを展示して“賞賛”するのではなく、当時のゲームがいかに設計・開発され、どのように人々に受け止められたかといった展示も実施している。ウィル・ライト(シムシティ)やラルフ・ベア(世界初のゲーム機Odysseyの開発者・故人)、ジョーダン・メックナー(プリンス・オブ・ペルシャ)、ケン&ロバータ・ウィリアムズ夫妻(アドベンチャーゲームを発展させたシエラ創設者)といった伝説的なゲームデザイナーたちの仕事がアーカイブされ、インタラクティブな展示として閲覧できるほか、1万から1万5000冊ものビデオゲーム雑誌も収蔵している(ファミ通も持っている!)。

同氏は、The Strongができるだけ古いゲームのオリジナルの体験を複製し維持するために、多くの労力を割いていることを指摘した。それが古いアーケード筐体のためにCRTモニターのデッドストックを買い占めておくことを意味するとしてもだ。しかしながらもちろん、いつかはエミュレーションやLEDモニターへの置き換えといった、さらなる未来に残すための譲歩が必要となる。
かのスタンフォード大で科学と技術の歴史を担当するキュレーターのヘンリー・ローウッドが語ったのも似たような話だ。「データ移行などの問題は我々にとってつきものです。ロムにしてもカートリッジにしてもカセットにしても、それ抜きではうまくいかない。だから我々は国立ソフトウェア資料ライブラリ(NSRL)と共同で、オリジナルの媒体から我々がデジタルリポジトリとして永久に保存可能な形へとデータを移し替えています」
1998年から75プラットフォームにわたる1万5000ものソフトウェアをアーカイブしているそうで、その多くは個人収蔵のコレクションが元になっている。世界中のあらゆる人が、スタンフォードの研究成果としてこのコレクションを利用できる――研究者じゃなくても(スタンフォード大公式サイト内の該当ページを参照のこと)。
そしてローウッドは伝統的なパッケージゲームだけでなく、仮想世界のアーカイビングにも話を発展させた。「我々は仮想世界がサービスを終了してシャットダウンされるようなケースにも関心があります。どうやってその体験を後から知ることができるでしょうか?」
それを知るためにスタンフォードは、2008年に閉鎖寸前だった『EA-Land』(元『シムズオンライン』)のプレイヤーを招待し、最後のクロージングパーティーの様子を録画した。この感傷的なビデオは、いずれは解散するバーチャルコミュニティが何を意味するのか、オンラインの活発な議論を呼んだ。
こういった人々に新たに加わったのがサンフランシスコが誇る非営利団体、インターネット・アーカイブだ。この世界最大のインターネットのアーカイブ団体は、近年古いソフトウェアとゲームにも注力するようになり、現在はブラウザベースのエミュレーション技術を使って時代から取り残されたプラットフォームのソフトウェアとゲームを保存し公開している(The Internet Archive Software Collection )。
オーストラリアのフリンダース大学准教授のメラニー・スウォルウェルがこのパネルディスカッションのトリを飾った。彼女が取り組んでいるのは、1980年代のオーストラリアのゲームビジネスにフォーカスして、それを保存するプロジェクト“Play it Again”(公式サイト)だ。
いくつもの博物館や大学とのコラボレーションにより、データ、画像、ボックスアート、映像、そしてその他の関連する文字資料といった包括的な資料を集め、地元産の約50のビデオゲームを扱っている。キープレイヤーとして指名されているのはメルボルンハウス。恐らく8ビット時代ではもっとも有名なオーストラリアのソフトハウスだ(『The Hobbit』で知られる――もちろんインターネット・アーカイブで公開されていてプレイできる)。

スウォルウェルは、ゲームを歴史的側面からアーカイブすることを公衆と広く対話するよう専心しているそうで、その中のひとつとして、個人から初期のゲームをプレイする昔の写真を提供するよう訴えかけているそうだ。
「人々がゲームをしている写真というのは、公共の写真記録にはなかなかありません。まぁアーケードで遊ぶ様子が欲しかったんですから、それが難しいというのはわかります。人々が自宅でゲームを遊ぶ様子の写真はさらに難しいです。しかし何枚か個人のアルバムからご提供頂くことができました。人々のその時代の記憶はかけがえのない価値があります」

そして最後に彼女は色褪せたポラロイド写真を示し、このように語った。「もし1980年代にオーストラリアでコモドール64を所有する幸運に恵まれたら、多分“友達”には困らなかったことでしょう」。

沈黙するゲーム業界の女性達を代弁する空の椅子。それでもゲームを作り続ける理由【GDC 2015】
2015年のGDCでの、ジェイソン・ブルックスによるリポートをお届けします。今年のGDCでは、ビデオゲームに関連した性別や民族、そして虐めなどの問題を扱うAdvocacyトラックという一連のシリーズの講演が行われました。Advocacyトラック自体は以前からあるものですが、今年は昨年より起きている“GamerGate”と呼ばれる性別と表現に端を発したオンライン運動や、さまざまなマイノリティに対する表現への意識の高まりを受けて、例年よりも注目を集めていたように見えました。
今回ご紹介するのは、ゲーム業界で女性が働く際の問題を取り扱ったパネルディスカッション“#1ReasontoBe”のリポートです。(編集部より)
今年のGDCで、ゲームデザイナーにして研究者であるブレンダ・ロメロ(2012年からジョン・ロメロの妻でもある)はGDCアワードのアンバサダーアワードを受賞した。この賞は、ビデオゲームおよびその業界をよりよい物にするための行動や支援活動に対して贈られるものだ。
そしてGDCで彼女は、ゲーム業界を取り巻く性別の問題について取り組むパネルディスカッション“#1ReasontoBe”を共同開催した(このタイトルは、かつて#1ReasonWhyおよび#1ReasonToBeというハッシュタグで議論が行われたことに基づく。GamerGate以前から行われており、今年が3回目となる)。
昨年我々は、ビデオゲームを取り巻く世界に潜む性差別と女性嫌悪の高まりを目撃した。この“GamerGate”と称されるオンライン論争は、ゲーム業界で活動する女性に対してその才能とは離れた場所で勃発し、未だに彼女たちを脅かし続けている。このパネルディスカッションは会場となった巨大なホールを埋め(いいことに、多くの男性の聴講者がいた――自分も含め)、現在も続く混乱の中で、この業界では女性であることの意味とはなんなのか、それぞれの視点や経験に基づいたさまざまなアドバイスや示唆がもたらされ、拍手とスタンディングオベーションが頻繁に巻き起こった。

最初にトークを行ったのは、ジャーナリストのリー・アレクサンダーとゲームデザイナーのエリザベス・ラパンセだ。両者とも職場に女性として意識的に関わり続けることの倫理について語り、それを少数民族などのマイノリティの問題へと敷衍させた。「立ち上がって発言するだけがすべてではありません」、「我々は、我々が住み、働きたいと思えるような倫理的な世界を作らなければならないのです」とアレクサンダーは語る。
そしてラパンセがそれに呼応し、彼女がネイティブアメリカンに祖先を持つことから作られたいくつかの小さなゲームを示し、民族の多様性という点に対して彼女が発信してきたものを提示した。「私にとってゲーム作りは、“Survivance”(自立した民族としての生存と持続を意味する用語)を実現するための方法なんです」と彼女は語った。「アメリカインディアンがゲームを作る? そうです。私達には技術があるんですから。私達はいつだってゲームを作ってきたじゃないですか」と。
ウィスコンシン大学マディソン校のコンスタンス・スタインクーラー准教授は、オバマ政権においてビデオゲームとテクノロジーに関するアドバイザーとして関わった際の経験を話した。パックマンのステッカーが貼られたラップトップの前に座っているオバマ大統領のプライベートフォトなどを見せながら語ったのは、彼女がどのようにして「ゲームは愚かで無神経で、よくない習慣と結びついている」と考えるような案から業界を守ってきたかということ。

政府中枢で働く人間として、彼女はしばしば会議室で唯一の女性だったという。しかしながらそのような状況は変わりつつあるそうだ。「ビデオゲームを専攻する学生の33%は今や女性です」、「業界の多様性は増しています。ビデオゲーム業界における男女の均衡に向けて進んで行っていると言えるでしょう」と語った。

このパネルディスカッションでもっとも印象的だっただろう部分は恐らく、(ネットと彼女たちの実際の職場双方で)ハラスメントを恐れて沈黙を続ける女性たちの存在を、どのスピーカーのためのものでももない空の椅子とともに示していたことだ。この沈黙に寄り添うように、世界中の匿名の女性からの発言の引用が大スクリーンに静かに表示され、多くの涙を誘った。



お次は、さまざまな大作に脚本を提供したことで知られているエイミー・ヘニングだ(特にノーティドッグでのアンチャーテッドシリーズなどで有名。現在はエレクトロニック・アーツでスター・ウォーズゲームの新作に取り掛かっている)。
ヘニングが語った内容は、これまでにない視点で、昨年から続く騒動に共感できない人を元気づける、万雷の拍手を受けるのにふさわしいものだった。いわく、25年のトップクラスの開発者として、ゲーム業界の女性としてまったくネガティブな経験をせず、この業界を“機会の砦”と考えていると言う。

「この業界は私にとって安息の地なんです。インターネットは有毒な場所が多く、ゲーマーカルチャーは有害になりえる時があって、メディアはネガティブな側面を増幅しうる。しかし私にとって、ゲーム業界は喜びと友情の場所です。私が加わった時、それは機会を与えてくれる場所でもあって…… 私達は、この場所が私がそうあるべきと望むような、開かれた城であることを示す必要があります。女性は過小評価されていて、やらなければいけないことはとても多いですが、私が今日みなさんの前にいるのは、他の女性の皆さんにここはいい場所だと伝えるためです。どうぞいらっしゃい。水が合いますから」
最後に登場したキャサリン・クロスの発言も、印象的なものだった。彼女は博士課程の学生であり、オンラインでビデオゲームについて活動するフェミニストであり、彼女が執筆したものに関して実際にハラスメントを受けている人物だ。クロスはビデオゲームを“まだ我々がその深さについて理解し始めたに過ぎない、強力な文化的創造物”であると述べる一方で、ハラスメントによる影響でビデオゲームを評論することをほとんど辞めかけていた事実を明かした。
だが結末は異なる。「でも私は以前よりもビデオゲームについて書くことを決めました。ビデオゲームこそが重要(書く意味がある)だし、自分たちの属性をを何と呼ぼうとも、それをプレイする人達こそが重要だったから。私はどこにも行きません。ここにいるし、ビデオゲーム以上に行くべき場所もないから」。勇気ある彼女の決断に拍手を贈り(実際にスタンディングオベーションが起こった)、このリポートを終わりたい。

人種差別、性差別、性的指向への差別。ビデオゲームに何ができるか?
この前GDCの会場を歩いていて、現象や文化としてのゲームが、いわゆる「男の子のおもちゃ」というイメージを超えて進化していることを示す兆候をいくつか見ることができた。
一方で、ゲームにおけるジェンダー(社会的・文化的な性)など、社会的問題にまつわる議論として、いくつかの講演も行われていた。もっとも顕著に示していたのは「Misogyny, Racism and Homophobia: Where Do Video Games Stand?」というタイトルのものだ。
この講演で行われたBioWareモントリオールのゲームデザイナーであるManveer Heirによる注意喚起は、訪れた聴講者から長いスタンディングオベーションをもって歓迎された。
それは、彼の言う“あらゆる社会的な不正義”、つまり「ミソジニー(女性嫌悪)、セクシズム(性的差別)、レイシズム(人種差別)、エスノセントリズム(自民族中心主義)、ナショナリズム(民族主義)、エイジズム(年齢差別)、エイブルイズム(障害者差別)、ホモフォビア(男性同性愛への差別)、トランスフォビア(性同一性障害などへの嫌悪)、クイアフォビア(性的マイノリティへの差別)」などに幅広く適用できる話だったからだろう。
『マスエフェクト』シリーズで彼らは、性別や性的指向の問題に正面から取り組み、プレイヤーが男性と女性それぞれの異性愛だけでなく、同性愛も選択できるようにしている。
講演では主に、女性やマイノリティグループが正しく描かれないどころか、場合によっては否定的に扱われさえすることに多くが割かれていた。こういった傾向は、潜在的プレイヤーとして特定の層を過小評価しているだけでなく、ステレオタイプイメージからの差別を強化しさえするという。
一例としてスライドでは、女性が往々にして単なる性的対象に、黒人男性が危険な悪役として扱われているさまが紹介された。中でもロックスター・ゲームスの『グランド・セフト・オートV』は、どちらの点でも問題があると批判していた。
さらに、女性主人公のゲームは売れないという通説にも、十分な議論もなされておらず誤解されがちだと主張。「マーケティングと開発が、あまり女性キャラクターをフィーチャーしたゲームに労力を割いてこなかったことがゲームの品質に影響し、ひいては数字に悪影響を及ぼしているのではないか」と語った。
また、ネガティブなステレオタイプに終始してしまいがちな点に対してよく言われる「(そういった配慮は逆に)リアルじゃないから」という言い訳については、「リアリズムを理由とするのは辞めるべきだ(中略)特に我々のゲームのほとんどがファンタジーで、歴史的正確さを持ったものでない現状では」と指摘。
そんな中で、『アサシン クリードIII レディ リバティ』は、人種や文化について新たなアイデアを模索した好例であると紹介されていた(編注:主人公はフランス人と黒人の混血の女性アサシン)。
論の中ではLucas Pope氏の『Papers, Please』についても言及。国籍や民族をめぐる検分をプレイヤーにやらせてみるという本作の手法は、同氏の考えに大きく影響を与えたようだ。
「このゲームは、物事をそれまでにない角度から捉えさせてくれました。私に人々をその民族だけを理由に帰らせたりしましたし、システムがいかに振る舞い、どうして始まったのかもよくわからない信念を強化するためにルールが作られていくかを見せてくれたのですから」
そしてHeir氏は、(『Papers, Please』がそうしたように)まさに他のメディアには出来ない、ゲームならではのやり方で、これらの現実の社会問題に対峙できるのではないかと示唆。
プレイヤーにとって意味あるダイナミックなゲーム体験を生み出すメカニクスと物語要素を作り出すことで、直接的にこれらの問題をプレイヤーに晒し、考えてもらえないだろうかと語りかけた。
「業界のみんなで、もう恐れるのは止めましょう」
「プレイヤーのコアな体験が変わるゲームを作りましょう。マジョリティとマイノリティ双方がイメージしているような、我々の人種や性別、性的指向など、世界に存在するあらゆる社会的な不正義に挑戦しましょう」
確かにそろそろ僕らは直面しなきゃならない。もちろんたくさんの例外があるけど、(ポルノ業界を除けば)ゲーム業界はもっとも極端な、欧米の男性の影響が強い文化表象のひとつで、セックスとバイオレンスという古い通貨(編注:注意を惹くための手法の意)を未だに使っている。
ただ変化には時間がかかる。我々は文字通りこれらのソソる化学調味料にハマっていて、マーケティングのお偉方はこの定番レシピから思い切って外れたがらないだろう。
しかし個人的には、これらの問題は世代を経るに連れて減っていくのではないかと見ている。つまり、若いゲームクリエイターは、単にこういった流れに乗らなくなっていくのではないかと思うからだ。
それはHeirの話が深く共感を呼んだからとか、彼らが彼らの先輩たちよりもそういった社会的責任に向き合うようになるというよりも、むしろ単に、自分たちが生きたいような世界として適切でないからだ。
最後に、Heirは自分たちのできることで現状を変えていこうと聴講者を激励した。「いらいらさせられるようなこれらの問題に恐れるのはもうおしまいです。もっと自分たちの意識にオープンに誠実に行きましょう。新たな議論を進め、これまでにない方法にチャレンジしましょう。我々が今やっているのは完全に役に立っていないんですから」と。
新たな世代を迎える前に――“マイクロコンソール”の挑戦は買いたいんだけど……。
今年のはじめ、ボクがOuyaの挑戦について書いたのを覚えている人はいるかな?
それから時が経ち、当然のことながらハードが発売された。……よく言われてた懸念点(すぐに時代遅れになるスペック、質の悪いコントローラー、魅力的ではないソフトラインナップなどなど)に見事にハマった、ドタバタしたローンチだったけども。
いかにKickStarterで輝かしい成功を収めたか(瞬く間に900万ドルを集めた)を思うと、このハードのベストゲームが『Towerfall』というのは、ちょっと皮肉っぽい話だよね。もっとも、このゲームはちゃんと楽しそうなんだけど。
Ouyaが勇敢にも彼らのビジネスプランを練り直す(より良いコントローラー、スペックを見直した第2世代品など)あいだも、ボクは現在の非常に細分化されたゲーム市場が進化することはどうやったらできるのだろうかと思わざるをえなかった。特に、PS4とXbox Oneの発売が差し迫っている、ますます細分化が進みそうなこの状況ではね。
それでもこのビデオゲーム市場の一角にマイクロコンソールという道を切り拓こうという人はいる。Ouyaの恐らく競合相手になるだろう製品M.O.J.O.は、周辺機器メーカーのMadcatzによるマイクロコンソールだ。2GBのRAMと16GBのハードドライブ、そしてTegra 4によるハイエンドな処理能力を携えて、ココ米国では12月10日に発売される予定だ。使用可能な配信マーケットは、Google PlayとTegraZoneとAmazon。
しかしね、250ドルだって? ほとんどの人は150ドル積んでPS4ってことになるんじゃないのかい。そうなると思うよ。
M.O.J.O.そのものは、NVIDIAのハードコアな携帯(Android)ゲーム機Shieldと競争するために出てきたように見える。Shieldはココでは夏に発売されたが、PS Vitaのような本物の携帯ゲーム機やXperia Playのようになるには、ちょっと荒削りすぎた。しかしアメリカーンな見た目とは裏腹に、ファンベースを築きつつもある……まぁ、特にエミュレータ機としてなんだけど。ボクの中のレトロゲー心も誘惑されそうさ(棒読み)。
これらの“ハイエンド”と比べるとローエンドな機種Gamestickは、Ouyaのように独自のマーケットでソフトウェアラインナップの選別を行おうとしている。何度かの発売延期を経て今週ようやく発売になるが、レビューは賛否両論だ。特に著名なソフトが欠けているのは、Ouya同様に新しくこれを買おうというユーザーには痛い点だろう。しかし一方で、その小ささはニンテンドーDSのような強みがあり、悪くないように見える。
タブレットベースの機種もホリデーシーズンを狙っている。UNUはAndroidタブレットであり、マイクロコンソールであり、スマートTVでもある製品だ。メディアエディションにはドックとBluetoothのリモコンがついてきて、ゲーミングエディションにはコントローラーが付属する。価格は200ドルから249ドルといったところ。スペックはOuyaのように、ハイエンドというよりも普通のAndroid機。
似たようなデバイスにはWikipadがある(まぁArchosのGamePadにも似ている)。両サイドにボタンやキーを備えたカバーをつけたその様は、Wii Uのゲームパッドさながら。しかしだね、こういったものがどれだけ本当にシェアを獲得できるの?
個人的には、この市場はすでにあるモバイルの技術やデバイスをもっと利用してテレビ向けに開発すべきだと思う。Googleのドングル型デバイス、Chromecastのようにね(値段は35ドル)。さもなきゃMoga Proのコントローラー(スマートフォンを乗っけてShieldのような携帯ゲーム機風にできる)のように、すでにあるAndroidデバイスや小型タブレット“を”ゲーム機に変えてテレビに繋がせるような製品のほうがマシじゃないだろうか。Appleが発表したiOS 7での将来的なコントローラーサポートは、この方向性の可能性を示していると思う。
最後に、任天堂すらもマイクロコンソール(?)をホリデーシーズンに合わせてきている。Wii Miniがそうだ。上に挙げたようなマイクロコンソールというより、小さく安いコンソールという意味だけど、小さいし、Wifi機能はついてないが、99ドル。お父さんお母さんはOuyaよりこっちを選ぶと思うんだよね。
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