ファミ通.com ENTERTAINMENT
CONTENTS
GAME ENTERTAINMENT
SHOPPING enterbrain
国領雄二郎の明日死ぬならこの1本
第34回 リトル・ダンサー
2001年2月7日
文=国領雄二郎(週刊ファミ通編集部デスク)
週刊ファミ通ではクロスレビュアーとしてもおなじみ

週刊ファミ通デスク・国領雄二郎が、毎週1本劇場公開中の映画を題材に、その作品の魅力や、僕たちの暮らす世界について語り尽くすコラム!

●ダンスにすべてを捧げた少年の物語

DATA
リトル・ダンサー
■監督/スティーヴン・ダルドリー ■出演/ジェイミー・ベル、ゲアリー・ルイス ■配給/日本ヘラルド ■上映時間/上映時間1時間51分
■STORY 寂れた炭坑の町で暮らす11歳のビリー。父の勧めでボクシングを習っているが、本当ははダンサーになることを夢見ていたのだ。
 今回はイギリス映画の『リトル・ダンサー』。ダンスにすべてを捧げる少年を描いたこの作品を、今週もただの言葉で刻みます。

 時は1984年。イングランドの北部の炭坑の町。町で暮らす男たちは、ほとんど炭坑夫。父親が炭坑夫なら、息子の就職口も当然のごとくあくまでも炭坑。それ以上もそれ以下もない。それしかないのだ。町の男たちも、炭坑で石炭を掘るような人々だから、みんなタフである。子供にさせる習い事はレスリングかフットボールがボクシング。主人公のビリーも、厳格というか、頑固な父親に育てられ、ボクシング教室に通っている。

 そんな父親も、現在は炭坑夫のストライキで失業中。酒を飲み酔っ払う。息子に当たる。そんでもって寂れていく炭坑町で、むなしく賃金引き上げを要求し続けている。はっきり言って、町のムードも、家庭環境も最悪だ。誰もが貧しくて、心もちょっとすさんでいる。おまけにイングランドの冬はとっても寒い。救いはどこにもない。まさにクルーエル・ワールド。

 そんな環境で育つビリーは、父に叱られ、兄にうざったがられ、ボケたおばあちゃんの世話をする。母親は何年か前に死んでしまった。ここらへんの描きかたは、いかにも典型的な「悲惨な境遇で健気に生きる少年」といった感じで涙を誘う。でも、これだけだったら、この映画は安っぽい感動モノにしかなり得なかっただろう。

 不幸な境遇の少年が、必死で努力してサクセスを掴む。それはそれで感動的だし、そういうスタイルだけで、多くの人の共感を呼ぶ物語を作ることは簡単だ。でも、ビリーのダンスは、そんな地点を軽く飛び越えている。

 ボクシングを習いながらも、ダンスのような軽やかなステップを踏むビリー。やがて彼は貧しい父親が工面してくれるボクシングのレッスン料を内緒でバレエの先生に払い、ダンスを習い始める。そこには何の悲壮感もない。貧しい境遇から抜け出すためでもない。つらい現実を忘れるためでもない。ただ、バレエが、ダンスが、好きだから踊るのだ。

 踊ることが貧困から抜け出すための手段として描かれていたら、本当の感動は生まれなかっただろう。「ただ踊る」ということに、ひたすら真剣に取り組むビリーの姿が、僕たちを感動させるのだ。

 彼の才能を知った町の人々は、ビリーにバレエ学校の入学試験を受けさせるためのカンパをはじめる。強気でストライキを続けていた父親も、彼の才能を伸ばすため、労働者たちの裏切り者となり、スト破りまで決意する。それでも、ビリーは感動して「僕みんなのために頑張るよ!」なんて言わない。バレエ学校のテスト中に緊張のあまり「もう辞めて帰ってもいい?」などと父親に言い出す始末だ。

 これは町のみんなの善意や、父親の愛情に対する不誠実な態度だろうか?  僕は決してそうは思わない。そういった周囲の期待や自分の貧しい環境と関係ないところで、ただ「踊る」という行為に向かっていったからこそ、ビリーの才能は開花し、彼のダンスは僕たちの瞳に美しく映るのではないだろうか。

 悪い境遇をバネに立派に成長し、才能を伸ばしていくのは、もちろん素敵なことだ。でも、残酷なようだけど、本当の才能っていうものは、そういったこととはまったく関係ないような気がする。ただその行為に向かう時の誠実さ、あとはその人が本来持っている能力によって伸びていくのではないだろうか。

 11歳のビリーはこんなことを劇中で言う。「踊り出すと何もかもすべてが消える。何もかも自分が変わって、鳥のような、電気のような存在になってしまう」。

 ビリー本人は無自覚かもしれないが、この言葉こそ、ビリーがダンスに向かう理由のすべてのような気がする。貧乏なのに頑張ったから感動するんじゃない。塞ぎ込んで暗くなった町の大人たちに希望を与えたから感動するのでもない。得られる結果ではなく、踊るという行為そのものに、ビリーが全てを捧げてるから、ビリーのダンスを見た町の人々や、僕らは感動するのだ。

 ちっぽけな自分の全存在を踊ることに捧げるビリー。そんな彼の激しいダンスを、ずっと見ていたいと思った。11歳のちっぽけな少年が、自分のことを「すべてが消える。電気のようになってしまう」なんて言う。そんなギリギリの感覚、これまでの人生で僕たちは味わったことあるんだろうか?

 多分、まだ僕にはそんな凄い経験はない。まったく自信ない。だったら、僕たちはもっと真剣に何かに向かわなければならない。何の理由付けも、言い訳もなく、ただするべきことに向き合うのだ。

 音楽でも文学でもダンスでも仕事でもスポーツでも、何に対しても言えることだと思うけど、それに打ち込むことや自分を捧げることに関して、余計な理由付けはもうやめる。何百もの言い訳や、くだらない嘘。もしくは、どんな深刻な事情があろうと、そんなものは、もう全然関係ないんだ。全部抱えたまんまで、するべきことに、すべて捧げちゃうしかない。

 真剣に取り組むこと。向き合う相手でもいい。そいつに向かってちょっと気取って、とっても綺麗な花束を捧げようと思ってた。でも、よく考えたら手には何も持ってなかったんだ。持ってたとしても、それはまったく輝いてない造花だったりして。それでもかまわない。多分、真剣に向き合おうとしてる自分が、花束みたいなもんだから。

ダンスでも何でも、肉体を使った表現を見せられると、こっちまで元気になってしまいます。このコラムは文字ですが、ちょっとでも読んでくれた人を元気にする装置のようなものになれたら……。そんなことを感じてます。どんな感想でもかまわないので「ここ」まで送ってください。では、また。来週の水曜日に。

週刊ファミ通編集部:国領雄二郎

※「国領雄二郎の明日死ぬならこの1本」のバックナンバーはこちら

エンターテイメントTOPに戻る


enterbrain FAMITSU.com (C)1999-2001 ENTERBRAIN, INC. ファミ通.comに使用されている画像は全て著作権管理ソフトで保護されています。無断で転載、加工などを行った場合、処罰の対象となることもございます。