| 『風の谷のナウシカ』、『となりのトトロ』など、常に日本、いや世界のアニメシーンをリードし続けている巨匠・宮崎駿監督。その素顔に迫るべく、我々はインタビューを決行! 『千と千尋の神隠し』が、どのような経緯をたどって完成したか、しかと見よ! |
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■DATA
宮崎 駿(みやざき はやお)
1941年1月5日生まれ。大学卒業後に東映動画に入社し、アニメーション業界へ。'79年の『ルパン三世/カリオストロの城』や'84年の『風の谷のナウシカ』などで一躍日本を代表するアニメクリエイターとしての地位を確立。その後発表する作品も世界中で絶大な支持を受けている。 |
●少女たちのために
−−『千と千尋の神隠し』を作ろうと思われたきっかけは?
宮崎駿(以下・宮崎): きっかけ……うーん、特には考えてなかったんですが(笑)。ただ、友人の娘たちで、自分自身も親しくしている女の子がいるんだけど、その子たちに見せたい、その子たちのための作品を作りたいと思ったんですよ。そう考えたときはその子たちは10歳だったんだけど、いまでは中学生になっちゃった(笑)。それはともかく、よく考えてみたら10代前半くらいの女の子たちに向けた作品は作ったことがなかったんですね。少年向けの作品は『天空の城ラピュタ』とかがあるし、思春期向けの作品なら『耳をすませば』もある。小さな子向けだと『となりのトトロ』とか。けど少女たちのものって何かあったか、と考えたら、ないんだってことに気づいた。
−−なるほど。
宮崎: で、世の中見回してみても、いろいろあるとは思うんだけど、自分の知る限りそういう作品はないんですね。漫画にしても。少女漫画雑誌とかあるけど、そのくらいの世代の女の子が求めているのは、典型的な少女漫画のようにクラスの男子と相思相愛になったりすることじゃないな、と思う。ほかにももっといろんなものをいっぱい抱えてる。それで、"思春期ではないけど、その準備は始まってる"っていう女の子たちの、あのあやうさは何なんだろうと思って、彼女たちのために見せてあげる作品はどんなものか考えた。
−−一般的な社会では、彼女たちに何を求めているんでしょうか?
宮崎: 世の中はそろって「個性の時代だ。好きなことをやりなさい」なんて言ってるけど、そう簡単に好きなことなんか見つかるはずがない。その人に向いてるものなんて、それこそ何にも向いてないこともあるんだから。そういう一見個性尊重の欺瞞のなかに個性なんてあるわけないんですよ。どうも世の中が彼女たちに向けて要請しているものが、何かウソくさい。逆に彼女たちのために用意されているものも上っ面な作品ばかり。どうやったら彼女たちが「自分たちのための作品だ」と思ってくれるか思案して、『千と千尋〜』を作ろうと思ったんです。
−−「ないなら作っちゃおう」という感じですね。
宮崎: でも少女漫画もおもしろいですよ。姪っ子たちのを見せてもらってハマっちゃった。しまいには自分で買いにいったりしたもの(笑)。ちなみにそのときがきっかけで『耳をすませば』を作ることになったんだけど。でも、あれも思春期向けの作品だからね。何て言うか、高校生や大学生が自分のために描いてる作品って感じ。
−−『千と千尋〜』は違う、と。
宮崎: 今回の映画は、極めて個人的に見せたい相手を決めて作った作品です。あの子達を招待して見せるつもりだし。だからその子たちがどういう感想を言ってくれるか、それだけがドキドキですね。こういうのは『パンダコパンダ』以来30年ぶり。あれも自分や知り合いの子供向けのつもりで作りましたから。だからスタッフといっしょにヨレヨレになりつつも「幸せだなぁ」と密かに思ってたりするんです(笑)。
●言葉で表現してはいけない世界がある
−−作品の世界にファンタジーという土台を選んだ理由は?
宮崎: まぁ単純に言ってしまえば現実世界がつまんないから。普通の世界では『耳をすませば』でやったこと以上のことはできないですよ。現実世界はくだらないものに翻弄されながら生きていかなきゃならない世界なんですから、その中でなんとかしたいって言ってもムリです。だから今回は思いっきりウソくさくした。でもそのウソの中でも、彼女たちに向かって「僕がいままで生きてきた先輩として語っていることにはウソはありません!」というのは胸を張って言える。だから映画としては、作法から外れた、起承転結も何もない滅茶苦茶な作りです。起承承転結みたいな(笑)。突然終わっちゃうような印象もあるだろうけど。
−−その世界のなかでも、たくみに現実世界のカリカチュア(戯画)としての要素が盛り込まれているように見えるんですが。
宮崎: いや、そういった風刺的なキャラクター配置などの要素は一切排除しました。たとえば両親が豚になるのはバブルに踊った大人の風刺なのか、とかよく言われますけど、そこには特別な意味は何もないんです。豚になってしまった、さあどうする? って。ただそれだけ。みんな単純に言葉で意味を見いだそうとするけど、映画ってそういうものじゃない。そういう意味づけはほかの人にやらせればいいんですよ。千尋の行動にしても、特別テーマを意識して決めたわけじゃないし。その知り合いの女の子が、もし同じ状況に放り込まれたとしたら、相当グズやヘマもするだろうけど同じ行動をとるだろうな、と思って作ってました。「これくらいことはやるはずだ」と。「やるべきだ、そうしなさい」と大上段に言い放つわけではなく、「できるでしょ」って。
−−理屈よりも感覚重視、と。
宮崎: うん。それは普段から言ってることなんだけど、たとえば油屋の構造はどうなってるのか、とか聞く人もいるんですよ。でも僕が現実に徳間書店の役員から構造まで完全に知ってるわけないのに、油屋の構造なんてわかるわけないじゃないですか(笑)。そんなことによって世界がわかるわけじゃない。彼女たちが自分たちの生きている時間のなかで、その世界をどう感じるかが大事なんだ、と。それについてはウソをつかないで作ろうと思ってた。
−−油屋というのは、その少女たちが最初に接する現実というものの代表でもあるわけですよね。
宮崎: だから、スタッフに冗談半分で「これはジブリに新人が来たときの話だ」なんて言ってるんですよ。内部の人間にとっては日常なんだけど、端から見たら何とも得体の知れない連中が黙々と働いているようにしか見えない。その中で頭がクラクラしつつも、鈴木プロデューサーの部屋に行って「働かせてください」って言わなきゃならないとしたら、多分千尋と同じくらいの緊張を味わうはずですよ。本当に「帰れー!」とか怒鳴りますからね、あのヒト(笑)。そういう状況を表現するには、現実世界でやるよりもファンタジーでやったほうが逆にリアリティーが出ると思う。でも、そういう怖い人たちにしても、じつは家に帰ったら良き隣人、良き家族なのかもしれない。それこそ坊をかわいがる湯婆婆みたいな。職業を持つことによって分裂せざるを得ない自分、というものを抱えて、大人はみんな生きてるんですよね。それを誇張することによって「世の中では普通にあることなんだ」ってことを言いたかった。
−−作品のテーマとして「生きる力」というものがあると思うんですが、監督は今の子供たちにどういう意味でもってこの言葉を使ってるんでしょうか。
宮崎: 今の社会は寄ってたかって子供の好奇心を奪う仕組みになってます。好奇心を持つまえに全てが与えられる。テレビも映画もゲームもみんなそうだと思う。家庭にしてもそう。親が先回りして危険をつみ取っていく。そしてほとんどの親が「果たしてこれでいいのか」ってビクビクしながら子育てしてる。不幸な時代ですよ。でもそれは、ある時期の日本人、もちろん僕も含まれるんですが、みんなで「豊かになろう、貧困から抜けだそう」って考えてできあがったものだから、一方的に悪いって断罪することもできないんだけど。でも「つまんねえ世の中を作っちゃったなぁ」とは思いますね。
●異世界の入口はすぐそこに……
−−話の舞台として湯治場、というか銭湯に近いと思いますが、そこを選んだ理由というのは?
宮崎: いやぁ、単に銭湯好きだから(笑)。子供の時から本当に好きで。家の風呂もあったんだけど、たまに行ったりすると……。ほら、洗い場の隅になんか小さい潜り戸があったりするでしょ。「あれに入るとどこに出るんだろう」なんて考えたり。銭湯ってのは不思議な場所ですよ本当。煙突がモクモク煙吐いてるのに、裏に回っても何だかわからない建物があるだけで正体がわからない。だから、ある種の魔窟と言ってもいい。
−−確かに子供にとっては怪しい人が来たりしますもんね、銭湯(笑)。
宮崎: ぼくも自分の子供が小さいときに、どこにも連れていってやれないときは近所の銭湯に行きましたよ。コーヒー牛乳買ってやって「お母さんには内緒だぞ」なんてドキドキさせたりして。別に言ってもいいんだけど(笑)。そうして日曜日のイベントが終わる、という。それで充分イベントになるんですよ、子供にとっては。
−−なんかいい情景ですねぇ。
宮崎: 銭湯に限らず、子供にとっては日常生活のいたるところに異界への穴が開いているんですよ。自宅の裏とか。たとえば私の義父の書斎なんか、もう書類と本だらけで、いちばん奥ってどこなのか判らなかいくらい。僕の子供は小さいころは「この本の山は駅のほうまでずーっとつながってるんだ」と思ってたらしい(笑)。それこそ地の果てまで続いているような。なんか、そういう場所を見せてくれただけで、あの義父は子供たちに非常に価値があるものを渡してたんだなぁ、と思いますね。世界の奥深さを見せるのは、ある意味大人の義務ですからね。ただ、そういうのは言葉とかでまとめて表現しちゃいけないものだと思うんです。だから作りながらも不安を抱えていたわけですけど。
●主題歌との運命的な出会い
−−音声、まず音楽家の木村弓さんが手がけた主題歌なんですけど、いったいどういう経緯で決まったんでしょうか。
宮崎: そもそも『煙突描きのリン』っていう、今回と全く関係ない作品の企画を考えていたときに、木村さんに「風呂屋の煙突の上で、崩壊した東京を見下ろしながら少女が歌ってる、っていうイメージの曲はないか」と相談してたんですよ。そしたらいきなりテープが送られてきちゃった(笑)。結局企画そのものはボツにしたんだけど、この曲をどうするか途方に暮れちゃって。いい歌なんだけど、その時点では当てはまる作品なんてなかったから。その後『千と千尋〜』が動き出したときに、久石さんに「エンディングテーマの詞を書いてほしい」と言われたんですが、あいにく何にも思いつかなかった。そのとき、ふとテープのことを思い出したんですよ。それで試しにスタッフたちに聴かせてみたら、特に若い連中が「胸に突き刺さるような感動を受けた」っていうんですよ。でも、そのまま使うのにはちょっと迷いがあったんです。で、いちおうってことで木村さんを呼んで録ってみたら、いきなり声が若返ってたんですよ。ビックリしました。それで使うことにしました。
−−劇的な経緯ですねぇ。
宮崎: ただ、久石さんには平謝り。彼は音楽家ですから、最初から最後までイメージを固めて作りたいと思うのは当然。「それはどういうことなのかわかってるんですか?」と怒られましたが、「どう考えてもこれ以上の詞は作れない。僕が作れないんだから、これからほかの人にやらせても多分無理だろう」って、率直にお話してお詫びしました。最終的には了承してくれましたけど、本当に申し訳なかった。でも、映画ができる前からこの曲に出会ってたというのはすごい偶然だと思います。今になって。ついこの間まで使うつもりはなかったんだもん(笑)。
−−キャスティングに関しては
宮崎: 千尋役の柊瑠美はイイですね。でも、その良さってのは弱点と紙一重なんですよ。腹から声を出すっていうのができない世代の人ですから。ハッキリキッパリしゃべるのができない。これは人の選別の問題ではないですけど。逆にそこがいいのかも。自分の友人がしゃべってるのかと思うくらい身近な声です。ほかの方々に関しても幸運な出会いはたくさんありましたよ。坊の声なんですが、あんな大入道みたいな赤ん坊なんているわきゃないじゃないですか。もうどういう声にしていいのか全然わからなかったけど、神木隆之介さんの声を聴いた瞬間安心した。「ああ、これでいいんだ」って。
−−最後になりますが、『千と千尋』にかける意気込みをひとつ。
宮崎: もう、とにかく今回のお話はふたりの女の子に楽しんでもらうのが第1の目的だから。彼女たちが見終わって満足できるかどうか、そこが勝負ですね。そのときに「君たちのために作ったんだ」って言えたらサイコーにカッコイイよね(笑)。
【千と千尋の神隠し】
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