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A-POPの提唱者・金杉肇氏インタビュー!

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●A-POP提唱者・金杉 肇氏に聞く”A-POPとは?”

 毎年恒例となったアニメソングの祭典”アニメロサマーライブ”。同イベントの、2007年のタイトルは”アニメロサマーライブ2007 Generation-A”と銘打たれている。この”Generation-A”の”A”に含まれる”A-POP”という言葉を、皆さんはご存知だろうか? 今回は、このA-POPの提唱者である金杉 肇氏にインタビューを行ったぞ。イベントプランナーやゲームプロデュース、そして音楽プロデュースと、多岐に渡って活躍する金杉氏が、どのような経緯でA-POPを提唱したのか。そしてA-POPとは、いったい何なのか? そんな疑問に迫る!!

金杉 肇

金杉 肇

プランナー、ゲームプロデューサー、音楽家とさまざまな肩書きを持つ。F&C株式会社プロデューサーを経て、株式会社シャルラクプラス代表取締役に就任。Tyrell Laboratoryプロデューサーも務める。PC、セガサターンのゲームに主題歌を投入し、ゲーム主題歌ブームを先駆けとなる。メイド喫茶1号の”キュアメイドカフェ”オープンに参加。ゲームとアニメの主題歌を歌うガーリーロックバンド”Honey Bee”やA-POPを打ち出したスーパーコラボユニット”すいーつたんけんたい”のプロデュース、テレビアニメ『Canvas2〜虹色のスケッチ〜』、『すもももももも〜地上最強のヨメ〜』の音楽プロデュースなども手掛けている。

 

クラブDJからゲーム業界へ

 

金杉肇

 

――A-POPの提唱者として知られる金杉さんですが、もともとアニメ畑の方ではないんですよね。
金杉肇(以下、金杉) いえいえ、そんなに知られていないと思うので、まずは自己紹介からします。僕は、もともとDJなんですよ。
――え!? そうだったんですか!? てっきりゲーム業界で活躍されていたころの話になるものかと思っていました(笑)。
金杉 かなり昔の話で恐縮なんですけれど、クラブのプロデュースをしたり、DJをしたりという20代前半です(笑)。
――なぜ、その仕事を選ばれたのですか?
金杉 音楽が趣味で、音楽の仕事をしたいという気持ちが大きかったです。初めて買ったレコードは『デビルマンのテーマ』なんですけれど(笑)。DJするのに、アキバで機材を揃えたりしていました。のちにMISIAのプロデューサーとして名を馳せた佐々木潤というDJと、ファンキーウォーターゲットというヒップホップユニットを作って活動したり、ファンキーエイリアンという日本初のガールズラップユニットを結成してプロデュースを行ったり、そんなことを’80年代にしていました。まだ、クラブという言葉自体が一般的になるまえの、いわゆる黎明期です。
――その後、なぜゲームの世界へ踏み込んでいかれたのですか?
金杉 音楽が趣味で、映画が好きで、映画の世界へ入っていこうとも考えたのですが、映像と音楽という関係で言えば、ゲームもまた然りなわけで。映像と音楽の関係において、作品作りをしたいと強く思っていて、それにこれからのメディアであるし、新しいこともいろいろできるのではないか、と思ってゲームの世界へ足を踏み入れました。
 

ゲームにオープニング主題歌を!

 

金杉肇

 

――ゲーム業界に入ってからは、どのようなことをされていたんですか?
金杉 まず、コネを使わないで、ひとりで飛び込もうと思っていて、求人情報誌を見て就職をしました。入ってから気づいたのですが、飛び込んだ先がアダルトゲームを製作している会社だったんです。面接のときにも「アダルトゲームの会社だから。」と何度も言われ、「アダルトゲームって何だろうなぁ……チェスとか、将棋とか麻雀? いわゆるオヤジゲー?」などと思っていて(笑)。けっきょくのところ、それが美少女ゲームだったんですね。
――入ってみて、戸惑いみたいなものは?
金杉 ありましたね。めちゃめちゃ。そのとき初めて、こういう世界があることを知りました。会社にデュプリケート(※データのコピーやバックアップをすること)をしている部署があって、僕は最初その部署に回されました。アルバイトの子たちといっしょにやっていたんですけれども、作業の最中にモニターに衝撃的なものが映っていて。PC88のゲームでデジタル8色で描かれている、ピンク色の髪の毛をした全裸の女の子がいるんですよ。それを観て僕はビックリしまして、「これは何ですか?」と尋ねたところ、「自社の製品だ。」と、ふつうに返されたので、「なるほど。これがアダルトゲームか」と(笑)。その後2週間ほど、どうしようかと悩みはしたんですけれど、カルチャーショックの度合いがものすごく大きかったので、ひょっとすると僕が受けたインパクトを、僕と同様に知らない人に伝えていけばビックリするだろうし、企画次第でもっともっと、大きく広げていけるんじゃないか、という風に発想を転換しまして。自分なりの納得をして、この仕事を続けることを決心しましたね。
――いまや、ものすごく広がっていますよね。
金杉 広がっちゃいましたよね。”萌”という文化も生まれましたし。
――ゲームの製作から、また音楽の世界にはどうやって戻っていかれたのですか?
金杉 何作か手掛けていくうちに、自分のゲームを作るうえでの立場というのが、徐々に上がっていきました。ディレクターになった時点で、当時の音楽製作者たちと蜜に、濃いミーティングをするようになりまして。当時、PCゲームのソフトはフロッピーディスクの時代で、BGMはあるけれども、歌は入れられなかったんですね。でもアニメやテレビドラマにはオープニングとエンディングの主題歌がある。だから「オープニングとかエンディングを入れたいよね」と僕も思っていましたし、音楽製作チームもそれは思っていて。とりあえずフロッピーディスクには入れられないから、特典CDをつけようじゃないか、ということになるんです。
――なるほど。当時、新たなアイデアとして特典CDというものが生まれたわけですね。
金杉 たぶん、僕のいたメーカーのみならず、同時多発的に、恐らくコンシューマーのメーカーさんなんかも特典CDなどを始めていった時期じゃないかと思いますね。それ以前からあったのかも知れませんが。
――特典CDでようやくゲームが主題歌を得るわけですが、その後ゲーム本体にも主題歌が入っていくわけですよね。
金杉 PCゲームの世界は、FM-TOWNS、そしてPC-9821と、CD-ROMを獲得するわけですが、たしか『尋問遊戯』というゲームのオープニングにHOUSE系の英語の歌を入れたんです。そうしたら、コンシューマーゲームの雑誌から取材のオファーがありまして(笑)。「PCゲームのオープニングに、こんなに尖った主題歌が入っているのなら、家庭用ゲームでもどうだ?」と、ライターさんに煽られたりもしましたね。そこへコナミさんがPCエンジンでフル音声の『ときめきメモリアル』をリリースして”萌”の世界が社会現象化する時代とリンクしていきます。僕らは『Pia キャロットへようこそ!!』、『Pia キャロットへようこそ!! 2』と連続してリリースしていくのですが、『Piaキャロ2』のときに、志の高いスタッフがオープニングアニメーションを作り始めたんです。そこで僕も『GO! GO! ウェイトレス』という歌を作ってオープニングに差し込みました。これが僕が初めて作ったオープニング曲です。この『Piaキャロ2』がブレイクして、セガサターンにも移植され、アキバを中心にいろいろな現象が起き始めるんです。

――その現象というのは?
金杉 たとえば、ゲームで使用されたコスチュームが話題になって『Piaキャロ』のコスプレイヤーが大勢現れたり、トレーディングカードが爆発的に売れて、メイド喫茶の前身となる”Piaキャロカフェ”がオープンしたり……。音楽面では、『GO! GO! ウェイトレス』を自社でシングルカットして発売したところ、あれよという間に2万枚に達していました。仕掛けたのはこちらなんですけれど、何か大きな渦のようなものに飲み込まれていくような感覚でしたね。初めて作ったオープニング曲を引っさげてアキバでライブをしたり、ちょうどインターネットが普及し始めたころだったので、『GO! GO! ウェイトレス』をカラオケに入れようという運動も起きました。僕自身が経験したA-POPは、これが原点になりますね。
――現在のアキバが形作られる、本当に初期のころという感じですね。
金杉 それで、ちょうどそのころPCからセガサターンへの移植ブームのような流れができて、『Piaキャロ2』以降、オープニングやエンディングに主題歌をつぎつぎに差し込んでいきました。これと同時多発的に、ほかのメーカーさんもゲームのオープニングやエンディングに歌を入れるようになるわけです。
――いまではもう、当たり前のことですよね。
金杉 最初はユーザーさんもビックリしたと思いますよ。何しろ最初に発表された『GO! GO! ウェイトレス』は相当音程がはずれていましたし、歌詞のほうもIQ低めでしたから(笑)。脳が溶けるとか、トロけるとかよく言われていました(笑)。
 

A-POPの誕生

 

金杉肇

 

――A-POPというのは、いつごろに誕生するんですか?
金杉 どこからが誕生なのか、あまり考えてはいないですね。ゲームの世界で言うと、CD-ROMを獲得してからゲーム内に歌が入ってきたころになるんでしょうか。アニメの世界では、レコードの時代からオープニング曲やエンディング曲がありましたから、ずいぶん古いですよね。
――ちょっと待ってください。僕はA-POPというのを電波系ソングのことだと思っていたんですが、違うんですか?
金杉 特定のジャンルではなくて、アニメの”A”、アキバの”A”で”A-POP”。メジャーなアニソンから、コアなアキバ系までを網羅する大きなディレクトリーです。電波ソングは、そのサブディレクトリーに当たるんじゃないでしょうか……。
――そうだったんですか。なるほど。アニメはわかるんですけれども、なぜアキバも入ってくるのですか?
金杉 アキバって時代の移り変わりで街の様相がずいぶんと変わってきていますよね。トランジスタの時代があって、ブラウン管の時代があって、家電の時代があって、'90年代以降はPCの時代になっていく。そのPCの時代を経て”聖地”と化していくわけです。コミック、アニメ、ゲーム、フィギュア、音楽、いろんなものが集積される”コンテンツの街”というのが、現在のポジションだと思います。美少女ゲームやギャルゲーを含め、”萌”関連のコンテンツのシェアは、その数十パーセントが秋葉原という街に集中していると思われます。アニメのDVDにしても相当のシェアを持っていると思います。そしてアニメやゲームのデモを流しているモニターの数もおそらくは世界でいちばんでしょう。だから、アキバがアニメ系・ゲーム系のトレンドを決定していると捉えることができます。まさに、聖地。そういう意味も踏まえて、アキバのAがA-POPのAにつながっていく、という風に考えています。
――実際に金杉さんがA-POPという言葉と、その意味を提唱されたのはいつごろなんでしょうか。
金杉 5〜6年まえですかね。
――A-POPを広めようとしたきっかけは?
金杉 アニメやゲームの主題歌を歌っているアーティストのオリジナルの楽曲、アニメのタイアップもゲームのタイアップもない楽曲というのは、ショップのどこの棚に置かれるんだろう、とふと考えたことがあって。自分のアーティスト名で棚を持っている方であれば、そこに置かれるのでしょうけれど、棚を持っていないアーティストはどうするのか? オリジナルの楽曲なんで、アニソンの棚でもない。また、主題歌をシングルカットする際にオリジナル楽曲をカップリングにすると、これをアニソンとは呼ばないわけで、純粋に音楽として評価をしていくには、タイアップのあるなしに関わらず、評価する土壌が必要なんじゃないか。アーティスト側も制作する作家の側も、自分の作品ですから、タイアップのあるなしに関わらず、すべての曲に魂を削るような思いを込めて生み出している。そういう思いやメッセージを受け止めていこうじゃないかと。タイアップの有無に関わらず、音楽として評価する土壌や商品をならべるスペースを確保していきましょうという動きが運動になっていけば、あとに続くアーティストも台頭しやすくなって、リスナーとアーティスト、ショップとレコードメーカーの関係が活性化し、ひとつの音楽シーンとして活性化する。そういう願い、思いを込めてA-POPという言葉を使い始めました。
――高い志を持って、提唱されたものだったんですね。提唱されて以降、その成果は実感されていますか。
金杉 A-POPというのは、カテゴリーではあるけど、ジャンルではなくて、ひとつのムーブメントだと思っています。僕はただの言いだしっぺにしかすぎなくて、店舗の方、アーティスト、リスナー、メディアの方、関わる皆さんの立ち位置、目線でA-POPという土壌がイメージできれば活性化すると思います。
 

アニメロサマーライブとA-POP


金杉肇

 

――2007年7月7日に”アニメロサマーライブ2007 Generation-A”が開催されます。このサブタイトルの”Generation-A”の”A”には、A-POPも含まれているということですが、”アニメロサマーライブ”には、どのような期待を寄せられていますか?
金杉 すでに3年目ということで、大きな会場でのイベント開催はたいへんなご苦労があると思いますが、”A”の世界でハッピーになり、ひとつになって、このイベントからA-POPの土壌が広がっていくことを期待しています。僕も当日は客席から応援するつもりです。サイリウムが何本あれば足りるんでしょうかね?(笑) いまからわくわくしています。
――今後A-POPにはどのように広がっていってほしいですか。

金杉 A-POPはムーブメントなので、横にも縦にも広がることができるんです。横というのは裾野。縦というのは深さであり、頂点です。今後A-POPの頂点にいるアーティストたちが、頂点の高度を高めていくことでしょうし、そこを目掛けて、つぎの世代が乗り越えていこうとするでしょう。それに、ひとつの音楽ジャンルとして限定されているわけではないので、いろんな形態のアーティストがたくさん現れるでしょうね。僕がプロデュースしているHoney Beeというガーリーロックバンドですが、彼女たちはゲームの主題歌やアニメの主題歌を歌うロックバンドです。オリジナルの楽曲も作ります。また、テクノ主体のアーティストもいますし、アコースティックをベースにしたユニットもありますし、本当に何でもありなんですよ。形態も音楽の方向性も、どんなものでも飲み込んでしまう。海外にもアニメファン、ゲームファンの中からA-POPのアーティストが出てきてもおかしくないですよね。というか、僕らが知らないだけで、すでに存在しているかも……。
――海外からA-POPアーティストが出てくるというのも楽しみですね。
金杉 たぶん、もうすでに存在していると思いますよ。MySpaceで配信していたりするアーティストが。ただ、A-POPという言葉が海外まで流通していないから捜せないだけで。日本のアニメもゲームもワールドワイドで浸透しているカルチャーですから、音楽も確実に浸透しているし、ファンも多いと思います。

――それでは最後に読者の皆さんにひと言メッセージをお願いします。
金杉 ファミ通.comをふだんから読まれている読者さんの中にも、ゲームの音楽やアニメの歌が大好きな人がいっぱいいると思います。その中の一部の方にはデスクトップミュージック、音楽製作をやっている人もいるかもしれません。どんどん自作のA-POPを、ネットで配信したり、プレス屋さんに行けばCDもプレスすることができるし、コミケに持って行って同人ブースで頒布することだってできます。ぜひチャレンジして、何かのきっかけをつかんでほしいと思います。音楽を作らないけど、好きだよ、歌うよ、という人もいらっしゃるでしょう。そんな方はどんどんカラオケで歌って盛り上がっていきましょう。またA-POP系のライブやイベントに来れば、コールを入れたり、跳んだりもできます。音楽を作らなくても参加できるわけです。以前からことあるごとに言っていますが、将来的にはA-POPフェスティバルを行いたいです。ロックで言えば”フジロック”みたいなものを。大きな会場で歌って、跳んで、サイリウムを振って、”A”の世界がひとつになれたら、ハッピーじゃないかな、って思います。


●ほかにも続々と飛び出す興味深い話!

 上記までに掲載したほかにも、インタビュー中に金杉氏からいろいろと興味深い話を聞くことができた。とくに金杉氏がDJや、クラブのプロデュースをしていた時代。当時のことを知る人ならば懐かしく思えるエピソードが多数飛び出したぞ。ここでは、そんなエピソードの一部をボーナストラックとしてお届けしよう。
 

――クラブをプロデュースされたり、DJをしたり、本当にいろいろなことをされていたんですね。
金杉 ちょっとディープな話になるんですが、知る人ぞ知る、というか伝説と言いましょうか。新宿の花園神社境内内脇に週3日しかオープンしない”第三倉庫”というクラブを当時オープンさせたりもしました。国内外の第一線のDJ、アーティスト連中と交流しながら、刺激的なパーティーやイベントを行っていましたね。そういう中から全米チャート20位前後にランクインするHOUSEのDJや、のちにビョークをプロデュースすることになるクリエーター、あるいはグランドビートを世界的に広めたSOUL II SOUL、いまや世界的評価の高いマッシブアタックといったアーティストが、つぎつぎとメジャーになっていきました。
――それはまた、そうそうたる顔ぶれですね(笑)。
金杉 また、宝島社(当時JICC出版)から依頼されて『CUTiE』という雑誌の創刊イベントの企画・プロデュースもしましたし、『remix』というダンスミュージック系の音楽雑誌の創刊イベントのプロデュースも行いました。スカパラダイスオーケストラが、まだ小さなライブハウスで活動していたころ、宝島誌で取り上げ、『CUTiE』創刊イベントにブッキングしたことで、広く認知されるようにもなりましたね。僕は日本のマスメディアに対して”クラブ”、”クラブシーン”という言葉を投げかけましたし、どちらかと言えば、自分が前へ出るより、アーティストやシーンを前に出すことや、ムーブメントをオーガナイズするほうが、性に合っていると思います。まだ、学生の20代前半にそういう経験をしたことで、いまの自分があるのかな、と思いますね。 

 

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