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DATA |
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| ■監督/ラッセ・ハルストレム ■出演/トビ−・マグワイア、マイケル・ケイン ■配給/アスミック・エース ■上映時間/2時間6分 |
| ■STORY 孤児院で生まれ育ったホーマーは、周囲の人々の愛に包まれ成長するが、孤児院を離れ、未知の世界へと旅立つ。彼はリンゴ園でまったく新しい生活を始めるのだったが……。 |
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海外からもこのコラムにメールをいただきました! アメリカみたいに本当に遠い場所で生きている人にも、このコラムのただの言葉が少しずつだけど届きつつあると実感。今回も遠い場所で生まれたのに、僕を強くとらえた作品を、ただの言葉で、しっかりと刻みたいです。
もしあなたが、すでに『サイダーハウス・ルール』の原作者であるジョン・アーヴィング(『ガープの世界』、『ホテルニューハンプシャー』などがオススメ)のファンなら、あえてこの映画を観る必要はないかもしれない。だって、この映画で語られる素敵なことや大切なものは、原作の中に、ひとつ残らず全部あるから。ただ、本を読まないという人は確かにいる。また、本を読もうが読むまいが、そんな些細なこととは関係なく映画が本当に好きな人も、きっとたくさんいる。僕はそんな人間なので、迷わずこの作品を観ました。
まずは、原作と脚本を担当したジョン・アーヴィテングの小説世界についてすこしだけ。彼の作品群の登場人物たちは、みな「美しいはずの世界に満ちた、どこか滑稽だが残酷な暴力や悲劇」にさらされている。不幸な生い立ち、不治の難病、愛する人の裏切り、暴力、レイプ、近親相姦、殺人、偏見、そういったどうしようもないもので満ちた世界で、人々は生きる。その描かれ方は「あー、みんなこんなつらいのに頑張ってる。偉いなあ。感動」という類ものではない。登場人物たちは、そのどうしようもない部分すらも、すべて飲み込んで(意識的、無意識を問わず)波乱万丈の人生を生きる。たとえ傷ついてズタボロになっても、「それでも世界は美しい」と言い切る強靭なしなやかさのようなものを持っている。そして時に残酷さに満ちているからこそ、世界は優しく美しく輝いているということを、理屈ではなく本能で感じ生きている。
映画『サイダーハウス・ルール』はそんなアーヴィングの世界を、ひとかけらも壊さずに映像化することに成功していると僕は思う。
本作の主人公ホーマーは、親の顔も知らずに孤児院で生まれ育った。彼は何処に養子縁組されることもなく、孤児たちの兄貴的存在として生きている。この孤児院の院長は重度の薬物中毒だが、父親以上にホーマーや孤児たちを優しく見守り、愛情を持って育てている。その一方で、彼は訳ありの女性のために、中絶医としていくつもの命を始末している。いつか新しい両親を得ることを望む孤児たちは、何も知らずに中絶された子供たちの遺骸を、毎日裏庭の焼却炉へと無邪気に捨てに行く。こう書くと、本当に凄まじく残酷な世界の絵が浮かぶ。でも、この孤児院で寄り添い暮らす人々の生きる姿は、ただひたすらに美しい。「親にも大切にされなかった」という孤児たちに、院長は「おやすみメイン州の王子、ニューイングランドの王」と毎晩優しく語りかける。こんな優しさに満ちたエピソードが全編にちりばめられて、本当に美しい世界が描かれていく。
親代わりの院長がホーマーに繰り返し言うことは「人の役に立つ存在になれ」というシンプルな言葉だけだ。そんな院長の引き留める声もむなしく、ホーマーはより広い世界を求め旅立ち、リンゴ園(サイダーハウス)で生活するようになる。そこでホーマーはさまざまな人の悲しみや、優しさ、そしてさらなる世界の残酷さに触れる。それでもホーマーは、なにひとつ絶望も失望もせずに、「この世界で人の役に立つ存在になるとはどんなことか?」という問いに、新しい生活の中で向き合い続ける。その過程には、初めて愛した女性(それも大切な友人を裏切って手に入れた人)との別れもある。それすらも、ホーマーは穏やかな優しい表情のまま受け入れ、院長の言葉通り、自分の進むべき方向へと、力強く向かっていく。
本当に「感動」と呼べる大切な何かを呼び起こすのは、多分、せつないだけの物語ではない。今、自分のいるこの世界に対する確かな認識を持ち、「こんな世界の真っ只中」で生きていこうとする強い意志。その意志が確かに存在しているということが、僕を震わせるのだ。
もっと乱暴に言わせてもらえれば、その意志とは、この世界を否定もせず、憎みもせず、その美しさも残酷さも、すべてを強く優しく受け入れる。そしてただ、生きるということの本質に向き合うことだ。
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