ファミ通.com ENTERTAINMENT
CONTENTS
GAME ENTERTAINMENT
SHOPPING enterbrain
国領雄二郎の明日死ぬならこの1本
第28回 バトル・ロワイアル
2000年12月20日
文=国領雄二郎(週刊ファミ通編集部デスク)
週刊ファミ通ではクロスレビュアーとしてもおなじみ

週刊ファミ通デスク・国領雄二郎が、毎週1本劇場公開中の映画を題材に、その作品の魅力や、僕たちの暮らす世界について語り尽くすコラム!

●極限状態で描かれる本当に大切なこととは?

DATA
バトル・ロワイアル
■監督/深作欣ニ ■出演/藤原竜也、前田亜季 ■配給/東映 ■上映時間/1時間53分

■STORY 近未来の日本。新世紀教育改革法により、全国から抽選された中学3年生1クラスが、最後のひとりになるまで殺し合うよう、強制されるのだった。
 今回はその描写ばかりが話題になりがちな『バトル・ロワイアル』を、ちゃんとただの言葉で刻みます。

 この映画、そして小説に関して何かと世間で騒がれている。残酷、残虐、模倣犯罪を誘発する、などなと。国会議員までもが、「こんな映画(小説)」は子供に相応しくない。法規制するべき」なんて言ってる。実際にこの映画はレイティングによって15歳以下の子供達は観れないという事態に陥ってしまった。

 人の考え方はそれぞれ違う。だから、そういう意見や判断があるのは、ある意味では、仕方がないことかもしれない。でも、そんな意見の人達は、本当に原作をちゃんと読んだのだろうか? 映画を観たのだろうか? これは表層的な意味ではない。文字通り「ちゃんと」読んだり観たりしたのだろうか? 僕には、とてもそうは思えないのだ。

 まず、この映画を語る前に、やはり原作に触れなければならない。ちょっとでも本好きの人なら、この小説はあのスティーヴン・キングがリチャード・バックマン名義で発表した『死のロング・ウォーク』をサンプリングしているということがわかる。『死のロング・ウォーク』は、近未来のアメリカで全米から無作為に選ばれた10代の少年が死の競歩大会に参加するという話だ。この大会には様々な細かいルールがあるのだが、簡単に言うと、遅い選手から射殺され、最後のひとりが生き残るまで競歩大会が続けられるというもの。その残酷かつ理不尽な大会のなかで、少年達は互いに励まし合い、友情を深め合いながら、デスゲームを続ける。まんま『バトル・ロワイアル』である。

 僕が言いたいのはこの2作品が似ているなんてことではない。『バトル・ロワイアル』のような「デスゲーム小説」というのは、アクション小説やサスペンス小説、そしてSF小説内のワンジャンルとして、国の内外を問わず古くからある古典的なものに過ぎないのだということ。そんなもん、とりたてて批判するほどのものではない。そんなことよりも、もっと大切なのは、デスゲーム小説の体裁をとりながら、その中で何が描かれているのかということだ。

 この小説の冒頭では、佐野元春の『愛することってむずかしい』が効果的に引用されている。内容も娯楽物としてデスゲーム小説の体裁をとりながら、信じること、愛することの難しさ=難しいゆえ、それが大切である、ということがちゃんと書かれている。感動すら覚える。刺激的なコピーで埋め尽くされた本の帯や、宣伝文句から判断すれば、中学生が残酷に殺し合うだけの小説と思われがちだが、ちゃんと読めば、それだけではないことが、誰にだってわかるはずだ。

 そして、そんな原作を映画化した『バトル・ロワイアル』は、より内包された真のテーマを、ナイフのごとく先鋭化させた作品となっている。

 映像の上っ面だけ観ると、やはりこの作品は過激な暴力描写に満ちている。でも、その表現もハリウッド映画ではごく普通に見られるレベルのものばかりだ。確かに、切られた首からは血しぶきが上がり、拳銃で撃たれた身体はボロ雑巾のように崩れ落ちる。先生は生徒を殺すし、クラスメイトも殺し合う。「中学生の殺し合いが問題だ」という意見もあるが、もともと残酷の極みである殺人という行為に、大人も中学生もない。映画という枠組みの中では、シュワルツェネッガーが、バタバタと人を殺しまくるのと、なんら変わりない。

 人殺しはいけない、そんなこと誰だってわかってる。でも、殺人が絶対にこの世界からなくならないなんてことも、僕たちは知っている。こんな残酷なことを、子供が真似したら大変だ。確かに。でも、残酷な漫画、小説、映画、ゲーム、そういったものが、この世界から消えても、残酷な殺人は絶対になくならない。そのことだって、わかってる。わかってるから仕方がないというのではない。わかってるからこそ、そんな残酷な世界で、何をするか、何ができるのかを考えること。それが大切なのだ。そういった問題から目を背けることなく、考えることが大切なのだ。

 まったくもって、この世界はやっかいだ。真面目に愛や友情、命の大切さを、説いたり、考えたりすると、大抵は笑われる。「何気取って格好つけてるんだ」って言われるのがオチだ。それこそ、残酷なことじゃないか。逆に、『バトル・ロワイアル』のように、そういった、命のような大切なものを一見踏みにじったかのような逆説的スタイルをとると、本質は語られず「残酷だ。悪い影響がある」って言葉だけで処理される。本当にやっかいな世界だ。

 この映画で描かれた残酷な殺し合いの過程で、登場人物たちの何人かは、確実に命の大切さ、友情の大切さ、愛することの大切さを知る。自分のことより友達を心配する生徒たち。愛する人にひと目逢うためだけに、走りつづける少年。これを価値ある行為と感じない人はいないだろ? 彼らは人の殺し方なんかじゃなくて、もっと大切なことを知っている。もちろん観ている僕たちも、それを知る。それだけは、はっきりしている。そして、こんなやっかい世界のなかでも、それを知るのは、絶対に価値あることだ。

 笑われたって、格好つけてると思われたって、それを知ってしまったからには、どうしようもない。さらに一歩踏み込んで、自分の中でその大切なことを活かしていくしかない。映画の中で描かれている極限状態。その状況だからこそ知った大切なこと。それを映画の中だけで留めていたら、「こんな映画、残酷で悪影響を与えるだけ」なんて、言ってる人たちの勝ちだ。そんなんじゃダメだ。

 映画のような、生きるか死ぬかの極限状態の場合だけじゃない。みんなと過ごす教室や職場。知らない人ばっかりの街の中。静かな風が吹いてるベランダ。真夜中、冷蔵庫の前。ひとりぼっちのベットの中。いつでも、どこでも、みんな同じだ。命も、友情も、そんでもって愛だって、みんな大切だ。本当に当たり前すぎる話だ。こうやって書くと、ちょっと恥ずかしい気持ちにもなるけど、本当に当たり前に大切なものなんだからしょうがない。極限状態に限らず、どんな時、どんな場所でもそれは変わらない。

 それだけ、本当にそれだけちゃんとわかってたらいい。もちろん佐野元春が「愛することってむずかしい」なんて言うまでもなく、それをちゃんと理解して、実践するのはとても困難なことなのだけど。

 極限状態の殺し合いをモチーフに、そういった大切なものを描いた『バトル・ロワイアル』。これは、もちろんただのフィクションだ。でも、この作品に触れた人が、そういった大切なものを、「極限状態」から「自分のいる場所、この世界」に引き寄せて、考えたり、感じたりするきっかけになるのだとしたら、『バトル・ロワイアル』は、「残酷映画」ではなく、「意味あるフィクション」として記憶されるだろう。もちろん、僕にとっての『バトル・ロワイアル』はそうだった。だって、『バトル・ロワイアル』ほどじゃないけど、このやっかいな世界にいる僕たちだって、いつだってギリギリなんだから。

 だからこそ、僕はちゃんと言おう。僕たちのいるこの場所は、うるさい外野も多くて、とってもやっかいな世界だ。ここで、頑張るのはとても大変なことだ。でも、大切なことをちゃんとわかれば、とっても素晴らしい世界でもあるのだ。愛や友情、命。こういった言葉にするのが難しいものは、いつだって大切で、それをちゃんとわかろうとするのは、とっても素敵なことだ。とても強く、僕はそう感じる。

いつも感想のメールありがとうございます。どんな意見でもかまわないので「ここ」までメールしてください。出来たらお返事を書きたいです。では、また。来週の水曜日に!

週刊ファミ通編集部:国領雄二郎

※「国領雄二郎の明日死ぬならこの1本」のバックナンバーはこちら

エンターテイメントTOPに戻る


enterbrain FAMITSU.com (C)2000 ENTERBRAIN, INC. ファミ通.comに使用されている画像は全て著作権管理ソフトで保護されています。無断で転載、加工などを行った場合、処罰の対象となることもございます。