文=国領雄二郎(週刊ファミ通編集部デスク)
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週刊ファミ通デスク・国領雄二郎が、毎週1本劇場公開中の映画を題材に、その作品の魅力や、僕たちの暮らす世界について語り尽くすコラム! |
●超過激な世直し映画
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DATA |
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■監督/トロイ・ダフィー ■出演/ショーン・パトリック・フラナリー、ノーマン・リーダス ■配給/JET ■上映時間/上映時間1時間50分
■STORY ストーリー/神の啓示を受けたマクナマス兄弟。彼らは、街中の悪者たちを片っ端から殺し始めるのだった。 |
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今週は過激なアクション映画『処刑人』を、ちゃんとただの言葉で刻みます。
まず、最初に。本作はかなりやばい映画だ。殺人容認ともとれる部分に関してはもちろんだが、宗教的にもかなりやばい。暴力描写のレベルは、まあ普通。ただ、その暴力の根底に流れる精神というか、主張みたいなものは、やっぱり過激だ。「悪いやつをぶっ殺せ」。本作の主張はそれだけだ。
主人公は精肉工場で働くふたりの兄弟。明るいチンピラ。このふたり、ちょっとしたトラブルに巻き込まれロシアンマフィアのチンピラを殺してしまう。当然のごとく自首するふたりだが、正当防衛と認定され、不起訴となる。ボストンの人々はこの兄弟を英雄扱い。そして、その晩、兄弟は突然神の啓示を受ける。街の悪人どもをどんどん始末しろと言われるのだ。そのままふたりは銃器を大量に購入し、なんの迷いもなく処刑人となる。もちろん殺し屋の経験などない。でも、とりあえず殺し始める。彼らを追う警察の人々までも、彼らの支援を始める。とにかく、ムチャクチャだ。
まあ、ひとことで言うとノリは日本の『必殺』シリーズや、漫画『ブラック・エンジェルズ』。それらの世界を、タランティーノ風のスタイリッシュな映像で格好良く描くといった感じ。感じというかモロそのまま。
ただ、『必殺』シリーズには一応、「虐げられている人々の恨みを晴らす」みたいな大分名義があった。でも、本作にそれはない。彼らの行動の基本となっているのは教会で聞いた神父の言葉。「悪い行いを何もせず見過ごしている善良な人々の無関心も悪い」。こんな言葉や神の啓示によって、ふたりは自分たちを正当化して、ひたすら殺人を続けるのだ。ロシアンマフィア壊滅のつぎは、イタリアンマフィア。大物を殺しにいった場所に、たまたまチンピラがいたら、ついでに殺しちゃう。まったくもってしっかり機能してる。とにかく悪いやつらは問答無用で殺す。
悪いやつは生かしておくなと神が言ってた→俺たちは信仰心が強い→だから神の言葉に従い殺す。本当に彼らの行動原理はこれだけである。そして処刑後、彼らは丁寧に祈りを捧げる。まさに神の使いなのだ。
すべてがこんな感じだから、本作は当然のごとくアメリカで大きな非難を浴びた。神を殺人正当化の理由にしてるんだから当然といえば当然だ。余談だが『バトル・ロワイアル』であんだけ大騒ぎしといて、この映画が普通に観れる日本って、やっぱりどっかヘンだ。
でも、日本でこの映画を観て「自分も悪人を殺そう」なんて思う人はいないだろう。ただ激しいアクションを楽しんで、興奮して、スカッとした気持ちになって、ギャグシーンでちょっと笑うだけだ。まさに娯楽映画の王道的楽しみ方。ただ、「本当に悪人が滅びたらいいのに」なんてことぐらいは、ちょっとだけ思ったりするかもしれない。
もちろん相手が悪い人でも、むやみに殺していいわけがない。本作でもこの兄弟の行動を支持する人、非難する人など、様々な街の人々のコメントが映し出される。賛否両論。肯定も否定もない。
ただ、ふたつだけはっきりしていることがある。まずひとつ。この映画のように悪人を殺す処刑人は何処にもいない。ふたつ目。それにも関わらず他人を痛めつけたり、普通に暮らしてる人を食い物にして、自分だけお金を儲けてるような人は、この世界にたくさんいる。悲しいことに、映画の中なんかよりも、ずっとたくさんいる。
世界は結局そんな感じだ。良くも悪くも映画は現実には影響などしない。娯楽だからだ。どんなに社会派といわれる素晴らしい作品があっても、それで世の中が良くなるなんてことはないのと同じ。映画が終わって、劇場が明るくなったら、それで全部終わり。感動して、ちょっとだけ本気で泣いても、それだけだ。
「映画の影響で殺人が起きたらどうする」なんて考える人達の心配がバカバカしいのと同じぐらいの強さで、言えること。「この映画の影響で世の中が良くなったりはしない。悪人が減ったりもしない」。悲しいけど、これは本当のことだ。
それでも、希望がまったくないわけじゃない。この映画を監督し脚本も書いたトロイ・ダフィー。この脚本は、彼が25歳の時にバーテンをしながら書いたものだという。ダフィーは、あるインタビューでこんな趣旨の発言をしている。「社会に本気でウェーブを起こそうと思った。誰かが悪人を退治してくれないかと、いつも思っていた。でも、武器じゃなくてペンと映画でそれを実行した」。
この発言にヒントがある。希望がある。映画では何も世界は変わらない。でも、どうしようもない世界をバーテンとして見つめていた男が、こんな凄い映画を作った。そして、彼の映画は、娯楽として面白いってだけじゃなくて、賛否両論を巻き起こした。現実の世界に対する、本物の武器となったのだ。
映画を観る。音楽を聴く。ゲームする。なんでもいい。凄く楽しいよね。それで世界は変わらない。でも、それらを体験することで、個人が変わったり、何かまともなことを出来る可能性が、まだ娯楽と呼ばれるモノの中には宿っていると僕は思う。
消費されるだけの娯楽から、そんな何かを手に入れたい。銃やナイフじゃなくて、ちゃんとした武器を手にして、どうしようもない世界に向き合えたら、本当に素敵じゃないか。自分自身はとっても非力だけど、娯楽の中にちゃんとした武器のようなものが宿っている。それは絶対に神様なんかじゃないけれど、その存在を強く感じてるし、信じてる。
| いつも感想のメールありがとうございます。次回は『ペイ・フォワード』を題材に、映画とどうしようもない世界の関係について、また書いてみようと思っています。どんな感想でもいいので「ここ」まで送ってください。では、また。来週の水曜日に。 |
週刊ファミ通編集部:国領雄二郎
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