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DATA |
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| ■監督/行定勲 ■出演/麻生久美子、袴田吉彦 ■配給/スローラーナー ■上映時間/2時間1分 |
| ■STORY 田舎の港町を離れて東京で暮らす輝明たち。彼らのもとに、小学校時代の同級生が海難事故で死亡したというニュースが入る。輝明たちは葬式のために、久しぶりに帰郷するのだが……。 |
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今回はタイトルだけでも夏を感じさせてくれる映画『ひまわり』だ。ジリジリとした暑さを感じさせつつも、何ともいえない穏やかさを持った大切な映画だった。その感触を今週も普通の言葉でしっかりと刻もうと思う。
例えば、ちょっとずつ年をとって大人になると、大切な人との取り返しのつかないお別れが、子供の頃よりはずっと増える。それは引っ越しやけんか別れといった次元のものではなく、いわゆる死によるお別れのこと。家族、友達、恋人と、状況はいろいろ違えど、誰もが大切な人とのお別れを経験したことがあるはずだ。
でも、そのお別れの持つ意味や、重大さに、人は気がつかない場合もある。この映画では、そんな失ってしまった大切なことが、夏の景色と朝本浩文の音楽をバックに、優しく描かれていく。
主人公の輝明は、軽く浮気したりしつつも、可愛い彼女と東京で同棲している。そんな輝明のもとに、聞き覚えのない女性から留守電が入る。輝明は電話の声が小学校の同級生の朋美であることを知るが、彼女はその電話の翌日に、船の事故で帰らぬ人となっていたのだ。
輝明はまったく朋美のことを覚えていなくて、葬式に行くことすら面倒に感じている。渋々田舎に帰った輝明は、幼友達や朋美がこれまでに付き合った男たちの話を通夜の席で聞く。こうした話を聞くうちに、輝明は死ぬ直前の朋美があまり幸せな境遇ではなかったことを知る。またそんな彼女が、幼い頃に輝明に言われた「きみはヒマワリのようだ」という言葉を道しるべのようにしてしてなんとか生き続けていたということを知る。そして輝明自身も、朋美に強く恋していた幼い自分のことを、少しずつ思い出していく。
このように、これはすでに終わってしまった素敵な関係を巡る後悔の物語だ。幼い友達たちは最近の朋美の悩みを何も知らなかったことを後悔し、彼女と付き合った何人もの男たち(!)は、自分が彼女の救いとなれなかったことを嘆き悲しむ。それでも彼らは、もう朋美の残した存在の匂いのようなものを遠くに感じることしかできない。
結局、朋美の遺体は見つからない。事故なのか自殺なのかもわからず、残された人々の悲しみは、宙ぶらりんになったまま、夏の一夜が過ぎていく。
ただ、ひまわりという言葉に強く惹かれ続けていた朋美が、きっと最後まで陽に向かって生きようとしたであろうということだけを、朋美を知る人々は強く信じる。そして、そんな彼女の少女時代を愛した輝明の蒔いたひまわりの種(別れの時、朋美からもらったもの)は、10年以上の時を経て、輝明自身も驚くほどの、大きな夏の奇跡となって、輝明や、死んだはずの朋美を優しく包み込む。
死のように、人にはどうしようもない大きな力によって、大切なものを失ってしまうのは、とても悲しいことだ。でも、そんなことよりも、もっと悲しいのは、その大切さに気がつかないということなのではないだろうか。
ただし、その失ってしまった大切なものを、ただ後ろ向きに懐かしみ悲しんでいるだけでは、まったく意味がない。輝明が10年以上前のひまわりの花をちゃんと咲かせたように、今日これからも生きていく自分の中に、しっかりと強い力として存在し、残っていくものとしなければ駄目なのだ。
本当にたくさん失い続けて、そんなことに押しつぶされそうになって、どうしようもなく悲しくなってしまう。それでも、どういう訳か、ちゃんと続いていこうとする得体の知れない何かが、多分僕たちの中にはある。そして、それを支えるのは、多分、大切さをちゃんと理解して、自分の力にするといういう無意識の作業のようなものではないだろうか?
そのことをはっきりとわかったから、この映画に出てくる人達は、ただ泣くだけではなく、最後には、みんなちゃんと笑っていたのではないかと思った。
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