日本の、いや、世界のゲーム史を語るうえでは欠かせない伝説的シューティングゲーム『スペースインベーダー』。1978年にアーケードに誕生し、一大ムーブメントを巻き起こした名作の40周年を記念した『SPACE INVADERS INVINCIBLE COLLECTION(スペースインベーダー インヴィンシブルコレクション)(仮題)』が、ついに公開となった。本作は、以下で紹介する6タイトルほかが通常版や特装版に収録され、リリース当時のゲームがそのまま移植されるのが魅力となっている。本記事では、本作のゲーム紹介に加え、本作のプロデューサー外山氏と、『スペースインベーダー』の産みの親である西角氏へのインタビューを掲載。ここでしか見られない昔話が満載なので、ファンならずとも必見だ!

※本記事は、週刊ファミ通2019年6月27日号掲載記事の増補改訂版になります。

『スペースインベーダー インヴィンシブルコレクション(仮題)』インタビュー。『スペースインベーダー』の産みの親である西角氏に開発当時のことを聞く_01
『スペースインベーダー インヴィンシブルコレクション(仮題)』インタビュー。『スペースインベーダー』の産みの親である西角氏に開発当時のことを聞く_02
ゲームの手触りやグラフィックだけでなく、サウンドの再現にもこだわりを見せる。クオリティーを目と耳と脳で体感せよ。

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『SPACE INVADERS INVINCIBLE COLLECTION(仮題)』初期発表タイトル

  • スペースインベーダー(白黒/カラー)/1978年稼動開始
  • スペースインベーダー・パート2/1979年稼動開始
  • マジェスティック・トゥエルブ「MJ―12」/1990年稼動開始
  • スペースインベーダーDX/1994年稼動開始
  • スペースインベーダーエクストリーム/2018年配信開始
  • スペースサイクロン/1980年稼動開始
  • 他タイトルも今後発表予定!

スペースインベーダー(白黒/カラー)/1978年稼動開始

 記念すべき第1作。白黒版とカラー版が存在し、本作では両方がプレイ可能。画面下の自機を操作し、徐々に迫りくるインベーダーを撃退せよ!

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スペースインベーダー・パート2/1979年稼動開始

 前作に数々の調整が加えられた続編。ハイスコアとプレイヤーネームを記録する機能は、本作が初と言われている。

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マジェスティック・トゥエルブ「MJ―12」/1990年稼動開始

 タイトルにインベーダーとは入っていないが、シリーズの4作目にあたる。ふたり同時プレイが可能。牛をさらうUFOを撃退するインパクトのあるミニゲームが話題に。

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スペースインベーダーDX/1994年稼動開始

 グラフィックが大幅に進化。タイトー発売のゲームのグラフィックに変化する、パロディーモードが登場する。

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スペースインベーダーエクストリーム/2018年稼動開始

 シリーズの30周年を記念した原作をさらにパワーアップさせたSteam版を収録。ハイスコアを競うシステムが熱い!

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『スペースサイクロン』はなんと初移植!

 厳密には『スペースインベーダー』シリーズではないが、シリーズの産みの親である西角氏が製作した『スペースサイクロン』が特別収録される。同作は、『スペースインベーダー』基板をもとに開発された。当時のアーケードでは新基板を使用したゲームが多く出始めたタイミングであったため、同作は店鋪に出回る数が非常に少なかったとされる。さらに、これまでに家庭用機に移植されたことがないため、プレイ経験者が少なく、ファンのあいだで幻のゲームと言われる激レア作品だ。

スペースサイクロン/1980年稼動開始

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『スペースサイクロン』の筐体。
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『スペースインベーダー』の産みの親を直撃! クリエイターインタビュー

 本作の開発決定を記念し、当時『スペースインベーダー』を開発した西角氏と、本作を手掛ける外山氏へのインタビューを掲載。一大ブームを巻き起こした伝説的ゲームのさまざまな開発秘話や、本作の魅力となるポイントをうかがった。ゲーム文化の発端を作った方の言葉に注目せよ。

西角友宏氏

タイトー アドバイザー。言わずと知れた『スペースインベーダー』の産みの親。現在はアドバイザーとしてタイトーに所属している。

外山雄一氏

『SPACE INVADERS INVINCIBLE COLLECTION(仮題)』プロデューサー。2017年にタイトーに入社。過去には『ダライアス コズミックコレクション』を開発。

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西角氏(左)と外山氏(右)。

エレメカからビデオゲームへ一大ブームを作った名作

――第1作の誕生から2018年で40年が経ちました。開発者である西角さんとしては、感慨深いものがあるのではないでしょうか。

西角 10年、20年、30年と、周年を重ねるたびに、そんなに時間が経ったんだなと、ビックリしています。

外山 本来であれば40周年は去年なので、去年発売するべきではあるのですが、遅ればせながら本作を発表させていただきました。

西角 当時はブームとなりましたが、『スペースインベーダー』に飽きたなという時期は当然ありました。でも、ここまでくると骨董品といいますか、改めて昔のものの価値を認めていただけているんだなと思って、私自身もうれしいです。

――外山さんはいかがでしょうか。

外山 私は『スペースインベーダー』が稼動した当初は小学生だったのですが、ブームになる前からハマっていました。アーケードゲームが大好きでしたから。そんなゲームシリーズの開発をすることができて、ゲーム開発者としてもいちファンとしても感無量です。

――そんな『スペースインベーダー』ですが、開発当時のお話をおうかがいしたいです。

西角 『スペースインベーダー』を作る前は、エレメカ(※)のゲームを作っていました。何作もエレメカを作った後になりますが、当時の最先端技術として、ビデオゲームというものが徐々に出始めてきたんです。タイトーでは私が担当になって『スペースインベーダー』を開発したのですが、私のゲーム制作の集大成になるようなものが作れたと、いまになっても思っています。

※エレクトロメカニカルマシンの略称。ビデオゲーム以前から流行していた。

――西角さんは、もともとゲームの開発者としてタイトーに入社したのですか?

西角 私は電気回路などの設計を行うスタッフとして入社しました。

外山 当時は実際に筐体などを設計する人と、回路とかプログラムを作る人は近い位置にいましたよね。どっちもできたほうがいいって。

西角 私はエレメカでは外側の機械を作っていました。でも、「西角は電子回路が得意なのだからビデオゲームもやってみろ」と。それが最初でしたね。

外山 プログラミングは必要に迫られてから覚えたんですか?

西角 そうです。大学では少し勉強していましたけど、やっぱり勉強だからおもしろくなく、その結果覚えないという(笑)。でも、ビデオゲームを作るためにプログラミングを覚えないといけなくなった。そこで、入社後に改めて勉強し直しました。そういった技術やゲームは当時はアメリカのほうが進んでいましたから、あちらのゲームを参考にして勉強していました。

『スペースインベーダー』はひとりで作っていた!?

――当時のゲーム制作の環境はどんな形だったのでしょうか。

西角 当時は企画からプログラミングなど、すべてひとりで担当していました。ほかにもゲーム開発スタッフはいましたが、ひとり1作という形で集中して開発していたので、あまり交流はありませんでした。

――ひとりで作っていたんですか!? いまでは考えられないですね。

西角 そうですね(笑)。私は人に任せるより、自分でやりたい派なので、技術屋としては楽しかったですよ。なんでも自分で決められるし、開発はスムーズですし。

――当時は現在のようなゲームの開発環境は当然ありませんし、手探りの状態での開発だったのではと想像するのですが。

西角 ゲームを動かすOS(オペレーションシステム)も自分で作るしかないですし、試行錯誤の連続でした。

外山 いまではゲームエンジンとかミドルウェアといった開発環境がありますが、あのころのビデオゲームは基板のCPUに直接命令を出して画面に表示させるようなプログラムになっていますし、まったく違いますよね。

西角 『スペースインベーダー』の基板は当時としてはすごく性能がよかったんですけど、それでも処理速度が遅くて思ったようにグラフィックを動かせなかったので、開発するのはすごくたいへんでした。

――『スペースインベーダー』の稼動開始後、瞬く間に社会現象と言えるほどのブームとなりました。それを見てどう思われましたか?

西角 アーケードゲームは、それまではボウリング場とか温泉場にちょっとある程度でしたけど、『スペースインベーダー』が登場してからは、“インベーダーハウス”と呼ばれるゲームセンターができたりして、ロケーションが明らかに拡大しましたよね。

――大人気であるがゆえに、当時はコピー基板も問題になっていました。

外山 当時は本当に人気で『スペースインベーダー』を買おうと思っても生産が追いつかなくて買えないくらいでしたからね。なので、しかたなくコピー品に手を染めて……というところもあったようです。

西角 我々開発している人間はすでに終わったことなので涼しい顔をしていますが、製造する人や営業する人は対応の連続で、かなりたいへんだったと思います。

――ゲームプレイ時に入れたコインが溜まるキャッシュボックスが、コインが入りすぎて開かないということも珍しくなかったようですね。

西角 『スペースインベーダー』のキャッシュボックスは従来の4倍くらい大きくしたのですが、それでも足りないくらいでした。

――『スペースインベーダー』はゲームセンターだけでなく喫茶店にも置かれていました。

西角 ゲーム喫茶はテーブル筐体ならではの環境ですね。小さいスペースでもたくさん置けるようにと営業の人が考えてああいった筐体にしたんです。喫茶店用にと作ったわけではないのですが、結果としていろいろな場所に置かれるようになりました。

――開発者である西角さんとしては、当時のブームをどのように見ていたのでしょうか。

西角 『スペースインベーダー』の開発が終わったあとは、もっと描画性能の高い基板を開発しようとかそういうことで頭がいっぱいだったんです。なので、「すごい人気だな」くらいで、意外と冷静でした。インベーダーハウスにもじつは行ったことがないんです。

まさに幻のゲーム! 『スペースサイクロン』

――本作には、『スペースサイクロン』が収録されているのもポイントですね。

外山 私としても収録したかったんです。私は長崎の出身なのですが、出荷数が少なくて地元に入ってこなかったので、当時はタイトルの存在すら知りませんでした。西角さんが出演されたイベントでお話を聞いて、初めて知ったくらいだったので。幸いにも基板がタイトーに残っていたので、開発会社さんに渡して移植してもらっています。

西角 『スペースサイクロン』はボイスが出るのがポイントですね。当時はボイスが出せるゲームが最先端だったんです。ボイスは開発当時の私の隣の席の女性社員の方に収録してもらいました。

――スタッフがボイスを担当しているのは当時のゲーム開発ではあるあるですね。

西角 そうですね(笑)。やっぱりプロではないので、ちょっと声がボーっとしています。

外山 敵キャラクターのベームが画面下まで下りてきてロケットが完成しちゃうと、「発射よーい」って言うんですよね。

西角 あのゲームは、システムというかゲームの流れはかなりよかったんですけど、いかんせん難しいゲームだったんです。だからあまり流行らなかったという(笑)。自分はあまりゲームをプレイしないので、『スペースサイクロン』はテストプレイヤーの意見を聞きつつゲーム内容を調整していました。そのときのテストプレイヤーはかなりゲームに精通した人で、「これじゃ簡単すぎますよ」と言われ続けたのでドンドン難しくしてしまったんです。難しいほうがお金がいっぱい入ってくるので営業の人も「これでいい」と言ってきたもんだから、そのままになってしまいました。

――たしかに、あのころはもう『スペースインベーダー』に慣れたプレイヤーばかりでしょうし、難度を上げないとお店としても困るかもしれませんね。

西角 でも難しくしちゃうと初心者が遊べないですし、そのへんの調整は苦労しました。

――そういった西角さんの思い出が詰まったタイトルが収録される本作ですが、プロデューサーである外山さんから『SPACE INVADERS INVINCIBLE COLLECTION(仮題)』の見どころを教えていただけますか?

外山 最新ハードで遊べるというのももちろんですが、サウンドに注目していただきたいです。いまのゲームは基板にサウンドのチップがついていて、同じ信号を出せば同じ音がなるのが当たり前です。ですが、『スペースインベーダー』などの当時のゲームは違います。

――筐体ごとに微妙な差があったんですね。

外山 同じ筐体でも、コンディションや電源を入れた直後とその後でも変わってきますから、人によって覚えている『スペースインベーダー』の音って違うと思うんです。本作は、ZUNTATA(タイトー社内のサウンド制作チーム)の石川(※)が、「これが『スペースインベーダー』の音だ!」と決めてくれています。プレイヤーの皆さんは、ぜひ自分が覚えている音と本作の音を聴き比べてください。

※石川勝久氏。ZUNTATAのひとりとして、サウンドディレクターなどで活躍中。

――本作には『スペースインベーダー』は白黒版とカラー版がありますが、セロファン版も収録されるのでしょうか?

外山 そうですね……。過去の移植版には入っていましたし、入れないとマズいですかね。

西角 入れる場合は、セロファンのズレも再現してほしいですね。

――(笑)。こだわりの部分があるほど、ファンとしてうれしいです。最新ハードで遊べるということもあり、当時はまだ産まれていなかった若い人も触れる機会ができましたね。

西角 ぜひ遊んで、おもしろさを感じていただけると。いまこそいろいろなゲームがあって、そっちのほうが間違いなくすごいわけですけど、ゲームの本質というか、それ自体の楽しさは変わらないと思います。どの収録作品もいま遊んでもおもしろいものばかりです。
若い人にも遊んでいただきたいです。

外山 いまはスマホで「ギガが足りない」なんていう時代になりましたが、『スペースインベーダー』は、なんと6キロバイト! それだけしか容量のないものが、これだけファンを作ったのって、本当にすごいことだと思っています。『SPACE INVADERS INVINCIBLE COLLECTION(仮題)』をプレイして、当時の時代背景も含めて思い返したりしていただければうれしいです。

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『スペースインベーダー』について

 『スペースインベーダー』は、タイトーがアーケード向けに1978年に第1作を発売。ブロック崩しなどのシンプルなタイトルが多かった時代に、同作は多数の敵が同時に動き、プレイヤーに攻撃を仕掛けてくる、当時としては斬新な内容であり、これまでにない刺激的な内容で多くのファンを夢中にさせました。
 大きなムーブメントを巻き起こした『スペースインベーダー』は2018年に40周年を迎え、幅広い年齢層の方へ『スペースインベーダー』の魅力を伝えることができ、未来へのベクトルを決める1年となりました。
 『スペースインベーダー』は今後もタイトーのコーポレートキャラクターであるともに、多くのファンの皆様の期待に応えるべく、進化を続けていきます。

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喫茶店などにも筐体が置かれ、テレビゲームという文化を定着させた。伝説級のタイトルだ。