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DATA |
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| ■監督/サム・メンデス ■出演/ケビン・スペイシー、アネット・ベニング ■配給/UIP ■上映時間/2時間2分 |
| ■STORY 郊外の新興住宅地に住むしがない中年サラリーマンとその家族。彼らが、本当に求める物に気がついてしまったことから、平凡な日常に変化が起こる。 |
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今回はアカデミー賞5部門独占ということで話題を呼んだ『アメリカン・ビューティー』のことを書きます。だけど、僕はこの作品が、たとえオスカー像に全く縁がなくても、劇場未公開の作品になっていたとしても、ただの言葉で、しっかりと刻もうとしたと思う。
アカデミー賞受賞作品とか聞くと、普段映画になど興味のない人でも、「そんないい映画なら一応観てみるか?」なんて気分になる。逆に映画好きの人ほど「じゃあ大衆向けの安易な感動ものか」なんて油断してしまうかも。だけど、どっちも完璧に間違い。そんな先入観でこの映画に触れると、いい意味で裏切られる。それどころか、いろんなことを考えさせられてしまう、とても危険な力を持った作品だ。
アカデミー賞受賞作品のパブリックイメージといえば、やっぱり「壮絶な人間ドラマ」、「実話を映画化した感動のストーリー」、「制作費何百億の超大作」、「壮大な歴史絵巻」とか、そういった感じのものが多い。実際にそういったテーマを掲げた作品が、多数受賞作品として世に残っているのは確か。そういった作品も、もちろん素晴らしいが、『アメリカン・ビューティー』にはそういった類の血肉は皆無。この映画にあるのは、欲しい物(美)を本気で求めるのはどういうことなのか?
ということに関する、狂おしいほどの問いかけである。
タイトルのアメリカン・ビューティーとは主人公の妻が庭先で栽培している美しい薔薇の品種。その薔薇の花びらが、この作品のテーマでもある「求める美」の象徴として、ただ淡々と随所に登場する。映画自体も本当に淡々としていて、登場人物達に対する一切の感情移入や、必要以上のクライマックスを拒否しながら、「求める美」の存在に気づいてしまった人々が、どう変っていくのかを、一見コミカルに、だが恐ろしいほど鋭い視線で描いている。
主人公は本当に普通の中年サラリーマン。郊外の立派な一戸建てに住み、妻や娘に不満がありつつも、家族3人元気に暮らしている。それでも「この世界で自分の人生は死んでいるのと同じ」という確信に近い思いを抱き、それを受け入れつつ生きている。そんな彼が、娘の同級生に一目惚れしてしまったことから、家族の人生は微妙にズレ出す。こう書くと「なんだ若い女に狂った中年男のよくある話か」と思うかもしれない。ただし、このエピソードは全編を貫きつつも、前に書いた薔薇の花びらと同じで、単なる象徴に過ぎない。
さっきも書いたように、この作品で描かれるのは、「本当に欲しいもの(美)を求めるとは、いったいどういうことなのか」ということ。本当にこれが様々なエピソードを通じて繰り返し語られる。登場人物達が抱える各々の問題は、表面上はまったく違うが、結局すべてそこに行き着いている。
劇中の人々は、他人から見たら、ごく普通、もしくはそれ以上の幸せを手に入れている。主人公はリストラの危機などにさらされつつも、一応社会的地位もある。特別な善人ではないが、悪人でもない。それなのに、彼らは誰ひとりとして自分の現状を愛して、安心してこの世界で生きていくことができない。
それはなぜか? これはちょっと危険な考え方かもしれないが、多分、人はそこそこの欲望によって得られる幸せでは、本当に楽しくて、気持ち良くて、充実した場所に辿り着くことはできないのではないだろうか?
欠点だらけのどうしようもない自分(実際に登場人物は内面的には問題を抱えた不安定な人ばかり)が持っている、本当に欲しいもの(美)に対する押さえられない危険な欲求。それが、この映画の登場人物達を強く衝き動かしている。
ここで本当に大切なことは、そんなどうしようもない欲求を、ただ勝手に暴れ回るままにしておくのではなく、どうやって自分や周囲の人々の生きるこの世界で、幸せな結末と結びつけるのかということ。映画は主人公がその答えというかヒントのようなものを無意識のうちに掴みかけた時、残酷なことに終わりを迎える。それは、ありがちなハッピーエンドではないが、本当に欲しいものを全力で求めるということに関して、何かヒントのような物を、観る人の中にもたくさん残していく。
「この世界にある本当に美しい物が、僕を圧倒して、僕の心臓は止まりそうになる」。「本当に美しい物が溢れているこの世界では、怒りの感情は長続きしない」。こういった劇中のセリフが、アカデミー賞などという飾りとはまったく関係なく、観終わった後も、強く響き続ける。そして、この世界で欲しい物を強く求めて続けていきたい、というどうしようもなく危険で強い気持ちが、自分の中にも確かにあるということが感じられる。
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