プロフィール
中村彰憲

立命館大学映像学部 教授 ・学術博士。名古屋大学国際開発研究科後期課程修了 早稲田大学アジア太平洋研究センター、立命館大学政策科学部を経て現職。 日本デジタルゲーム学会(DiGRAJapan)副会長、太秦戦国祭り実行委員長 東京ゲームショウ2010アジアビジネスフォーラムアドバイザー。 主な著作に『中国ゲームビジネス徹底研究』『グローバルゲームビジネス徹底研究』『テンセントVS. Facebook世界SNS市場最新レポート』。エンターブレインの ゲームマーケティング総合サイトf-ismにも海外ゲーム情報を中心に連載中。

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akinakiのJust Watched『風立ちぬ』情感で綴る激動の大正から戦後までのリアル

『風立ちぬ』~情感で綴る激動の大正から戦後までのリアル~

 

 歴史モノというと、どうしても激動の時代に翻弄される主人公の苦悩や姿を想像してしまう。特に第二次世界大戦前後を描くエピックストーリーはそうなる傾向が強い。イデオロギー上の対立やそこでの争いに引き裂かれる人々の運命や悲劇。その結果、登場人物は、まるで教科書に描かれた歴史上のトラックを文字通り「歩かされる」形となる。不思議な事に筆者自身、そういった、メディアにおける歴史の描き方になんの違和感がなかった…『風立ちぬ』を見るまでは。

 

 

 『風立ちぬ』は、航空技術者である堀越二郎の半生の足跡をベースに堀辰雄による同名の中編小説の恋愛エピソードを織り交ぜた紛れもない「歴史大作」である。「エピックストーリー」と言っても差し支えないかもしれない。作品中では、関東大震災前後から日本の敗戦までのおよそ25年にもわたる、日本史上屈指の波乱の時代が二郎の成長とともに描かれた。ただし、これら「歴史的事象」は、二郎の「情感」を通して提示される。

 

 それは、冒頭で描かれた震災にはじまり、三国同盟、治安維持法の成立や特別高等警察、軍国主義、反ナチス運動、満州事変、外国人やエリートたちの避暑地としての軽井沢、太平洋戦争、そして敗戦など全てに及ぶ。つまり、作品中においてこれらの事象が仔細にわたって説明されるのではなく二郎が人生を歩む中で、あるときには直接的に、あるときには間接的に描かれていくのだ。

 

 物語の主体は二郎と環境との関係性に主眼がおかれ、その他、全ての要素は副次的なものとして描かれる。これは、新型航空機開発のために入手した、新型鋼鉄を包んでいる新聞紙上に『満州事変』が三面記事として掲載されるといったさりげないものから、ドイツで爆撃機の視察が許可された時に訪れた工場と、同時代における日本の工場の設備や機材を描くことでその国力の圧倒的な差を見せつけられるといった主要シーン等様々だ。だがこれらいずれのシーンにおいても、二郎の主観が情景に加えられる。


人の声によってつくられた音響効果が作家性としての真価を発揮するとき


 ここで真価を発揮するのが、音響だ。本作は、飛行機のプロペラ音や重低音、さらには、地震による地鳴りまで、「人の声」で演じられているわけでだが、時より感じられる音のアナログ感が、本作において全てのシーンが主人公の「情感」というフィルターを通して、または主人公の情感そのものがスクリーンに描き出されているといことを際立たせる。

 

 数多ある航空機とともにカプローニと二郎が交流する「夢」のシーンがほぼ全編にわたり現実のシーンとシームレスに描かれるのも同様の効果を発揮している。これら夢におけるカプローニとの交流は、現実と同様に二郎の人生に大きな影響を与えていく。

 

 複雑な時代背景とは裏腹に、二郎と直子の人生の歩みは驚く程静かに、しかし作品の世界観そのものを包み込むような「愛」に満ちた表現とともに紡がれていく。運命的な出会いや愛の育み方も、「愛情表現」の多様化が進む現在から見ると、あまりにも純粋に且つ直接的に表現されている。しかし、劇中においてお互いの愛情の深まりを示唆するものは人間臭い「恋の駆け引き」といった物語的表現よりは、むしろ二郎による直子に対するさりげない気遣いや、直子の二郎に対する眼差しの表現などからだ。

 

 つまりはこれも二郎の情感というフィルターがかかっているということだ。恋愛描写があまりにも単純すぎるといった批判を受けているのもそこからくるのだろう。ただし誰にとっても昔話というのは「美談」になってしまうものだ。

 更に直子の二郎に対する眼差しの輝きを、二郎は仕事にも対して向ける。「仕事」に対する情熱。これも全編を通して流れる血流と言えるだろう。同期である本庄との友情、上司黒川との公私を超えた信頼関係、キャリアだけでなく人生の師としても二郎が仰ぐカプローニとの精神界上の交流など、仕事に対する思いや人間関係も真っ直ぐで純粋だ。

 

 戦闘機、ゼロ戦の開発現場とはにわかに信じがたいかもしれないが、それでも二郎は、震災における帝都の壊滅的な被害を乗り越え、列強との圧倒的な技術、国力的格差に恐怖と脅威を覚えつつ、果敢に自らのアイデアというひとにぎりの可能性とビジョンに心差しを持ちながら、最終的には帝国の野心や横暴を横目に見つつ「生きる」、「生かねばならなかった」のだ。そしてこのような面持ちでその時を歩んだ人のほうがむしろ圧倒的に多かったことだろう。

 

 これは、ノスタルジーではない。当時を生きてきた一般庶民のリアルだ。『風立ちぬ』は、まさに情感の大正、昭和初期史なのだ。

2013年8月30日 19:32