グランツーリスモの夜明け 連載第23回
【定期連載 山内一典の読むグランツーリスモ】
●[連載第23回]グランツーリスモの夜明け 最初の一歩を踏み出す
1992年4月、ぼくは(株)ソニー・ミュージックエンタテインメントに新卒の新入社員として入社しました。ぼくが希望していたのはCGを使った映像制作、あるいはマルチメディア制作のセクションだったのですが、配属されたのはEPIC・ソニーレコード・ニューメディア部という部署でした。
EPIC・ソニーレコードといえば、当時は小室哲哉のTM NETWORKや渡辺美里、全盛期のドリカムでイケイケの時期です。ニューメディア部って何をするところだろう、というのがぼくの最初の疑問でした。
入社するまでその存在を知らなかったのですが、EPIC・ソニーのニューメディア部というのは、ソニーグループの中でファミコンやスーパーファミコン向けにゲームソフトを作っている部署でした(TM NETWORKや聖飢魔IIなどの、いわゆるタレント物のゲームです。ご存知でしたか?)。
ぼくはその部署に何年ぶりかで配属されたのです。そこに配属された新入社員はぼくひとりでした。
入社当日のことは今でも良く覚えています。オフィスは青山一丁目駅の真上に位置する青山ツインタワービルにありました。入社当日、ぼくは朝8時に出勤してビル8階にあるオフィスのエントランスに立ちました。就業開始は10時半ですから2時間半前に出社したわけです。そして、これから仕事を共にすることになるであろう諸先輩方、全員に挨拶をしなければ、と意気込んでいたのです。今から振り返れば笑ってしまうような愚直な熱意、ですね。でも、当時の自分にはそれが自然に思えた。社会人になること、仕事をすることへの理想に燃えていたんですね。恥ずかしながら……。
さて、就業2時間半前にエントランスに立ってはみたものの、待てど暮らせど、誰も出社してきません。最初に出社する社員がスイッチを入れるまではエントランスの自動ドアは開かないしオフィスの照明も暗いままです。
うす暗いオフィスのエントランス、皆が出社してくるはずのエレベータの前で、ぼくは2時間以上待つ羽目になりました。とにかく誰も出社してこない。
就業時刻の15分ぐらい前になって、ようやく、どやどやと人が出社してきました。
「本日から配属になりました、山内と申します。よろしくお願いします。」
エレベータのドアが開く度に、深々と頭を下げて大きな声で挨拶をしました。
ぼくがとった行動が先輩たちの目には奇異に映ったらしいことは直感的にわかりました。
「あ、ああ、よろしく……。」(なんだ、こいつ?)
そんな反応です。
ぼくの生真面目な態度は歓迎、共感されるというよりは、警戒、困惑されているようです。
社会人ってのは自分が思っているより、意外に不真面目かもしれないぞ、という疑問が若いぼくの脳裏をよぎります。
仕事を始めて、その思いはさらに強くなりました。
先輩たちは日がなスーパーファミコンでゲームに興じているし、それを上司は何も言わずに静観している。周囲の人たちは、入社初日から、やる気に燃えていると思われたぼくを遠くから観察しているようです。
たいした起伏もなく、だらだらっと1日は過ぎ、定時になると、皆帰っていく。
「この会社、大丈夫か?」
というのが、ぼくの最初の印象でした。
そして入社3日目には、こんな所にいたらヤバイ、と思いました。
ぼくは仲のいい同期が配属されたグループ内の別の部署を訪ねました。おまえのところはどうだ、と。
「うちの部署はダメだ。」
こうした若い新入社員同士のやりとりを聞いていた同期の上司が、ぼくの上司
に電話で連絡したようです。「そっちの部署の若いやつが来て、こんなこと言っ
ていたぞ」と。
翌日、ぼくは上司に呼び出されます。
呼び出したのは、ぼくの入社と時を同じくして、その部署に部長として配属されたばかりだった佐藤明さん(現・株式会社ソニー・コンピュータエンタテインメント 代表取締役 副会長)でした。
「おまえが言いたいことは、良くわかる。」
「時間はかかるけど、オレがこの会社を良くしていくから、ちょっと我慢しろ。」
佐藤さんの説得で、ぼくは思いとどまり、もう少しこの会社にいようと翻意します。朝は誰よりも早く出社してオフィスにある全員の机の上を雑巾がけする。観葉植物に水をやる。朝刊各紙に目を通しゲーム業界に関係ありそうな記事をコピーし、それをクリップして回覧用の資料を作る。昼は会社の資料ラックからスーパーファミコンの技術資料を持ち出して独りで読み耽りました。
パソコンに関しては個人的な趣味としての長い経験がありましたが、家庭用ゲーム機のハードを知るのは初めてのことで、アーキテクチャを理解しながら、あれやこれやと実現可能なゲームについて空想する時間はそれなりに楽しいものでした。
このとき、ぼくがいた青山一丁目のツインタワー西館8階のフロアで、ぼくが最終的にこの仕事に引きつけられることになる事態が、水面下で静かに、着々と進行していました。
そう……、プレイステーションの胎動……が始まっていたのです。
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【1992年】
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