ジム・ライアン氏

 2019年12月3日をもって、 初代ハードの発売(1994年)から25周年を迎えるプレイステーション。

 高いハード性能と豊富なコンテンツの提供により、 四半世紀にわたって各世代のハードでゲームファンを熱狂させてきたプレイステーションだが、 これまでどのように成長し、今後はどんな展望があるのか? ソニー・インタラクティブエンタテインメント(以下、SIE)の社長兼CEOであるジム・ライアン氏に話を聞く機会を得た。

 プレイステーションの欧州での責任者を長らく務め、 現在ではSIEのトップとなった同氏のキャリアを交えつつ、プレイステーション25年の歩みを振り返る。

ソニー・インタラクティブエンタテインメント
社長兼CEO/ジム・ライアン 氏(文中はライアン)

プレイステーション黎明期のこと

――まずは、プレイステーションの25周年おめでとうございます。初代PSの発売から四半世紀が立つわけですが、これほど長い期間にわたってプレイステーションが愛されてきた理由はどこにあると思われますか。

ライアンこれまでの25年間を通じて、我々が一貫してゲームを遊んでくれる方々のことを真剣に考えてきたことが要因のひとつになっていると思います。我々のやることすべての中心に、ゲームファンの方々がいたということですね。

――ライアンさんは初代PSのころからプレイステーションに関わってきたそうですが、ご自身のキャリアと照らし合わせながら各ハードのお話をお聞かせいただければと思います。そもそも、どういった経緯でゲーム業界に関わることになったのでしょうか。

ライアン私が若かったころ、ゲーム業界もまだ若々しい業界で、とても楽しそうな世界に見えたのです。当時、プレイステーションというソニーの新しいプロジェクトに関してさまざまな人と話をしていたこともあって、何かが始まりそうな空気に興味を惹かれたのがきっかけですね。

――プレイステーションに携わることになって、最初に手掛けられたお仕事はどのようなものだったのですか。

ライアンヨーロッパでの組織作りですね。当時、ロンドンにはとても小さいながらチームがあったのですが、ヨーロッパの大陸部、フランスやイタリア、ドイツといった国々には、本当に拠点となる組織が何もない状態だったのです。ですから、私の最初の仕事はこの地域の組織を作り上げていくことでした。イタリアやスペイン、スカンジナビア諸国やオーストラリア、オーストリアにスイスなど、各地域に組織を作っていったんです。

――完全にゼロから組織を作っていったと。

ライアンそうですね。事務所を探すところから始まって、人材を採用し、流通経路の要となるパートナーを探していくなど、何もないところからすべてを手掛けました。オーストラリアでの組織作りは印象深いですね。ヨーロッパが冬で寒い時期にも、南半球のオーストラリアは暖かい夏でしたから(笑)。

プレイステーションのイメージを形作った初期のゲームは?

――初代PSでとくに印象に残っているゲームタイトルを教えてください。

ライアン初代PSの立ち上げ期に関わっていた人間としては、『リッジレーサー』(1994年12月3日発売)の存在はとても大きなものでした。 それに、『バイオハザード』(1996年3月22日発売)も印象深いですね。初代『バイオハザード』で犬が窓から飛び込んでくる場面のインパクトは私だけでなく、いまでも皆さん覚えているのではないでしょうか。

――あの場面は本当に驚きました。ヨーロッパでは『WipEout(ワイプアウト)』(欧州では1995年発売。セガサターン版も存在)の人気もあり、プレイステーションがクールなものだという認知が広まっていった印象があります。

ライアンそうですね。 当時、ゲームはまだ小さな子どもの遊びというイメージが強かったのですが、それを若者や大人が楽しむものとして広めていくことができたと思います。『WipEout』はゲーム自体、そして音楽も、まさに大人も楽しめるゲームのアイコンと呼べるような作品でした。 ロンドンで話題のナイトクラブに、プレイステーションを楽しむための特別な部屋を設けて、そこでお客様たちに『WipEout』を遊んでいただいたイベントもありましたね。

欧州展開の危機を救った『グランツーリスモ3』

――2000年3月4日には、PS2が発売となりました。このときライアンさんはどのようなお仕事を?

ライアンヨーロッパ各地での事務所作りはすでに落ち着いていて、ビジネスをさらに拡大しようとしている時期でした。 プレイステーションのブランドの開発から育成、 チームの強化に目を向けたりして。サウジアラビアなど中東や、ロシアといった地域への参入を図ったのもこれぐらいのタイミングですね。これらの地域も、いまやPSのゲームコミュニティがしっかりと根づき、大きなマーケットとなっています。

――日本のゲームファンとしては、PS2やPS3の時代になると、いわゆる“洋ゲー”と呼ばれる海外製のタイトルの台頭が目立ってきた印象があります。

ライアンそうですね。日本は当時もいまもゲーム作りにおける中心的な地域のひとつであり、「すばらしい!」のひと言に尽きるような作品が数多く作られています。その一方で、ゲームがグローバルな娯楽として世界に広がっていき、 各国でより活発に、 魅力的な作品が作られるようになってきました。

――ちなみに、 当時のプレイステーションの作品でとくに印象に残っているものは何でしょうか。

ライアンPS2時代で何よりも私の思い出に残っているのが、『グランツーリスモ3 A-spec』(2001年4月28日発売)です。PS2はゲーム機として史上最多の販売数を達成したので(2012年3月末時点で世界累計販売台数1億5500万台を達成。SIE公表)、いまでは忘れられがちなのですが、じつは発売当初はヨーロッパでの売れ行きはそこまで好調ではありませんでした。当時はヨーロッパの景気がひどく低迷していたこともあり、PS2の価格が人々にとって購入のネックになっていたんです。

――確かに当時は、 ヨーロッパよりも北米のほうが勢いはあった印象です。

ライアン事実、その差はあって、久夛良木さん(久夛良木健氏)にお会いするたびに「欧州でもっと売ってほしい」と発破をかけられていた時期もありました。 そういった状況を打開するきっかけとなったのが、『グランツーリスモ3 A-spec』ですね。美しい赤い箱でPS2本体とソフトをセットにした商品があったのですが、これが非常によく売れたんです。おかけで私の首もつながりましたから(笑)。

――なるほど(笑)。

携帯ゲーム機へのチャレンジについて

――プレイステーションといえば、据え置き機だけでなく、PSP(プレイステーション・ポータブル/2004年12月12日発売)やPS Vita(プレイステーション ヴィータ/2011年12月17日発売)といった携帯機への挑戦も25年の中の大きなトピックスですね。

ライアンPSPはプレイステーションで初めての携帯機ということもあり、非常におもしろいものになって、コンテンツだけでなく、事業としても大成功を収めました。しかし、PS Vitaが出るころになると、携帯電話で遊ぶゲームが台頭し始め、その後のスマホゲームアプリの流行もあり、PSPに比べると普及に苦労した面はあります。ただ、携帯機は据え置き機とはプレイスタイルやゲームの性質が異なっており、そういった意味で非常に興味深いハードである、という認識はいまでも変わりません。

――PSPやPS Vitaで遊んだ中で、印象的だった作品といえば、どのようなタイトルになりますか。

ライアングランド・セフト・オート』シリーズを移動中に遊べるのはおもしろかったですね。あとは、『LocoRoco(ロコロコ)』(2006年7月13日発売/2017年6月にはPS4版が発売)がとても美しくて、非常に印象的でした。あるとき、 会社の会合で300人近い社員が集まったのですが、 会合の後に会場の大きなディスプレイを使ってゲームを遊んだことがあって、最後のほうには300人で『LocoRoco』の曲を口ずさんでいたりもしましたね。 とても思い出深い作品です(笑)。

PS4の登場でゲームはどう変わったのか?

――その後、2014年2月22日にはPS4が発売されました。現行機であるPS4ですが、このハードは、どのようなゲーム体験をユーザーに届けることを念頭に置いているのでしょうか。

ライアン私たちがユーザーの皆さまにお届けしたいと思っていることを端的に言えば、“楽しさとエンターテインメント”ということになります。PS3そしてPS4の世代になって、より豊かなオンラインコミュニティーの体験を楽しんでいただけるという意味で、 ネットワークにつながることを前提としたコンソールの時代が訪れたと思います。この点こそが、それまでのプレイステーションのハードとは明らかに異なるポイントですね。

――PS4ではシェア機能やPS VRなどの新しい楽しみかたが生まれ、世代が大きく変わったという印象があります。

ライアンこれはおそらく、何百万人もの人が同じ経験をしていると思うのですが、初代PSを発売したときには私自身が若く、自分でゲームを遊ぶことがほとんどでした。ところが、PS4の時代になると、自分の子どもがゲームに没頭する時代に変わっていたのです。

――それだけの長い時間が流れたということですね。

ライアン私の娘は『KNACK(ナック)』(PS4のローンチソフト)が好きでよく遊んでいたのですが、改めて、人が一生懸命ゲームをプレイする姿を見る機会がありました。途中でついつい「ここはこうしたほうがいいよ」とアドバイスをしたくなってしまうのですが、 そうした口出しは彼女にはすごく嫌がられましたね(笑)。25年という時間は、ゲーム機やそれに付随するデバイスの進化だけでなく、 ユーザーの側のプレイ環境にもそうした変化をもたらしていると思います。

――確かに。

ライアンPS VRに関して言えば、VR(仮想現実)というのは非常に興味深い技術だと思います。VRを通して新しい体験を味わえるのもそうですし、ゲーム作りの側面から見ても、これまでとはまったく違うものです。ですので、クリエイターの側もどうすればVR上ですばらしい体験を提供できるのか、という部分をつかむのにはやや時間が必要でした。しかし、『ASTRO BOT:RESCUE MISSION』(2018年10月4日発売)のように、非常に高い評価を得るタイトルが生まれてきていますし、VRのゲーム作りのノウハウもかなり蓄積されてきています。今後はより質の高いゲームを提供できると考えています。

25年のあいだに起こったゲーム業界の変化

――この25年間で、ゲーム産業全体はどのように変わったと思われますか。

ライアン見かたによっては一貫して変わっていないとも言えます。それは、ゲームが、楽しさ、エンターテインメント性、あるいはわくわくする体験を生み出し、ユーザーに提供し続けるということですね。これは25年前もそうでしたし、いまでも変わりません。

――ゲームが持つ魅力の根幹は、なにも変わっていないと。

ライアンはい。一方で、すべてが変わったと言うこともできるでしょう。かつては家の中で、ひとりで楽しむものだったものが、いまやオンラインのマルチプレイ体験を楽しむようになっていますし、作品自体の表現も豊かになり、VRのような楽しみかたも生まれました。将来的にはストリーミングがさらに広がっていき、ゲーム作りと楽しみかたの両面を大きく変えていくことになるでしょう。

――そういった変化の中で、日本のゲーム市場やクリエイターについては、どのように見られていますか?

ライアン日本のゲームクリエイターの皆さんは、プレイステーションが誕生するよりもずっと前から、ゲーム業界を発展させるために欠かせない存在でしたし、それはいまこの時代でも変わっていません。任天堂さんは今日でも昔と変わらぬ重要性を持っていますし、小島秀夫監督の『DEATH STRANDING』などを見ても、それは明らかです。日本の場合、“ゲーム文化”という言葉の通り、まさにゲームのあるべき姿が文化として定着していて、クリエイターの皆さんはその発展に寄与していると思います。

――ちなみに、プレイステーションと同じく、家庭用のゲームプラットフォームを運営するライバルとして、任天堂さんやマイクロソフトさんについて、どのような印象を持たれているのでしょうか。

ライアン両社ともに偉大なゲームプラットフォーマーであることは間違いないと思います。競合他社がいることは私たちとしても歓迎すべきことですし、そういった方々がいるからこそ、つねに緊張感を持って、努力を怠ることなく挑み続けることができると考えています。

――近年では、『Minecraft』がプレイステーションや任天堂ハードで展開されたり、クラウドゲームの分野ではソニーさんとマイクロソフトさんがパートナーシップを結んだりと、これまでの時代とは、各社の関係性が変わってきているようにも感じます。

ライアンおっしゃる通りです。いま私たちが目の当たりにしているのは、ネットワークで結ばれた世界に、あらゆる側面で変化が起きているということです。それぞれがひとつの世界として閉鎖的に自己完結し、対立構造として見られがちだったかつてのイメージは、すでに崩れてきていると思います。

――より流動的な世界になってきていると。

ライアンそうですね。すべてがよりオープンになってきています。我々とマイクロソフトさんが一部の分野で提携をすることなども、そういった変化の現れだと考えています。これは、業界がより興味深いものになっていくという意味でもすばらしいことですし、何よりもゲームがよりおもしろいものになっていくという意味で歓迎すべきことです。

2020年発売予定のPS5の注目すべき点

――そんな中で、2020年には次世代機であるPS5が登場しますが、こちらはどのようなコンセプトで作られているのでしょうか。

ライアン私たちはプラットフォームを提供する立場なので、そこでどんな作品が生まれるのかは、プラットフォームを使ってゲームを作るクリエイターたちの手にかかっています。 ただ、私たちとしても楽しみにしているのは、まずメモリメディアとしてSSD(ソリッドステートドライブ。従来のHDDに比べ、読み込み速度が非常に速い記憶媒体)を採用していることです。これは、ゲームを遊ぶ際には極めて重要な、 瞬時の読み込みを実現させるものですね。

――なるほど。PS5では、高いハード性能を背景に、よりリッチなゲームが作られるでしょうから、SSDの採用で読み込み処理が早くなるというのは大きいですね。

ライアンもうひとつは、新しいコントローラに採用予定のハプティック技術やアダプティブトリガーです。いずれもゲーム内の体験について触覚を通じてユーザーに伝える機能なのですが、これは本当にすばらしい、 エキサイティングな部分です。ですので、私自身、ゲームクリエイターの皆さんがこれをどのように新たなゲームに活用されるのか、心から楽しみにしています。

――ライアンさんもすでに新しいコントローラは体験されたのですか?

ライアンもちろんです。テスト用の『グランツーリスモSPORT』で実際に触ってみましたが、 現行のDUALSHOCK 4とはまた違うプレイ感覚にとても驚きました。 非常に期待している機能です。PS4からグラフィックが進化するのはもちろん、 ゲーム体験としての大きな進化を感じていただけると思います。

――楽しみにしています。まだまだお聞きしたいことがたくさんありますが、そろそろお時間のようです。最後に、読者の方や25年のあいだプレイステーションを支持してきたユーザー、クリエイターの方々にメッセージを。

ライアン皆さんには心からの感謝の気持ちをお伝えしたいです。 偉大なゲームを作られたクリエイターの方々がいなければ、 私たちがこのような瞬間を迎えることはできませんでしたし、 何よりもゲームを楽しんでくれるプレイヤーの方々がいなければ、 それこそ何にもなりませんでしたから。 これまで応援してくださったことに感謝し、ぜひ30周年も皆さんといっしょに祝えることを願っています。PS4では『DEATH STRANDING』が好評をいただいておりますし、2020年以降も『The Last of Us Part II』、『Ghost of Tsushima(ゴーストオブ ツシマ)(仮題)』といった作品の発売も予定していますので、 今後ともプレイステーションをよろしくお願いいたします。