ゲスト3人目 : 隠れゲーム女/奥村キスコ【前編】
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永野 今週のゲストは、編集部時代の後輩でもありイザベラ永野の跡継ぎともいえる、ライターの奥村キスコさんです。
奥村 よろしくお願いします! じつは昔、『風のように永田のゲームの話をしよう』という記事で永野さんと対談してるんですよね。
永野 懐かしい! 週刊ファミ通で’97年から3年半も連載してたんだよね。奥村と対談したときは、「デートの誘いを断ってまで『スーパーマリオブラザーズ』(以下『スーパーマリオ』)で遊んでた」とか恋愛トークをした覚えがある。
奥村 これが、そのときの記事のコピーですよ。
永野 あんた、よく見つけてきたわね。(しばしコピーを見ながら)ぎゃはは! このころの奥村、眉毛太っ。
奥村 そんなに笑わないでくださいよ。永野さんだって眉毛太いし。
永野 まさに『バブルへGO!』ですな! ところで奥村は、どういう経緯でファミ通に入ったんだっけ?
奥村 当時は名古屋に住んでたんですが、読者ページでアルバイトを募集しているのを見てダメ元で履歴書を送ったんです。その後「面接するから来てください」って連絡がありまして、運よくアルバイトで採用になりました。
永野 そのころ、ジュエリーショップのデザイナー兼店長やってたんだよね?
奥村 そのへんからして、ハウスマヌカンからファミ通に転職した永野さんに似ていると言われるゆえんですよね。
永野 奥村、いまどきその職業名は死語だし歳がバレるよ!
奥村 (笑)そうですね。
永野 あたしと経歴は似てるよね。でもさ、遠方に住んでると書類が通るだけでも珍しいのによく採用になったね。履歴書からただならぬゲーム女オーラが出ていたのかも!
奥村 どうなんでしょうね? そうとうゲームをやっていたことは間違いないです。
永野 自分のこと「幼少のころから屈折してた」って言うけど、どんなところが?
奥村 昔からおたく気質なんですよ。とにかく地味でうだつがあがらなかった。
永野 おたくだから屈折しているってわけじゃないと思うけど、昔はそういう偏見があったからねえ……。ジャンルとしてはなにおたくだったの?
奥村 アニメとゲームですね。アニメは絵を描くことが好きだったので……。テレビでアニメか時代劇しか見ないような子供でした。なにかを好きになると極端にぐっと入り込んじゃう。
永野 ひとつのことに集中してハマるのって、おたくになる入り口ではあるよね。ゲームにハマったきっかけは?
奥村 小学校2、3年のころ、親と行った温泉旅行で遊んだ『スペースインベーダー』です。観光地ってホテルのなかにひなびたゲームコーナーがあるじゃないですか?
永野 あるねー。
奥村 筐体から発っせられるあの「ドゥ、ドゥ、ドゥ、ドゥ」って音が気になってしようがなかった。いかにも楽しげじゃないですか?
永野 あの音ね! そこでいきなりゲーム女スイッチがオンになったと。
奥村 「やらせて!」って父親にせがんでプレイしたんですけど、コツなんかわからないからあっという間にゲームオーバーになってしまって……。
永野 そりゃそうだ。まだ子供だしねぇ。
奥村 一瞬で終わっちゃうとよけい続きがやりたくなるわけで、続きのプレイを懇願するんだけど何度もやらせてくれなかった。「もうダメ!」って言われて。
永野 きりがないもんね。きっとお父さんもお小遣い少なかったろうし。
奥村 (笑)とにかく遊び足りなくて……。で、その日の晩に父と母が「食事に行く」とふたりで出かけてしまい、私は部屋で留守番を命じられたんです。小さい妹もいたので「絶対に部屋から出たらダメだよ」って念押しされて。
永野 ははーん。
奥村 そのとき、テレビの脇に100円玉がいっぱい積まれていたのを発見したんですよ。
永野 テレビを起動させるための小銭だ。
奥村 そうそう。昔は有料放送じゃなくても1時間100円取られましたよね(笑)。で、「ああ、あの100円でさっきのゲームが遊べるー」って思うわけですよ。妹はすでに寝ていたので、さんざん葛藤したあげく1枚だけ拝借して、こっそり部屋を抜け出して『インベーダー』をやりに行きました。
永野 うわー! ゲームの続きをやりたい欲望が、後でバレて叱られるリスクに勝ったというわけだ。とはいえ1プレイだけじゃけっきょくすぐゲームオーバーでしょ?
奥村 もちろん1面もクリアーできなかったです。UFOだって撃ち落とせないし。でも、そのときの楽しさが忘れられなくて……。
永野 デビューからしてそうとうな真性ゲーム女っぷりだ。
奥村 永野さんに言われたくないですけどね(笑)。
永野 でもさ、温泉地のホテルじゃなくても遊べるよね? 近所の駄菓子屋さんとかに古いゲームが置いてなかった?
奥村 私そういうことにうとくて。でも、後日、家の近所に似たようなゲーム筐体がたくさん置いてあるゲーセンを発見して小躍りしました! しかも1回50円。
永野 どんなゲームがあったの?
奥村 『パックマン』とか『クラッシュローラー』(※1)とか。『ラリーX』(※2)も超ハマりました。
※1 1981年にアルファ電子より発売されたアーケードゲーム。『パックマン』同様のドットイートタイプゲームで、敵を避けながら画面上の道路をすべて塗りつぶせばステージクリアーとなる。
※2 1980年にナムコ(現バンダイナムコゲームス)発売されたアーケードゲーム。自機のクルマを操作して、敵や障害物を避けて迷路上のステージに設置された10箇所のポイントを通過する。
永野 懐かしいなぁ。当時のナムコのゲーム音楽って素晴らしいよね。ゲーセンで耳にするとつい引き寄せられちゃわない?
奥村 られる! そういうのってゲーム女特有の習性なんでしょうかね? 音楽でいうと『ディグダグ』(※3)も好き。
※3 1982年にナムコ(現バンダイナムコゲームス)から発売されたアーケードゲーム。地中を掘り進み、画面上の敵をすべて倒せばステージクリアーとなる。
永野 ゲーム女だけかも。非ゲーム女はゲームの音にいちいち反応しないと思う。ほかにもハマったゲームある?
奥村 あとは『Mr.Do!』(※4)。これはけっこうやり込みましたよ?。リンゴとかチェリーとか使うアイテムも女子的に引かれるものがあったし。
※4 1982年にユニバーサルより発売されたアーケードゲーム。主人公のピエロを操り、アイテムを使って敵を倒しながら地中を掘り進んで行く。
永野 また穴掘るゲームか! 奥村ってさ、道路や地中が舞台のゲームが好きなんだ。国土交通女だね。
奥村 (笑)とくに、そういうつもりでは……。
永野 自分がゲーム女であるということが決定的になったのはいつごろなの?
奥村 中学でファミコンがブームになったころですかね。ファミコンデビューは『スーパーマリオ』。
永野 あたしもだー。世代は違うけど、さすが2代目ゲーム女だわ。そうとうやり込んだ?
奥村 ええ。当時は自由に使えるお金も限られているし、ゲームソフトって高かったですから1本買ってもらうとずっとそのゲームで遊ぶしかないでしょ? しかも、親がけっこう厳しくて家ではあんまり遊ばせてもらえなかったから、ファミコンできないときはカンペンケースを両手で持って脳内で『スーパーマリオ』をプレイしてました。授業中に「今日は8-4」まで来た!」とか(笑)
永野 うわー! それちょっと怖い。同世代の男子にはドン引きされそうな行為なんだけど。
奥村 だから誰にも知られないようにやるんじゃないですか。
永野 まわりに女子のゲーム友達はいたの?
奥村 ほとんどいなかった。男子とはゲームの話をしてましたけど、あんまり大っぴらにゲームが好きだって言ってなかったです。
永野 当時は隠れゲーム女だったんだね。
奥村 でも『ドラゴンクエスト』(以下『ドラクエ』)シリーズが流行ったときは、女子でも「やってみたい」っていう子が現れて……。
永野 指導してあげたと。
奥村 はい。1作目の『ドラクエ』を貸してあげたんですけど、しばらくたっても感想も言わないし質問もされないんですよ。気になって「いまどのへんにいるの?」って聞いたら、「城のまわり」って言うんです。
永野 城ってまさか……ラダトーム城?。
奥村 その後も何度か進み具合を確認したんですがいつ聞いても「城のまわり」って。おかしいから「いまレベルいくつ?」って聞いたら「20」って! 驚いて事情を聞いたら、少しレベルがあがったからって、ひとつ橋を渡ったら強い敵にやられちゃって、それ以降怖くてずーと城のまわりでレベル上げしてたそうです。
永野 あははは! スライムやドラキーだけ相手にレベル20か。気が遠くなる苦行だね。で、クリアーはできたの?
奥村 「そのレベルならラスボスも倒せるよ」って教えてあげたら、その後ほどなくクリアーしてましたよ。
永野 その子、いまならファミ通編集部で働けそうだよね。ゲーム攻略のやり込みスタッフとして。
(後編に続く)
次回更新は9月2日(金)を予定しています。
2011年8月26日 16:57