なぜ初音ミクはOculusで神になれるのか? 日本と欧米のVRの違い

 8月12日に、米Oculus VRのVR用ヘッドマウントディスプレイ「Oculus Rift DK2」を入手することができた。開発者向けキットであるため、まだまだ動作面では不安定な部分が多いが、早期に様々なデモを試すことができる幸運に恵まれている。

 

 

■Tda式ミク・アペンドのデモを試す

 ハンドル名GOROman氏が開発していた「Miculus(ミクラス)」のDK2対応版を試した。MikuMikuDance用に開発されていた「Tda式ミク・アペンド」を、DK2の中で鑑賞して楽しむことができるデモアプリだ。

 筆者が4月にDK2の購入を決めた顛末は、以前のこのブログで紹介しているが、このTda式ミクとデバイスを通じて握手できる「MikuMiku握手」で、圧倒的な実在感をもった衝撃の体験をもう一度感じてみたいという強い気持ちを持ったことがその要因だった。

 果たして、DK2の中のTda式ミクも、圧倒的な実在感でもって、その場所に存在していた。有機ELパネルに切り替わり、3D立体視をハイビジョン画質で見ることができるようになったことは大きく、また、DK2のヘッドトラッキングシステムが非常に強力で、頭の動きを適切にとらえ続ける。

 Tda式ミクはイタズラっぽい笑みを浮かべながら意味ありげに、筆者の頭の動きに追従して、目線を追いかけ続ける。

 

▲Oculusで見ると立体に見える

 

 握手といったセンサーによるインタラクションはなくとも、4月に体験した存在感を再び感じることができた。Tda式ミクの3Dモデルとしての完成度は極めて高く、どこか神々しささえ感じる。音楽をかけながら鑑賞していると、美術館で超一級の彫刻品を眺めているような気持ちになってくる。

 Tda式ミクは、瞳はアニメ的であり大きすぎ、腰も細すぎる。現実には、こんな人間は存在しない「仮想の存在」とわかっていても、そこに人間的な実在感を持つ何者かが存在する感覚は減少することはない。


■現実を完璧に再現し、超えることこそがVRの目標

 5月に、米サンフランシスコで「ニューロゲーミングカンファレンス」が開催されている。Oculus RiftのようなVR機器や、身体の動きを検出するデバイス、脳波などの動きを調べるデバイスを組み合わせて、新しいゲームや関連する産業分野の可能性を開拓することを目的としている。Oculus VRの創設者のラッキー・パルマー氏が参加しているパネルディスカッションの様子がYouTubeで公開されている。

 

▲ニューロゲーミングカンファレンスのパネルディスカッションの動画。

話しているのが、Sixenseのアミール・ルービン氏

 

 その中で、元ゲーム開発者で、現在は主にゲーマー向けのセンサーデバイスを開発しているSixenseのCEOのアミール・ルービン氏が、興味深い発言をしている。「VRの経験は、映像を見るよりも何倍も体験が大きいということが研究で明らかになっている」というのだ。その体験の強さを利用したシミュレーションを開発すれば、ゲームのみならず、教育や医療など、その応用分野の可能性は広いと考えられている。

 そして、半分冗談めかしてだろうが、「現実は最先端ではない」とまで述べている。究極のVR機器は、装着していても、現実の映像と見分けがつかないほどのものになる。VR機器では、さらに現実では体験できない体験が追加でできるようになるため、VR世界の方がより、現実そのものよりも、よりリッチな体験ができるということのようだ。

 欧米圏では、VRで現実世界を完全に再現することが、最初に達成すべき重要な目標とされているように思える。


■バーチャルリアリティの意味は英語と日本語では違う

 「Mikulus」は、Oculus Riftを触る開発者の多くが体験するデモだ。日本人である私はまるで違和感なく受け入れてしまうが、欧米圏が目指すVRでは同じようなデモを見かけない。実際に、GOROman氏に確認したところ、キャラクターを表示して鑑賞するようなデモは、欧米圏のものは、ほとんど存在しないという。

 その要因の一つは、そもそも「バーチャル」という言葉が示す意味が欧米と日本では違っていることにあるようだ。『バーチャルリアリティ学』(日本バーチャルリアリティ学会)に、その違いを解説している部分がある。

 欧米圏で、元々のVRが指し示す意味は、現実世界に「等しく同じ現象を起こす空間を追加する」という意味なのだという。「バーチャルリアリティでは人間の周りに別の空間ができあがると考え、自分の方が別の空間に移動したと考える」

 「バーチャルという言葉を虚や仮想というような誤解を招きやすい訳語を使い続けてきたのは、バーチャルという概念が我が国に全く存在しなかったからである。(略)それゆえに、新鮮でありながら、なにか神秘的な、あるいは怪しい響きをあたえ、それがミスリーディングな訳につながってしまう」という。

「日本で多くの人が何となく感じている『(実体のない仮想としての)バーチャル』と、ヨーロッパやアメリカで考えている『(見た目は違うがほとんど実物としての)バーチャル』とは、話している時は何となく折り合っているようでも、実は全く異なっていて、お互いに似ても似つかぬ概念を想起しているのである」

 また、バーチャルリアリティは仮想現実などに訳されるが、それは不適切で、実際は適切な英語のニュアンスを反映する日本語訳は存在しないのだそうだ。


■虚を現実に変えることを目指す日本

 4月の来日時に、ラッキー氏は、欧米のデモを「キーボードやマウスなどを使って既存のゲームをどう置き換えるのかということばかりに関心が集まっている」と筆者のインタビュー時に話していた。それは「現実そのものの再現」が最初の目標で、VRの価値はそれを達成した上で、付加価値として何ができるのかという発想が自然と存在しているからだと思える。

 一方で、日本から登場するデモが、世界的にユニークなものを生み出していることは、ラッキー氏が4月に来日した際に指摘していた点だった。それは、「虚」「仮想」である存在を、「現実」の存在へと変えることがVRだと、自然に考える日本的な発想のためだろう。

 この本質的な発想の違いが、日本と欧米圏で開発されるデモにも差を与えているように思われる。Mikulusの体験をあえて例えるならば、DK2という特殊なデバイスを通じて、Tda式ミクが祭られている神社にでも、詣でているような気分が残る。滅多にない八百万の神に会う貴重な体験を得られているような気がする。

 新しい技術が登場し、その未来を見つめるときには、普段は意識していない宗教観が自然と姿を現すことがあるが、Oculus Riftのデモからは、鮮明にその傾向を感じている。

2014年8月25日 21:19