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DATA |
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| ■監督/トッド・ソロンズ ■出演/ジェーン・アダム、フィリップ・シーモア・ホフマン ■配給/シネカノン ■上映時間2時間14分 |
| ■STORY ニュージャージーでそれぞれの暮らしを送る三姉妹と、彼女たちをとりまく人々。彼らはみな、幸福を求めて、それぞれ苦しみ続けていた。 |
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『マグノリア』、『200本のたばこ』、『アメリカン・ビューティー』。最近日本公開されたこの3作品は、みんな何かを求めることを描いた群像劇だ。『マグノリア』では苦境からの立ち直りと癒し。『200本のたばこ』では自分を包んでくれる優しい愛。『アメリカン・ビューティー』では美しいもの。こんな感じで、人々はいろいろなものを求めて悪戦苦闘している。
それぞれの求めるものは、一見すると、表層的には違う。でも、どの作品でも共通して描かれているのは、何かを求め幸せになろうとする人々の、どうしようもないほど滑稽で切ない姿だ。今回紹介する『ハピネス』もそんな作品。タイトルにもある「幸せ」そのものを求めて、10人以上の主人公たちが、延々ともがき続ける。
この作品の監督であるトッド・ソロンズは、前作の『ウェルカム・ドールハウス』の頃から、容赦ないほど残酷な世界を描いていた。この作品の主人公はちょっとブスな女の子。なんとか幸せになろうと奮闘するが、家族やクラスメートからは「犬のような顔」とバカにされ、イジメられている。何をやってもうまくいかない少女。彼女が涙ぐみながら「幸せを運ぶ鳥の歌」をクラスメートたちと無理矢理歌うというところで映画は終わる。
これだけ書くとまったくもって残酷で救いがない。それでもこの作品は、ユーモアに溢れた笑える映画だった。それは、イジメられっ子をあざ笑うのではなく、この世界で奮闘する彼女に対する、優しいまなざしと、その奮闘を良しとする強い意志のようなものが、この作品の中にあったからだと思う。
『ハピネス』において、ソロンズ監督は同様のテーマを描きつつ、さらにスケールアップしている。残酷な世界で悪戦苦闘する人々は、少女から立派な大人へと変り(少年もひとりいますが)、その世界の描かれ方も、より容赦ないものになっている。
太ったサラリーマンのアレンは、隣人のへレンを愛しつつも、その想いを伝えることができず、イタズラ電話にふけっている。そんなアレンを愛するクリスティーナは、自分を暴行した男を殺し、冷蔵庫に保存している。ヘレンは作家として成功しつつも、自分の才能のなさを確信していて、幸せを感じることができない。へレンの妹ジョイは、別れた彼氏に当てつけ自殺されたり、妻子持ちのロシア人に騙されたりと、とにかく不幸続き。へレンとジョイの姉であるトリッシュは一見幸福な家庭を築いている。しかし、彼女の夫であるビルは精神科医でありながら、実は無差別大量殺人を夢想する小児性愛者だ。
ここに書いた以外にも、どうしようもなく不幸な人たちが多数登場して、容赦なく不幸なエピソードが綴られていく。この映画の世界は、現実同様に本当に残酷で、ラストでみんなを救ってくれるような、映画的魔法はない。
それでも、この作品には、幸せという目に見えない強大なものへ向かおうとする意志がある。小さな魔法がある。その魔法とは、不幸なエピソードの狭間で起こる、ささやかで、微笑ましい瞬間。それが時に登場人物たちの涙をとめて、ちょっとだけ、でも精いっぱいの笑顔を引き出す。
自分で昏睡させて襲った少年の肩を、ただ優しく抱く精神科医。憧れの女性に部屋に招かれるが何も出来ず、殺人を犯した女とジャケット姿のままで、ただ添い寝するイタズラ電話魔。自分を騙したロシア人に、「またね」と言って別れを告げる女性。不幸の限りを体験した三姉妹とその両親(別居中)が、「幸福」のために乾杯する。悲惨な家族の中で、いつもシッポを元気に振り続ける飼い犬。
これらは決して褒められるものでもないし、幸せと呼べるレベルのものでもないのかもしれない。それでも、この残酷過ぎる世界が、決して残酷なだけではないということを優しく伝えてくれる。「掃きだめに鶴」って言葉があるけど、僕には「掃きだめにしか鶴はいない」って気がしている。
この幸せを求める悪戦苦闘はどこまで続くのか?
いつか本当に幸せは訪れるのか? それとも、このまま挫けてしまうのか? それは多分、誰にもわからない。でも、もしかして、掃きだめに鶴がいるなら、瓦礫の中に金の指輪が埋まっているなら、大好きな人が、目の前でちょっとだけ笑うなら、止めることなんてできないだろ。どんなに残酷な世界でも、全部飲み込んで、悪戦苦闘し続けるしかない。
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