豊泉三兄弟
アーケードーゲーム好きの週刊ファミ通編集者。本誌では、はいぱあ新着通信や対戦格闘ゲームの攻略記事を担当。『スパIV』では、ガイ、ブランカを使用中。おもにPS3版で通信対戦やってます。タグは【toyo_3kyoudai】です。マッチングした方はお手柔らかに!

スーパーストリートファイターIV 攻略ブログ

【インタビュー】プロゲーマー梅原氏に直撃インタビュー(第1回)

2010/6/14

プロゲーマー梅原氏に直撃インタビュー

 

 海外メーカー“Mad Catz”とスポンサー契約を交わした梅原大吾氏。じつは僕、梅原氏と同じゲームセンターに通っていた時期がありまして、毎日ボコボコにされていた思い出が……。そんな話は置いといて、今回はプロゲーマーになった梅原氏に、週刊ファミ通『スーパーストリートファイターIV』(以下、『スパIV』)攻略班のブンブン丸、北口徒歩2分とともにインタビューを敢行! 『スパIV』についてはもちろん、梅原氏がこれまで歩んできた格闘ゲームの歴史について伺ったぞ。インタビューの内容は、全4回のわたってお届けする。なお、梅原氏と『スパIV』攻略班の対戦動画も掲載予定なので、お楽しみに!

 

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梅原 大吾(うめはら だいご)
Profile
1981年生まれ、青森県出身。カプコン公式大会を始め、数々の格闘ゲーム大会で輝かしい戦歴を持つ。今年4月、アメリカのゲーム周辺機器メーカー、マッドキャッツ社とプロ契約を結んだ。海外では“The Beast”の名で知られる。

おもな大会優勝歴
1997年  ゲーメスト杯『ヴァンパイア セイヴァー』全国大会優勝
1998年  『ストリートファイターZERO3』全国大会優勝
2000年  『CAPCOM VS. SNK MILLENNIUM FIGHT 2000』全国大会優勝
2009年  Evolution2009『ストリートファイターIV』部門 優勝


 

●初めての格闘ゲームは『餓狼伝説』!?

 

ブンブン丸 じゃあ、まずは初めてプレイした格闘ゲームを教えてよ。

 

梅原大吾氏(以下、梅原 SNKの『餓狼伝説』ですね。

 

豊泉 カプコンじゃない(笑)

 

梅原 いや、本当は『ストリートファイターII』(以下、『ストII』)をやりたかったんですよ。当時、駄菓子屋のゲームセンターでプレイしていたんですが、『ストII』は画面が見えないくらい行列ができちゃってて、なかなか遊べなかったんです。「あのゲームやりたいなぁ」て見ていました。『ストII』が出たころは小学生だったので、中高生がたくさん並んでいるところに入っていくのは少し抵抗がありました。それで別のゲームで遊ぼうと思ったら、似たような格闘ゲームを見つけたんですよ。

 

ブンブン丸 うんうん。

 

梅原 それが『餓狼伝説』でした。(笑)。一応コレも闘ってるからいいかって。

 

豊泉 初代『餓狼伝説』ですか?

 

梅原 はい。初代です。『ストII』のころでしたから。

 

ブンブン丸 たしか初代『餓狼伝説』って対戦できないヤツだよな?

 

梅原 そうですね。対戦はできませんでしたね。

 

豊泉 協力モードがありませんでしたっけ?

 

梅原 そうそう。そんなのがあった(笑)。

 

ブンブン丸 そのときは何歳くらい?

 

梅原 10歳くらいじゃないですかね? ちょうど『ストII』や『餓狼伝説』が出たころからゲームセンターに通い始めましたから。

 

北口 ちなみに、いまは何歳ですか?

 

梅原 2010年5月で、29歳になりました。

 

豊泉 あ、僕と1歳違いだ。僕は2010年10月で30歳になるんですよ。

 

梅原 へー。そうなんですか。オレらくらいの年代がいちばん格闘ゲームで遊んできた年代なのかも知れないですね。

 

ブンブン丸 じゃあ、格闘ゲームで対戦し始めたのは『ストIIダッシュ』くらいから?

 

梅原 はい。初代『ストII』のときは、そんなに対戦はしていませんでしたね。ただ、プレイ待ちの行列がすごかったんで、並ぶのがめんどうじゃないですか。小さいころなんで、遅い時間までゲームセンターにいられないし。だから「この人なら勝てそうかな?」ていう人がプレイしているときは「入っていいですか?」と、ひと言聞いて「いいですよ」て言われたら隣どうし並んで対戦しましたね。その程度での対戦はしていました。でも、やっぱり人がプレイしているところに乱入するのは気が引けましたよ。

 

ブンブン丸 そのころは、まだ対戦目的で乱入してたわけじゃなかったんだな。

 

梅原 はい。早く遊びたいからでしたね(笑)。あのころはまだ勝ったり負けたりでしたけど、対戦自体は好きでしたよ。だから「対戦したいなぁ」とは思っていたけど、必殺技もろくに出せなかったのでひとり用で遊びたいという時期でしたね。『ストIIダッシュ』が稼動してからゲームセンターに現在の対戦台が普及して、それからはひとり用ではなく対戦ばかりやっていました。

 

ブンブン丸 『ストIIダッシュ』以降にプレイしたゲームの流れってわかる?

 

梅原 子どものころはいろいろやっていましたね。順番は覚えていませんけど、最初に『餓狼伝説』をやって、つぎに初代『ストII』をプレイして……。『ストII』シリーズは全部やり込みましたね。『ストII』シリーズをメインに、『ワールドヒーローズ』、『ザ・キング・オブ・ファイターズ』、『ファイターズヒストリー』もやった。『餓狼伝説』は『スペシャル』までは結構プレイしていました。あれ? 『餓狼伝説3』というゲームも出てましたよね?

 

豊泉 はい。ありましたよ。たしか『餓狼伝説スペシャル』のつぎですね。

 

梅原 ああ、じゃあ『餓狼伝説3』も少しだけやりました。『サムライスピリッツ』は、初代と『真・サムライスピリッツ』をやりましたね。あとは、本当にちょっとですけど『豪血寺一族』もやりましたよ(笑)。

 

一同 はははは(笑)。

 

梅原 一応『龍虎の拳』も(笑)。

 

豊泉 あのころってそういう時期でしたよね。格闘ゲームの新作が出たらとりあえずやってみるっていう。

 

 

●ヤンキーの脅しに屈するわけにはいかなかった

 

ブンブン丸 それでドンドン格闘ゲームにのめり込んでいったんだね。学校だと家庭用ゲームで遊ぶ人が多かったと思うけど、ウメはそんなに家庭用ゲームで遊ぼうとは思わなかったの?

 

梅原 いや、もともとファミコンやスーパーファミコンは好きでやっていましたよ。いまは家庭用ゲームもアーケードゲームも変わらないけど、当時は家庭用ゲームよりもアーケードゲームのほうがすごかったじゃないですか。だから、だんだんアーケードゲームにしか興味がなくなっていってしまいましたね。といっても『ドラゴンクエスト』なんかの新作が出ればやりましたけど。

 

豊泉 梅原君が家庭用ゲームって意外。

 

梅原 それ以外はアーケードゲームしかプレイしなくなりましたね。一応、学校にもゲームセンターにいっしょに行く友人もいたんですよ。でも、中学生くらいの「格闘ゲームが好き」というのはゲームセンターに行って4、5回プレイするくらいですからね。まわりと比べて、明らかに俺だけやる気のレベルが違った(笑)。

 

ブンブン丸 やる気勢だもんな。

 

梅原 そう。それで「コレはひとりで行ったほうがいいよな」と思い始めて、それからはひとりでゲームセンターに行くようになりましたね。

 

ブンブン丸 じゃあ、学校の友だちとはあまりゲームはやらなくなった?

 

梅原 そうですね。いっしょにゲームはやらなくなりました。中学2年生くらいのころですかね。だんだんゲームセンター仲間と遊ぶようになりましたね。

 

ブンブン丸 地元はどこだったの?

 

梅原 東京都の足立区です。

 

ブンブン丸 危なそうだね。

 

豊泉 え、そうなんですか? 都民じゃないから東京の事情わからないんですけど。

 

梅原 足立区は実際に危なかったですよ。

 

ブンブン丸 偏見でもなんでもないよね。本当に危なかったんだよ、あのあたりは。

 

梅原 しかも俺は、当時いちばん悪い中学だったんですよ。

 

ブンブン丸 それって便利だよね?

 

梅原 そうそう。便利なんですよ(笑)。中学1年生当時、対戦相手は駅前に行かないといなかったので、少し遠いんですけど西新井のゲームセンターまで行ってたんです。西新井も危ないんで対戦していると、ヤンキーがゲーム筐体をバンバン叩くんですね。でも、「ヤンキーの脅しに屈するわけにはいかなかった」。だって「お金がないから負けるわけにいかない」(笑)。

 

一同 はははは(笑)。

 

梅原 脅されても知らんぷりしてると、ヤンキーがこっちに来るんですよ。「空気読めよ」みたいな感じで。顔なんかもう触れちゃうくらい近づけられて(笑)。

 

ブンブン丸 そりゃヤンキーだからくるよね。

 

豊泉 こえーー。

 

梅原 それで、「お前どこなんだ?」てヤンキーに聞かれるんですよ。でもこれって大抵パターンなんですよね。こういうときは印籠を見せる感じで「●●中だよ」て言えばだいたい終わるんです。だからそのヤンキーに「●●中です」て言ったら、ヤンキーは「あぁ、そっか……ずいぶん遠くから来てるね」みたいなこと言って、メダルゲームのほうとかに行っちゃうんですよ(笑)。

 

一同 はははは(笑)。

 

梅原 そういう意味では本当に便利でしたね。足立区を出なければ、その手のヤンキーからは身を守れましたから。

 

ブンブン丸 そのころのゲームセンターってよくケンカがあったもんな。

 

梅原 ありましたね。

 

豊泉 僕は田舎だったんですけど、当時はゲームセンター内で灰皿やイスが飛び交ってましたよ。

 

ブンブン丸 よくあったね。

 

豊泉 ヤンキーとやるときは、うまい具合に接待しつつ対戦してましたね。

 

ブンブン丸 それが全国の格闘ゲーマーが通る道なんだよ。

 

梅原 いや、でも、俺や豊泉さんとか、この世代までだと思いますよ。俺らの世代から下は急にヤンキーが減りましたからね。

 

ブンブン丸 たしかに減ったね。

 

梅原 いまはもうゲームセンターからそういう危ない人がいなくなっちゃったからなぁ。いま思い返すと、あの時期のゲームセンターはスリルがあっておもしろかった。

 

 

●きっかけは間違いなく『ヴァンパイア ハンター』

 

ブンブン丸 話がそれちゃったけど、格闘ゲームはひと通りやってきた感じなんだね。

 

梅原 はい。3D格闘ゲームだけやってないですね。

 

ブンブン丸 一時期、少しだけ『バーチャファイター』をやっていたという噂を聞いたことがあったんだけど?

 

梅原 う〜ん、はっきりとは覚えてないんですけど、『バーチャファイター2.1』かな? たぶん。当時『バーチャファイター』って1プレイ100円だったと思うんですけど、俺がよく行ってた新宿の“モア”というゲームセンターには1プレイ50円で置いてあったんですよ。たぶん『3』が出る直前で安くしてあったんだと思うんですね。ちょうど、2D格闘ゲームでやり込みたいタイトルがなかったので、「そろそろ『バーチャファイター』やってみようかなぁ」と思って一週間くらいやってみたことはありますよ。でも、たしかカプコンから『カプコンVS. SNK』が出ちゃったんで、結局やりませんでしたけど。当時としては、2D格闘ゲームと3D格闘ゲームがほぼ同時に出れば、2D格闘ゲームのほうをやり込んでいたんで。

 

ブンブン丸 なるほど。『鉄拳』はまったくプレイしてない?

 

梅原 そうですね、『鉄拳』はまったく触っていません。

 

豊泉 完全に2D格闘ゲームなんですね。

 

梅原 はい。結果としてそうなりました。

 

ブンブン丸 2D格闘ゲームは『ギルティギア』もやってるし、ほとんどやってるよね。「自分が格闘ゲームで強くなってきたな」と実感したのはいつころから?

 

梅原 『ヴァンパイア ハンター』ですね。当時、『ヴァンパイア ハンター』が流行っていた“ビッキーズ”というゲームセンターに通っていたんですけど、13歳のガキがそんなゲームセンターにいたもんだから結構目立ったと思いますよ。強さ的には、そのゲームセンターでちょうど真ん中くらいだったんですけどね。

 

豊泉 ビッキーズかぁなつかしい。『ゲーメスト』(当時のアーケード専門誌)で紹介されてたなぁ。

 

梅原 話が前後しちゃいますけど、ビッキーズは、『ストII』の対戦レベルも高かったんで、そこで『ストII』の対戦を見て「あ、対戦てこういうふうにやるんだ」ていうのを学びました。その後に『ヴァンパイア ハンター』が稼動して、自分ではビッキーズの『ストII』対戦から学んだことをそのまま実践しただけなんですけど……すごく勝てちゃって。いま思うと、当時は『ストII』から派生した格闘ゲームって対戦レベルが低かったんですよ。『ストII』で勝てない人たちがほかの格闘ゲームに移る流れでしたから。『ヴァンパイア』もそういう面があったんです。当時の俺は『ストII』で真ん中くらいの実力だったんですけど、『ヴァンパイア ハンター』ではまったく負けなかった。だから、「『ヴァンパイア ハンター』の対戦レベルは低いんだろうな」と思いながらプレイしていたんですけど、まったく負けなかったから自信もついたし、勝ちかたもわかってきましたね。しばらく『ヴァンパイア ハンター』をプレイしたあとに『ストII』に戻ったら結構勝てるようになってたんで、きっかけは間違いなく『ヴァンパイアハンター』ですね。

 

ブンブン丸 『ヴァンパイア』シリーズの全国大会で優勝したのって『ヴァンパイア セイヴァー』だっけ?

 

梅原 はい。でもじつは『ヴァンパイア ハンター』も出てるんです(笑)。

 

ブンブン丸 あ、出てたんだ。

 

梅原 はい。しかも俺が大会の選手宣誓をやってるんですよ(笑)。

 

北口 本当ですか!?

 

梅原 自信があったから「出たいなぁ」と思ってたけど、当時の全国大会の参加者はハガキ抽選だったじゃないですか。だから出たくても出られない……。そしたら、○ゲ屋(当時のアーケード専門誌『ゲーメスト』の直営店)の大会で上位入賞した人は無条件で全国大会に出られるってことだったんで、俺はその大会で優勝してなんとか出られることになったんです。それで、当時の大会主催者側から「○ゲ屋の代表ということで選手宣誓をお願いします」と頼まれて……。当時そういう経験をしたことがなかったから「そっか、ちょっと、じゃあやってみるか」という感じで受けたんです。そんなこともあって全国大会に出たのは『ヴァンパイアハンター』が初めてですね。

 

豊泉 ちなみに、『ヴァンパイア ハンター』では誰を使っていたんですか?

 

梅原 『ヴァンパイア ハンター』のときは……パイロン。

 

豊泉 当時、秋葉原に『ヴァンパイア ハンター』のすごい強い奴がいるっていう噂を聞いたことがあるんですよ。

 

梅原 『ヴァンパイア ハンター』のころですか?

 

豊泉 はい。それで僕は中学生ながら、その強い奴ってのを見たくて埼玉の田舎から秋葉原まで行ったんですね。そしたらドノヴァンを使って70連勝くらいしてる奴がいたんですよ(笑)。

 

梅原 それ、間違いなく俺ですよ。

 

一同 はははは(笑)。

 

豊泉 やっぱり(笑)。だからずっと、「あの人はドノヴァンがメインキャラクターなんだろう」て思っていました。ちなみに、ドノヴァンは持ちキャラの中でどのくらいの位置なんですか?

 

梅原 えーっと、強さだと持ちキャラで7、8番目くらいですね。もちろんいちばん強いのはパイロンです。

 

豊泉 すげー下のほう(笑)。当時はインターネットがなかったから、僕みたいな田舎の人間は噂を聞いて東京に出ては梅原君のプレイを見て……それを真似するだけで地元で勝てるみたいな感じでした。

 

北口 そういう時代でしたねぇ。

 

豊泉 いまみたいに情報がないから、強い奴がいるゲームセンターまで見に行かないとダメだったよね。

 

梅原 ありましたねぇ〜。うん。

 

ブンブン丸 そういう情報は、知ったもん勝ちだったからな。

 

豊泉 メインはパイロンだったんですね。見たことなかったなぁ。

 

梅原 一応パイロンです。でもまぁ、いろいろなキャラクターを使っていたから、パイロンを使うことは滅多になかったですね。

 

豊泉 250何連勝っていう噂もありましたよ。

 

梅原 ええ。たぶん、286とかですね。

 

ブンブン丸 ウメのパイロンは、都内だと噂にはなってたよね?

 

梅原 たぶん、そこそこ知られてたとは思いますよ。当時はまだ中学生だったんで話題性はあったんじゃないかな。

 

ブンブン丸 じゃあ、完全に全国区になったのは『ヴァンパイア セイヴァー』のビシャモンかな?

 

梅原 だと思いますね。

 

ブンブン丸 当時、『ヴァンパイア セイヴァー』をプレイしていた友人から「梅原っていうすごい強いヤツがいる」という話を聞いて、ウメがいるゲームセンターまで行って『ストZERO3』で対戦したことあるんだよね。コーディーで。

 

梅原 あぁー覚えてます。たしか、近くにいた友人に小声で「これ、ブンブン丸だよ」て言われて「あぁ、そうなんだ」って。

 

一同 はははは(笑)。

 

梅原 『バーチャーファイター』のプレイヤーだけど『ストZERO3』もやってるんだと思って。でもコーディーは弱いキャラクターだから、「あ、これはキャラクター選択を間違えてるな」とか思いながら対戦したのを覚えてますね(笑)。

 

 

●やり込みの密度は『ストZERO3』がいちばん

 

ブンブン丸 『ストZERO3』で使っていたのはVイズムのゴウキだっけ?

 

梅原 はい。全国大会はそれで出ましたね。『ストZERO3』は、稼動前から全国大会開催の告知がされていて、しかも日米対決やテレビ放映もあると。それまでの格闘ゲームって稼動前から盛り上げてることはなかったから、「これはもう全国の格闘ゲーム好きはみんなやるだろう」と勝手に思ってたんですよ。ゲームの良し悪しは別として、こんなに話題性のあるゲームをやらないわけはないな、と。ちょうど夏休みだったんでものすごくやり込んだんですけど、怖くてしょうがなかったですね。「オレよりやってるヤツがいたらどうしよう」みたいな。

 

一同 はははは(笑)。

 

ブンブン丸 わかるわかる。すっげーわかるわ。

 

梅原 もう「飯を食いに行く時間ももったいない」みたいな。

 

豊泉 見えない敵と闘ってる感じですよね。

 

梅原 そうそうそう。当時、俺が見渡す限りでは「都内で自分よりやってる奴はいなかった」けど、もしかしたら……。

 

北口 群馬の山奥からすげーやってる奴が来たらとか?

 

梅原 そうそうそうそう。

 

一同 はははは(笑)。

 

梅原 ひとりでコツコツとプレイしててとか。

 

ブンブン丸 山奥に篭ってるヤツとかね。

 

梅原 そう、「山奥に篭ってやり込んでるヤバイ奴がいたらどうしよう」みたいな(笑)。だからなるべく時間が許す限り『ストZERO3』をプレイしていましたね。使用キャラクターも絶対にいちばん強いキャラクターじゃないとダメだと思って、「どれが強いのかなぁ」って探りながらプレイしていました。

 

ブンブン丸 それまでは強いキャラクターにこだわらずに遊んでたのかな?

 

梅原 「このキャラクターがいいな」というのは「強いというよりも使っておもしろい」というもので選んでいました。このキャラクターが最強だろうっていうのはすぐわかるじゃないですか。たとえば、『ヴァンパイア セイヴァー』ではサスカッチやキュービーが強いというのは稼動してすぐにわかったんですけど、「これはあんまりおもしろくないなぁ」というのがあって使いませんでしたね。強いのはわかるんですけど……。よくいっしょに対戦する友人たちもそういうのが好きではない人が多かったんでね。やっぱりまわりの人にある程度合わせるじゃないですか。だから『ヴァンパイア セイヴァー』では、「ビシャモンでいいや」て感じだったんですよ。

 

北口 なるほど。強いというだけじゃダメなんですね。

 

梅原 はい。だけど『ストZERO3』は、親しい人たちがあまりプレイしていなかったので、そうなると知らない人たちに対して自分が遠慮することもないし、知らない人との共通の価値は“強いか弱いか”だけだと思っていたんですよ。知り合いどうしなら、「その弱キャラで勝つのはすごいよ」というのもあるけど、知らない人にそんなこと期待しても無駄だと思って……。それでとにかく連勝できるキャラクターを選びました。いま思うと『ストZERO3』だけかもしれないですね。「どれだー! 最強キャラー!!」て感じで使用キャラクターを探して、プレイスタイルもなるべく負けないスタイルにしたのは。

 

豊泉 Vイズムのゴウキはいつごろから使われたんですか? 最初にZイズムのゴウキでプレイしていたのは見たことはあるんですけど。

 

梅原 そう。最初はZゴウキを使ってたんだ。ヌキ(格闘ゲームの天才として梅原氏と双璧をなすプレイヤー)と馬場デミ(『ヴァンパイア セイバー』で名を馳せたデミトリ使い)が使うさくらにぜんぜん勝てなかったんですね。ほかの人にはまったく負けないんだけど。でもそのふたりは全国大会に出るし、「このままのキャラクターじゃまずいなぁ」と思ってリュウを使い始めたんだ。そしたら、そのふたりに勝てるようになったんですよ。それで「リュウでもいいかなぁ」と思った時期もあったけど、まだ不安があってもっと強いキャラクターを探してたら、Vイズムのゴウキで強力なオリジナルコンボが見つかったんですよ。さっきもいいましたけど、当時はインターネットもないからオリジナルコンボをみんな知らない。「これはもらっただろう」と思いましたね(笑)。

 

豊泉 たしかに僕なんか地方だからぜんぜん知らないで大会に出てましたよ。

 

ブンブン丸 うちらは都内で近かったから「ゴウキのオリジナルコンボがすごい減る」という噂を聞いて「『ストZERO3』すげー盛り上がってるなぁ」て思ってたよ。

 

豊泉 僕は稼動初期に梅原くんを見に秋葉原に行ったら、Zイズムのゴウキを使っていたんで「このゲームはたぶんZイズムだ」みたいに思ってましたよ(笑)。

 

一同 はははは(笑)。

 

梅原 それはたぶん本当に稼動初期ですね(笑)。

 

豊泉 情報のない地方はそんなもんでした。

 

ブンブン丸 1回見ただけでなのにね。

 

北口 人生でいちばんやり込んだのは『ストZERO3』なんですか?

 

梅原 単純なプレイ時間で言うと『ストII』だと思うんですよ。長い期間プレイしていましたから。ただ、ある一定の期間で区切れば……『ストZERO3』ですね。

 

ブンブン丸 密度の濃さみたいなもん?

 

梅原 そうですね。やり込みの密度は『ストZERO3』がいちばん濃かったと思います。

 

umehara

 

 

第2回インタビュー記事は2010年6月15日掲載予定!

 

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